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【街歩きと横浜史】横浜の歴史年表 その2:明治の横浜

街歩きと横浜史

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【街歩きと横浜史】横浜の歴史年表 その2:明治の横浜

歴史年表

1868年(明治元年) 神奈川県誕生
廃藩置県(1871年=明治4年)に先行すること3年、神奈川奉行所(1869年=安政6年)にルーツを持つ神奈川府(旧称横浜裁判所、神奈川裁判所)が、この年の9月に神奈川県(現在の県域とは異なる県域を持ちます)となりました(参考:神奈川県公式サイト “神奈川県の県名由来・立庁記念日“)。初代知県事には、後に外務卿として”不平等条約“の改正(関税自主権回復)交渉に尽力した、寺島宗則が就任しています(参考:神奈川県立公文書館デジタル神奈川県史 通史編4第一編 明治維新と神奈川県)。
1870年(明治3年) 山手地区に日本初のビール工場設置、山手公園開園
後にキリンビールとなる日本初のビール工場”スプリング・バレー・ブルワリー”が、”日本のビール産業の祖”であるウイリアム・コープランドによって、現在の山手地区・ビヤザケ通り沿いに作られた(参考:about ビヤザケ)ほか、外国人側に”パブリックガーデン”、日本人側に”山手公園”と呼ばれた外国人専用公園である、日本初の洋式公園(=洋式の公共庭園)・山手公園公式サイト)も作られました。
1871年(明治4年) 横浜毎日新聞創刊、散髪脱刀令布告(”ザンギリ頭”の時代へ)
この年、日本初の日刊新聞・横浜毎日新聞(参考:about 横浜毎日新聞)が創刊されました。現在、横浜毎日新聞創刊を記念する碑が横浜市役所傍(馬車道駅最寄り)に置かれています(参考:日刊新聞発祥の地(馬車道駅、横浜市役所傍))。さらに同年、散髪脱刀令が布告され、旧士族等の髪型・服装が自由化されたことによって、「ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」という都々逸の文句に象徴される時代(日本の近代)が幕を開けました(参考:“西洋理髪発祥の地”モニュメント)。
1872年(明治5年) 横浜・新橋間に日本初の鉄道開通、日本初のガス灯設置
1872年(明治5年)10月14日、横浜・新橋間に日本初の鉄道が全線開通します(参考:日本初の鉄道開通へ)。以降の鉄道は、それ以前の交通の主力だった蒸気船馬車交通にとってかわる交通手段となります。当時の横浜駅前の様子は現在のJR桜木町駅前に写真や記念碑等で残されている他(参考:鉄道開通と初代横浜駅前(現・JR桜木町駅前))、かつて横浜・新橋間を走った蒸気機関車も、JR桜木町駅傍に展示されています(参考:旧横濱鉄道歴史展示 -110形蒸気機関車-)。余談として、鉄道開通に至る工事の進捗は、当時の新聞(横浜毎日新聞)によって逐一報道されていた様子が残されています(参考:横浜毎日新聞が伝える、創刊当時の世相と鉄道開通)。このほか、同年、現在の馬車道商店街に日本で初めてのガス灯が設置されました(参考:日本初のガス灯)。海岸通り象の鼻防波堤などには、現在もガス灯風の街灯が設置されています。
1876年(明治9年) 彼我公園(現・横浜公園)開園、日本で初めて山手公園でテニスがプレイされる
幕末の大火で焼失した港崎(みよざき)遊郭の跡地に、現在の横浜公園のルーツである彼我公園が作られました(参考:港崎遊郭の焼失と彼我公園の誕生)。彼我公園の言う”彼”は外国人、”我”は日本人を意味し、公園名は「外国人と日本人共用の公園」といった意味を持っています。一方で彼我公園とは対照的に、外国人居留地の中に外国人専用の公園として(1870年=明治3年に)作られたのが山手公園ですが、その山手公園では同年、日本で初めてテニスがプレイされました。この事に因んで、現在山手公園には横浜山手テニス発祥記念館公式サイト)が設置されています。
