街歩きと社会

【街歩きと理科・社会】群馬・新潟県境エリアの道路状況と自然環境

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【街歩きと理科・社会】群馬・新潟県境エリアの道路状況と自然環境

三国街道・三国峠

三国峠や三国街道のいう「三国」とは、越後(新潟)、上野(群馬)、信濃(長野)、三国のことです。

かつての三国の国境に位置する三国山の峠、及びその峠につながる街道であることが命名の由来であるとされています。

「三国街道」は、苗場、かぐら、みつまた、湯沢、石打丸山、上越国際等々といった、新潟県内ではスキー場だらけの地区と繋がっていることでも有名ですが、群馬県内から県道53号線で越後湯沢を目指すルートでは、ダム湖であり、桜の名所でもある赤谷湖手前で国道17号線=「三国街道」と合流します。

新潟へ向けた道中、「三国街道」は関越道と並走することになるのですが、双方はやや異なるルートを採ります。

17号線(三国街道)ルートは地図中央付近、これに対して関越道が採るルートは地図右上(北東)、谷川岳の地下です。鉄道での県境越えの場合も関越道同様、上越線の新清水トンネルや上越新幹線の大清水トンネルは、谷川岳の下を通るルートで新潟・群馬間が結ばれています。

 

清水峠と三国峠

新清水・大清水の「清水」とは、谷川連峰の清水峠のことです。

なのですが、実際に地図を見てみると、両トンネルの直近にあるのは清水峠ではなく、谷川岳、および万太郎山で、清水峠から新清水・大清水各トンネルへは距離があることがわかります。

本来であれば「谷川トンネル」あるいは「万太郎トンネル」となっているはずのところ、あえて「清水」が推されたのは、古来より清水峠が国境越えルートの一つとされてきたためで、そこに新清水・大清水の各トンネルの命名の由来があります。

そもそも清水峠ルートと三国峠ルートを単純に直線距離で比較した場合、より近いのは清水峠ルートです。

ですが、清水峠ルートは苛烈な自然条件と共にある難所だという致命的なデメリットを持っているため、遠回りでありながらも清水峠ルートよりは通行しやすい三国峠ルートが江戸時代に入って整備され、以降長らく三国峠ルートが「国境越え」の主流となりました。

ところが昭和に入って谷川岳の地下にトンネル(清水トンネル)が通されると、再び「清水峠」ルート(=谷川岳地下ルート)が注目を浴びることになりました。

それが出来るのであれば、「清水峠」ルートの方が近くなるからですね。

その結果、現在では「清水峠」(谷川岳)地下ルートの鉄道や関越道が主流となり、三国峠ルートは鉄道や関越道を補足するための街道へと落ち着いています。

 

群馬・新潟県境の気候条件

点線国道区間

現在、大清水トンネル等の名前の由来となった清水峠は、いわゆる「点線国道」(”点線”は、国道上の車両通行不能区間を表します)といわれる区間、車両通行不能=徒歩で通行するルートに含まれています。

国道17号線が開通し、延伸計画がとん挫したことによって生じた国道291号線の点線区間は、現在に至るまでかれこれ100年以上放置されたままになっています。

放置された理由は、やはり一帯が過酷な難所であることにありました。

ここで注意を要するのは、点線国道が言う徒歩には、場合により登山、それも、通行人にそれなりの準備と経験を要求するタイプの登山が含まれるという点です。

車では通行できないということこそ点線国道の「点線」が意味している部分にあたるため、そこでいう徒歩がどんなタイプの徒歩であるのかという部分までは推し量ることが出来ません。

ただし、多くは人の手が入っておらず、国道であるにも関わらず車では走れませんという時点で察してくださいという道になっています。

しばしば用いられる「酷道」(それが県道であれば「険道」)という表現も言い得て妙なわけですが、なぜ谷川岳を含む谷川連峰がそこまでの地になっているのでしょうか。

 

新潟山間部に雪国が出来上がる理由

川端康成の小説『雪国』の冒頭にある「国境の長いトンネル」とは、上越線・清水トンネルが謳われたものだといわれています。

冬季の雪国へと通じたトンネルを抜けるとそこは一面白銀の世界だった、その様子が端的に表現されたことで感銘を与えたという、有名な一節の一部ですね。

そこでモチーフとされた景観こそが、上記した谷川連峰が難所である所以を物語っているわけですが、日本海側が豪雪地帯となる背景には、いくつかのステップがあります。

うち最初のステップは、大陸から日本へと流れてくる季節風(乾いた寒気)の存在です。

季節風とは、天気予報などでよく言われる「西高東低の冬型の気圧配置」が原因となって、日本海の向こう、気圧の高い西側から吹いてくる風のことですが、西からの乾いた寒気=季節風は、シベリア気団(気団とは、温度・湿度などで似たような性質を持つ大気の塊)と呼ばれます。

