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みなとみらい線沿線・日本大通り駅周辺定番観光スポット5選
日本大通り駅エリア
みなとみらい線沿線観光・街歩きで、”まずはここから”というスポットのみを、過去記事中心に集めてみました。”5選”なので、沿線観光の穴場というよりは、”ここを見ておけばOK!”というド定番のお勧めスポットです。
今回は、日本大通り駅エリア編です。
米海軍東インド艦隊・ペリー一行が条約締結のために上陸し、その後列強との交易の中心地となったのが、現在の日本大通りエリアです。近世日本で政治の中心だった江戸、やがて近代に入って首都となった東京の防波堤として成長したのが近世末から近代、現代にかけての横浜だという見方をした場合、都市・横浜の心臓部にあたる一帯です。
外国人居留民の日常生活と共にあった色が濃い元町中華街エリアに比べると、貿易や実務に関連する史跡が多く残されていることに特徴がありますが、この傾向は、現在の官庁街としての日本大通りにも引き継がれています。
日本大通り駅周辺・定番観光スポット5選
日本大通り
エリアや駅名をいう場合は「日本大通り」、住所としては「日本大通」という一帯は、港町・横浜はじまりの地であり、今現在も横浜・神奈川の行政機能の集約地です(参考:日本大通り地区の歴史)。写真は神奈川県庁ですが、毎年GWに知事室などが特別公開されるほか、通常時でも屋上は本庁舎、新庁舎とも一般解放されています。
行政の中心地であること以外に、観光スポットとしてもしばしば名前が上がるエリアで、2017年以降、春のガーデンネックレスが横浜の年中行事として定着した他、2018年より毎週日曜日は歩行者天国となりました。現在は「マグカル解放区」(公式サイト)として、定期的に路上ライブが開催されています(通常時であれば出演バンドの募集も行われていますが、2022年7月現在、新型コロナウイルス感染症対策として、イベントは中止されています)。
秋の紅葉が楽しめる銀杏並木の他、周辺には歴史的なスポット(横浜三塔、開港広場、英一番館跡、大さん橋、象の鼻etc)や各種の”日本初”があって、横浜公園にも隣接しています。史跡巡りをしたい場合、”みなと横浜”の足跡を巡りながらの横浜観光をしたい場合には、外せないエリアです。
横浜公園
横浜公園は、日本大通りの突き当りに、象の鼻(後述)と向かい合うように作られている公園です。江戸の吉原を模した港崎(みよざき)遊郭が幕末の大火(豚屋火事)によって焼失した後、明治9年(1876年)に遊郭跡地に作られた日本人・外国人共用の”彼我公園”がルーツです。
彼我公園の言う彼我とは”彼”=外国人と”我”=日本人の意で、そのネーミングには「外国人と日本人共用の公園」といった意味があるのですが、文明開化華やかなりし時代には、数々の国際試合の舞台ともなりました(参考:クリケット競技場と日本初の国際試合)。
山手の居留地に居留民専用として作られた山手公園とは対照的な開放感を持った公園であることが理想とされた彼我公園、利用者は当初外国人居留民に偏重していたようですが、ぼちぼち日本人側の利用も増えていき、明治42年(1909年)には”彼我公園”が”横浜公園”となりました。
その後、関東大震災被災とその復興、戦後のGHQによる接収期等を経て、現在は、公園内部には横浜DeNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアムがあります。横浜公園というより”横浜スタジアムがある公園”という方がイメージに近いですが、球団がDeNAの経営になって以降、”公園”としての歴史的な部分にもスポットが当てられるようになって、今日に至っています。
象の鼻
“象の鼻”(横浜市公式サイト “横浜港 象の鼻地区(象の鼻パーク)“)は、かつてイギリス波止場と呼ばれた”東波止場”側の防波堤の通称ですが、開国・開港後の横浜港の貿易港機能はこの一帯から始まりました。
個性的なネーミングの由来は、開港の最初期、強風による高波を防ぐために造られた防波堤が”象の鼻”のように見えたことにありますが、開港150周年を機に象の鼻パークが整備されると、以降は観光に特化された港として現在に至ります。
現在でも開港当初を思わせるような風情が残されているというわけでは必ずしもありませんが、開港以来の歴史を持つ場であることは、そのロケーションから伝わって来ます。海を見ながらゆっくりしたい場合、近隣にある山下公園共々、かなりお勧め度の高いエリアです。
象の鼻の北側は新港ふ頭や赤レンガパーク、東側は大さん橋や山下公園で、南側では日本大通り、旧イギリス総領事館(現・横浜開港資料館。公式サイト)、開港広場公園等に隣接しています。
大さん橋
大さん橋(公式サイト)は、現役の国際港です。ルーツは、1894年=明治27年にイギリス波止場(現象の鼻パーク)とフランス波止場(現山下公園)に挟まれた位置に作られた、別名でメリケン波止場とも呼ばれていた”鉄桟橋”にあります。
“海上に作られた公園”的な機能を有す屋上は、市民からの公募で決定された通称名である”くじらの背中”とも呼ばれていまが、大さん橋の内部は、屋上が背中であることから”くじらのお腹”とも呼ばれているようです。
“くじらの背中”からの景観を楽しんだり、ぐるっと歩いて回ったり、そのあと”くじらのお腹”で一休みという感じで時間をとると軽く小一時間程度かかりますが、30分後のあかいくつ号に乗車することを予定しているのであれば、ちょっと屋上に出て、すぐ戻ってくるといった感じで楽しむことも出来ます。
すぐ隣にある”象の鼻”同様、横浜はじまりの地の一角に位置しているということをそのロケーションから感じ取ることが出来るスポットで、特にみなとみらい方向をテーマとした夜景撮影に関しては、沿線でも有数の定番スポットとなっています。
大さん橋に入港する大型客船情報については、横浜市の公式情報(横浜港客船入港情報)やメルマガ(横浜港クルーズメール)などで得ることができます。
開港広場
“日米和親条約調印の地”である開港広場公園は、横浜及び日本の近代化のはじまりとなった一帯(かつて、ペリー一行がこの付近に上陸したといわれています)であることを記念して、1982年(昭和57年)に現在の形に整備された噴水広場です。
大さん橋方向(海側)を背にした時、正面には日本初のプロテスタント系教会である横浜海岸教会(公式サイト)が視界に入ります。
すぐ隣にはかつてイギリスの総領事館だった横浜開港資料館(公式サイト)がある他、周辺は日本大通りと山下公園、大さん橋に囲まれているため、”あえて開港広場を目指す”というよりは、みなと横浜の史跡を巡っていると、割と自然にたどり着けるところに位置しています。
“ここが都市・横浜と、近代日本はじまりの地だ”と言われて期待感満載で赴いたとすると、その期待に応えるだけの何かが広場内にあるかどうか微妙なところではありますが、「なるほどここはそういうところなのか」と捉え直した上で改めて現地に立ってみると、開港前、開港後、横浜港の発展期、震災から戦災に至る激動期、さらには戦後の高度成長期へと続く”横浜の足跡”にかかわり続けながら今に至っている地であるだけに、そこはかとなくいろいろなことを伝えてくれるだけの情報量を(周辺風景が)持っていることが分かります。
近隣にある日本大通り等々と併せて、沿線で史跡巡りをしたい場合にはお勧め度の高いスポットです。