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【街歩きと横浜史】横浜の歴史年表 その1:幕末の横浜

街歩きと横浜史

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【街歩きと横浜史】横浜の歴史年表 その1:幕末の横浜

歴史年表

概略

1850年代前半、約半世紀に渡った異国船騒動の果てで開国と通商開始が規定され、当時は江戸近郊の一寒村に過ぎなかった横浜の開港も決定されました。開国・開港という青天の霹靂によって訪れた”横浜”にとっての幕末の15年間は、明治期の大きな発展を実現するための礎が整備された期間に該当します。

 

年表

1853年(嘉永6年) 米海軍東インド艦隊司令長官・M.C.ペリーが浦賀に来航。
1854年(安政元年) 日米和親条約締結。
現在の日本大通り地区・開港広場公園付近に上陸したペリー一行と、現在の神奈川県庁敷地内にて日米和親条約が締結されました(参考:日米和親条約と日米修好通商条約)。日米和親条約は別名で神奈川条約とも呼ばれますが、都市・横浜誕生の大きなきっかけとなり、かつ近代日本の幕開けとなった条約です。
1858年(安政5年) 日米修好通商条約締結。
“安政の五か国条約”締結の突破口となり、かつアメリカにとっての”本命”条約だった日米修好通商条約は、ペリー提督の艦隊が停泊していた横浜・金沢沖の船上にて締結されました(参考:日米和親条約と日米修好通商条約)。
1859年(安政6年) 横浜開港。神奈川奉行所・神奈川運上所、吉田橋関門設置。
日米修好通商条約締結の翌年、規定に基づき横浜が開港されます。この年、神奈川運上所も設置されました。尊王攘夷運動が盛んだった当時の世相に対応すべく、現在のJR関内駅付近には吉田橋関門が設置され、以降1872年(明治4年)に至るまで機能します。
1860年(万延元年) 外国人居留地の整備開始。”横浜道”開通。
まずは現在の山下町界隈が、後に現在の山手町が外国人居留民のための居留地として整備されます。後に馬車交通のルートとなる(陸路で東海道と開港場付近をつないだ)横浜道も、この年開通しました(参考:蒸気船から馬車・人力車へ)。
1862年(文久2年) 生麦事件発生。
旧・武蔵国生麦村(現・鶴見区生麦)付近で英国人4人が薩摩藩士によって殺傷された”生麦事件”(横浜市公式サイト)をきっかけとして、英軍・仏軍がそれぞれ現在の港の見える丘公園の敷地及びその近隣エリア(陣屋坂付近)に駐屯しました(参考:港の見える丘公園の近代史(幕末から明治へ))。
1864年(元治元年) “海外新聞”創刊。
日本初の新聞である英字新聞の邦訳新聞”海外新聞”が、ジョセフ彦(浜田彦蔵)によって発行されました。現在、記念碑が横浜中華街関帝廟通り沿いに置かれています(参考:【街歩きと横浜史】「日本国新聞発祥之地」記念碑)。
1866年(慶応2年) 関内地区にて大火発生(通称・豚屋火事)。根岸競馬場完成。
横浜開港から7年が経過したこの年、俗に(火元となった豚肉料理屋・豚屋鉄五郎方の名を取って)”豚屋火事”と呼ばれる大火が発生したことによって当時の関内地区の2/3以上が消失しますが、結果的にはこの大火災が後の”日本大通り”誕生を呼び込むこととなりました(参考:日本大通りの誕生)。
1867年(慶応3年) 馬車道に街路樹が植樹される。

参考:横浜タイムトリップ・ガイド制作委員会『横浜タイムトリップガイド』(講談社、2008年9月27日)他

 

オススメスポット

“横浜港はじまりの地”である象の鼻パーク、および日本大通りエリア等。今も当時の雰囲気がそのまま残されているとはいいがたい部分もありますが、付近には当時をしのばせる史跡等が点在します。

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