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【青春18きっぷの旅/四日目から五日目へ】「雪国」の宿”高半”と越後湯沢
最終泊地、越後湯沢へ
十日町駅のホームは、首都圏で例えるなら、どこか京急線や東横線の駅っぽくも見えます。
高架の島式ホームだからということなのでしょうか。
とはいえ、行先案内や駅名標に示された駅名は、自分にとっては明らかに旅先のものです。
写真では”空いてる駅”感が出ていますが、それは人が少ないところを狙って撮っていたからで、実際には学校帰りの中高生や会社帰りの人たちで、割と混んでいました。
結構な土砂降りの中、十日町駅のホームにほくほく線が到着です。この時は、しっかり「1時間に42ミリ」レベルの雨が降っていました。
夕食を取った十日町駅から6駅乗って、この日の目的地、越後湯沢に到着!
翌日の上越線乗車が終わってしまえば、次の乗車はゴールである横浜駅までの直通路線が通されている高崎線です。近づいてくる旅の終わりに、ちょっとしたさみしさを感じた瞬間でした。
越後湯沢駅着
お昼過ぎに新潟を発った後、あいにくの空模様の中、約半日がかりで越後湯沢駅に到着しました(【青春18きっぷの旅/四日目】信越本線・ほくほく線乗車 -雨模様のローカル線旅-)。
去年夏のドライブ旅(【ドライブto新潟 三日目】越後湯沢・魚沼ドライブ)でも訪れた越後湯沢の駅前は、ちょっと懐かしかったです。
越後湯沢駅に着いた時点で送迎の時間を過ぎてしまっていたのですが、この日は特別に迎えに来ていただけることになりました(本当にありがとうございました!)。
雪国の宿 高半
高半と川端康成
ということで、この日の宿である”高半”(公式サイト)に到着!
今回の青春18きっぷの旅では最後の宿泊地となった高半は、ノーベル賞作家である川端康成が代表作『雪国』を執筆したという、知る人ぞ知る有名な老舗ホテルです。
川端康成は昭和初め(昭和9年~12年)の湯沢に3年間逗留し『雪国』を執筆しますが、仕事や療養等で各地を転々としながら『雪国』を書くために3年間かけた、そのうち湯沢での執筆活動は「高半」に逗留しながらのものだったようです。
略年表を見ると、昭和9年に「湯沢で連作を書き始める(川端康成記念会 略年表)」とありますが、執筆のための書斎としていたのが、高半の一室でした。
この部屋は「かすみの間」として現在も保存・公開されています。
参考:越後湯沢の『雪国』の宿・高半 文学資料室/かすみの間(川端康成定宿)
“雪国の宿”
チェックイン後、まずは部屋へ。
客室内には執筆等々に1人集中できそうなテーブルと座椅子、奥の一面の広い窓。ゆとりのある室内の広さもあって、古き良き「和室」という雰囲気が満載です。
翌日の施設見学で川端康成の執筆部屋(かすみの間。後述)に微かに似ていることを発見したときに改めて感動することになったのですが、ホテルの客室を含めた越後湯沢が『雪国』の舞台となっています。
明けて翌朝、客室から望める風景です。
朝、カーテンを開けて窓の外の景色を見た瞬間に思わず声が出るような、すぐ目の前が湯沢の山々という絶景に感動したのですが、冬場の湯沢の雪景色を望む感動は、やはり夏の感動を上回ってくるんでしょうね。
『高半』チェックアウト
文学資料室と「かすみの間」見学後は、チェックアウトのためにフロントへ。『雪国』の宿というとどこかこじんまりとした規模の施設がイメージされるかもしれませんが、高半はかなり大きいホテルです。
本当にあっという間でしたが、とても満足度の高い時間を過ごすことが出来ました。
越後湯沢駅で最後の昼食 -へぎそば小嶋屋-
いよいよ18きっぷ旅も残すところわずか。最後の訪問スポットとなった”湯沢町歴史民俗資料館・雪国館”(公式サイト)訪問後、越後湯沢駅にて旅行中最後の昼食を取ったのですが、ここで予期せぬ幸運に恵まれます。前日定休日だった十日町のへぎそば「小嶋屋(公式サイト)」が、なんと越後湯沢にお店を出していました。念願の天ぷらそばは、本当においしかったです。