街歩きと社会

【街歩きと日本史】信州街道と草津街道

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【街歩きと日本史】信州街道と草津街道

信州街道・草津道・草津街道

現在の草津街道=国道406号線は、かつては信州街道と呼ばれていました。

旧信州街道は、旧中山道の宿場町・高崎宿から分岐した脇街道(=脇往還、脇道のこと)にあたりますが、かつての草津道自体も、元々は旧信州街道の脇街道として整備されました。

中山道の脇街道が旧信州街道で、旧信州街道の脇街道にあたるのが草津道です。

例えば江戸(日本橋)から草津へ湯治に行くなどという場合、中山道の旧高崎宿、さらには旧信州街道の須賀尾宿(後述)で、進む街道を変更する必要がありました。

高崎宿や須賀尾宿は鉄道でいうところの乗換駅にあたりますが、江戸・日本橋から中山道で高崎宿まで出て、高崎宿からは信州街道沿いに須賀尾宿まで、須賀尾宿から先は草津道で草津を目指す、といった形の行程になります。

 

信州街道と草津道

国道406号線=「草津街道」を高崎発の目線で見た場合、高崎市内で国道18号線との分岐があります(下図中央やや右側)。

地図のほぼ中央を走る国道18号線が旧五街道の中山道ルート、中山道の脇街道にあたる旧信州街道=「草津街道」=国道406号線は、地図上を北西に向かって伸びています。

その406号線上で草津を目指す道、現在であれば草津街道ですが、かつてということであれば、現在も跡を残す旧須賀尾宿を分岐点として草津道が整備されていました。

上記の地図でいうと、草津街道・草津道共、左斜め上方向に位置します。

 

信州街道・須賀尾宿:草津道への分岐点

須賀尾宿は、17世紀初頭(1624年)に出来た旧信州街道沿いの宿場町です。

幕末の侠客であった国定忠治が関所破りをし、かつ処刑されて最期を迎えたという曰くのある大戸関所跡も同じ通り沿いにあります。関所跡あり、宿場町跡あり、「草津街道」上でも近世の街道沿いを思わせる雰囲気を持っているのが、旧須賀尾宿一帯です。

グーグルマップの写真右側に写っているのは、かつての旅籠や商家の屋号と思しきものが書かれた木看板。このマップの写真では「島田屋」と書かれていますが、木看板ごとに屋号は異なります。

木看板の数は一つ二つではなく、道沿いいたるところに、という感じでかけられています。

ここから草津へ向かうのか、それとも善光寺へ向かうのか。あるいは高崎経由で江戸へと出るつもりなのか。かつて天下泰平の世では、人々のそんな思いの交錯と共に栄えた街だったんですね。

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草津街道

そんなかつての宿場町一帯を含む、旧信州街道沿いを過ぎ、現代の草津道=草津街道へ。

引き続き国道406号線を・・・などというと風情が薄らぐようにも感じますが、草津街道上、草津への道の丁度中盤あたりの山道です。

須賀尾宿一帯を通過すると、時に道幅が狭くなり、カーブの連続になりという形で草津へと向かいます。道沿いに街灯はほぼなく、道の横を見ればかなり奥の方まで見渡せる森、マップは晴天時のものですが、いかにも山の中に切り開かれた道といった風情を持っています。

残念ながらこの道がそのまま昔の草津道だったということではなさそうなのですが、どこか時代小説の中の風景を思わせるような道でもありますね。