このシベリア気団が日本に向かった風となることが、そもそもの原因となります。

 

シベリア気団が越後山脈へ

気圧の高い大陸から、気圧の低い日本海側に向かって流れてくる乾いた寒気=シベリア気団は、日本海を通過する際に海面から水蒸気を大量に吸い上げ、小さな水の粒等の塊である湿った雲を作ります。

以下

日本海通過時に海面から水蒸気を大量に吸い上げて湿った雲は、そのまま本州の日本海側に上陸する

日本列島上陸後、湿った雲は上信越地方にとっての脊梁(せきりょう)山脈である越後山脈(谷川連峰など)へと流れ、そのままぶつかる

山脈にぶつかった湿った雲は、シベリアからの季節風自体が山脈にぶつかることによって発生した上昇気流に乗る

上昇気流に乗った雲は、山伝いに上空へと運ばれていく

雲が上へあがれば上がるほど周囲の気温は下がり、同時に水蒸気圧も低下する

「湿った雲」内部では、水蒸気圧の低下によって平衡状態が変化

雲を構成していた水蒸気が再び液化する(※)

という過程を通って大雪を降らせる雪雲が出来上がるのですが、この、最後の部分(※)について少々。

「空気中で、雲を構成していた水蒸気が再び液化する」という現象は、夏場、コップに入れた冷たい飲み物を常温下で放置しておくとコップが汗をかく現象と、本質的には同じです。

室温であれば大気のままでいられた「小さな水の粒」は、コップに入った「冷たい飲み物」の温度に反応することによって、目に見える水の粒になります。

同様に、より冷たい空気の中に送り込まれた「雲」の中では、小さな水滴同士が次々にくっつくことによって大粒の水滴となり、その大粒の水滴が雨の元となるのですが、水自体は0度で固形化するため、温度如何では「雨の元」はそのまま「雪の元」へと姿を変えます。

冬季の新潟地方の場合であれば、元々地表付近の気温が低いため、恒常的に流れてくる湿った雲は山間部でそのまま大雪の元となり、豪雪地帯が出来ることにつながっていくんですね。

 

群馬へと向かう空っ風

ここから先は「大雪を降らせた雲」のその後について。

群馬北部の山間部にも、新潟の山間部と同じ理由から大雪が降る地域がありますが、雪を降らせるだけ降らせた「日本海からの湿った雲」は、群馬県内でやがて乾いた空っ風(下降気流)となります。

越後山脈を越えて群馬へ入り、大雪を降らせた雲が玉切れとなったあとの「北からのからっ風」は、山間部から平地に向かう形で吹き下りてきます。この風はフェーン現象と同じ理屈で吹く風で、上昇時とは逆に、より「熱い風」になりながら山を下っていきます。「上り」では高度が上がった分下がった気温は、「下り」では反対に高度が下がった分(=地表に近づいた分)気温が上がっていくためです。

この点、冬場であれば風が吹くことによる温度上昇の影響はさほどではなく、むしろ強い風が吹くことによって体感温度は下がったように感じる一方、同じ風が夏場に吹けば、風が山間部を下ることによる気温上昇の影響に直撃される(=熱風が吹いてくる)ため、猛暑の原因となります。

 

山野部の気候・自然条件

元々標高が高い地区は地表に比べて気温が低いことから雨や雪が降りやすく、さらには風も強い、総じて天気が変わりやすいという特徴を持っています。標高が高ければ高いほど上空の大気の影響を受けやすくなるということですが、中でも強風、雨、雪、雷の与える影響は深刻なものとなり、雪崩、崖崩れ、土砂崩れ等の発生をもたらす条件にも繋がります。

結果として元々の山肌が削られるようなことも起こってきますが、長い目で見ればそれらの繰り返しによって斜面は急峻となり、崖ができ、滝ができ、川ができていくことにつながります。結果的に人の意思とは無関係に自然の手が加わり続けていけば、人間の「抵抗」にも限界が出て来るため、人間の生存には適さない領域が増えていくわけです。

清水峠を含む谷川岳といえば、遭難者数世界一という不名誉な記録を持つ「魔の山」ともいわれる山岳地帯ですが、その環境の全ては、厳しい自然が作り上げましたとはいえ、そのような自然の厳しさに挑戦し続けてきたこともまた人類の歴史の一側面でした。

清水峠越えよりは優しいといわれる三国峠ルートの国境越えにしても、地図を見れば行路の大部分は山だらけで、かつてはそれなりの難所であったであろうことは想像に難くないところです。