1879年(明治12年) 日本初の西洋式街路・日本大通りの完成
幕末の大火後の街づくりにおいて外国人居留民側が要求したことに、前記”彼我公園”の設置の他、”延焼防止のための大通りを設けること”がありました。1868年=明治元年に”中央大通り”として整備が立案され、1870年=明治3年には各種の舗装が施された現在の日本大通りは、この年に完成します(参考:横浜開港資料館他『横浜150年の歴史と現在』、斎藤多喜夫『横浜もののはじめ物語』他)。
1880年(明治13年) 横浜正金銀行開業
2月、現在の馬車道商店街公式サイト)界隈に、貿易の決済業務(国際金融取引)を扱う特殊銀行として横浜正金銀行が開業し、7月には現在地に移転します。現在神奈川県立歴史博物館公式サイト)として使用されている”旧・横浜正金銀行本店”ビルは、1899年=明治32年に着工し、5年後の1904年=明治37年に竣工しました(関東大震災による被災後、現在の形に再建されます。参考:神奈川県立歴史博物館公式サイト “重要文化財・史跡“)。
1887年(明治20年) 日本初の近代水道配水開始
国家事業として行われた横浜での”近代水道整備”では、9月に取水場の運転が開始され、10月17日より市内への給水が開始されました。この事に因んで、現在、10月17日は”近代水道創設記念日”(横浜市公式サイト “近代水道創設記念日について“)とされています。関連事項として、1987年=昭和62年には、近代水道創設100周年を記念した噴水塔が二基作られました。うち一基は現在、港の見える丘公園内・山手111番館横(噴水塔(近代水道設置100周年記念))のバスロータリー中央部に設置されていますが、この噴水塔は、明治20年の近代水道配水開始を記念して、当時の横浜駅(現・JR桜木町駅)前に作られた噴水塔のレプリカです(参考:開業当時の横浜駅と鉄道)。※近代水道配水開始について、参考:横浜市公式サイト 横浜水道130年史 近代水道の創設と大都市横浜の発展を支えた水道拡張
1889年(明治22年) 横浜市制施行
4月1日、横浜に市制が施行されます。ただしこの当時の横浜市域は、後の”人口370万都市”そのままのものではなく、関内エリア(参考:吉田橋関門跡)を中心として海側に伸びた、旧久良岐郡の市街地区(9割以上が現在の中区エリアです)にとどまっていました。人口約11万人、55町で構成されていたという、まだまだ小さな市として”横浜”は始まりますが、およそこの頃、既に後の巨大都市化へと繋がる兆候(人口や宅地造成件数の激増、横浜港での貿易取引拡大、工場誘致の積極化等々)は見えていました(参考:横浜市公式サイト “横浜市における区制の歴史“、神奈川県公式サイト “市町村廃置分合変遷図“、『横浜中区史』”市域の拡張”他)。
1890年(明治23年) 横浜・東京間で電話交換業務開始
この年の6月、現在の神奈川県庁敷地内に作られていた横浜郵便局(現在の横浜港郵便局のルーツに当たります)内に横浜電話交換所が設置され、12月には日本で初めて京浜間で電話交換業務が開始されました(参考:千代田区観光協会公式サイト電話交換創始の地“)。
1894年(明治27年) 横浜港鉄桟橋(現・大さん橋)完成
現在の象の鼻パーク横浜市公式サイト)内にて、東波止場(イギリス波止場)と西波止場(日本波止場=税関波止場)、二つの波止場から始まった横浜港(イギリス波止場)に、新たに鉄桟橋と呼ばれる桟橋が作られました。全長720m、大型船の接岸を可能とした桟橋は、横浜港での貿易規模拡大に対応すべく導入されました。この鉄桟橋が、現在の大さん橋公式サイト)の原型となります。
1896年(明治29年) 横浜生糸検査所開業
幕末の開国・開港後、明治の日本で横浜港での貿易規模が拡大の一途を辿っていたころ、日本の主力輸出品目は断トツで生糸でした(参考:開港と生糸貿易)。そのため、時の政府は貿易規模=需要の拡大に伴う粗製乱造品の流通を避け、生糸の高品質を保持するための対応を余儀なくされることになるのですが、この年、生糸の完成品の品質チェックを役割とする生糸検査所が(旧・生糸改会社を母体として)開業しました(参考:類似の施設として、富岡製糸場の検査人館など)。現在の”赤レンガ風”建物ですが、関東大震災後の1926年(大正15年)6月、復興事業の一環として作られた後、戦後のGHQによる接収と、その後の改築を経て、現在は横浜第二合同庁舎として機能しています。
1899年(明治32年) 条約改正で居留地撤廃
7月、明治27年7月に締結された日英通商航海条約(さらにはこの条約に倣う形で各国と相次ぎ締結した同種の条約)が発効し、領事裁判権が撤廃され、関税自主権が一部回復します(参考:国立公文書館 近代国家日本の登場条約改正交渉の達成“)。この”不平等条約の改正”に伴って日本国内の外国人居留地は全て撤廃され、日本の市区に編入されることとなりました。なお、件の条約が締結された明治27年には、居留地撤廃に先行して、日本国内に居住する外国人に内地雑居(居留地以外の地域への居住移転の自由)が許可されています(参考:開港後の山下町(外国人居留地)の発展)。
1904年(明治37年) 横浜電気鉄道(横浜市電)開業、横浜正金銀行本店竣工
神奈川-大江橋間(現在の青木橋桜木町間)に横浜電気鉄道(横浜市電)が開業したほか、横浜正金銀行本店が竣工しました(横浜電気鉄道について、参考:横浜市公式サイト “横浜市民の足 ~横浜市電~“、横浜市電保存館公式サイト市電の歴史“)。
1906年(明治39年) 本牧三渓園開園
横浜を代表する日本庭園である三渓園公式サイト)が、本牧の地に開園しました。
1908年(明治41年) 横浜鉄道(現・JR横浜線)開通
明治の日本社会には、1872年(明治5年)の横浜・新橋間の鉄道開通を端緒として、官有・私設を問わず国中に鉄道網が張り巡らされることとなったという、”鉄道の時代”が訪れました。そんな中、1906年(明治39年)には、同年成立した”鉄道国有法”によって、すべての鉄道が国有化される運びとなります。日本社会の交通手段に革命的な変革をもたらした鉄道ですが、初の敷設から36年後にあたるこの年、”生糸の運搬”を主要目的として、現在のJR横浜線である私鉄・横浜鉄道が開通します。”横浜鉄道”敷設認可は1902年、開通が1908年ですが、その間には1906年に件の”鉄道国有法”が挟まれていたということで、開業から一年半後の1910年4月より、国有鉄道として運用されます(参考:及川慶喜 『日本鉄道史 幕末・明治編』中公新書、2014年5月25日、枝久保達也『生糸が結んだ「JR横浜線」、その113年の歴史とは』)。
1909年(明治42年) 開港記念横浜会館建設、横浜市歌制定(横浜開港50周年)
1859年の開港以来、横浜港が50周年を迎えたこの年、記念事業として開港記念横浜会館横浜市公式サイト)の建設が決定され、”国内に現存する最古の市歌”である横浜市歌が制定されました(横浜市公式サイト “横浜市歌について“)。
1911年(明治44年) 赤レンガ2号倉庫竣工、”臨港線”開通
新港ふ頭赤レンガ倉庫公式サイト)の2号館が竣工します(1号館は2年後、大正2年=1913年3月竣工です)。また、廃線後に現在の汽車道となった、初代横浜駅(現・JR桜木町駅)と横浜税関荷扱所=横浜港駅を結ぶ臨港線も、この年開通しました。臨港線=汽車道上にかかる鉄道橋、港一号橋梁と港二号橋梁(アメリカン・ブリツジ社製の鋼トラス橋で、現在も汽車道上に残されています)は臨港線開通に先立って、1909年=明治42年に架設されています。

参考:横浜タイムトリップ・ガイド制作委員会『横浜タイムトリップガイド』(講談社、2008年9月27日)他

 

オススメスポット

“特にこれだ”と絞るのが難しいほど見所満載なのが明治期の横浜港の特徴でもありますが、それらを満遍なく見渡すコースの街歩き、象の鼻パークを挟んで山下公園赤レンガパーク間を結ぶ、山下臨港線プロムナード歩き(夜景)がお勧めです。

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