スポンサーリンク

【ドライブto新潟二日目】藤岡から草津へ

小旅行ドライブto新潟

この記事を読むのに必要な時間は約 4 分35秒です。

【ドライブto新潟 二日目】藤岡から草津へ

藤岡から草津へ

ドライブ二日目は藤岡の駅前を8時に出発、まずは同じ群馬県内の草津温泉を目指しました。

ルート・道中

藤岡から草津へのルートでは、17号線・353号線を走るか、それとも406号線を走るかという二択があったのですが、最短ルートとして、当日は国道406号線経由の道がナビされました。

現在草津街道と呼ばれている406号線は、かつて信州街道(=中山道の脇道)及び草津道(=信州街道の脇道)と呼ばれた道で、道中には旧街道時代の風情も感じられます。

とはいえ、ほとんど埼玉から群馬に入ったばかりの藤岡と、そこからさらに北西に位置する草津との間には、まだそれなりに距離があります(横浜中心部から箱根・芦ノ湖に行くのとほぼ等距離です)ということで、前日に続いての長距離ドライブとなりました。

「草津が近づいてきたこと」を感じさせるサインとしては、草津温泉の中心である湯畑の手前、車だと湯畑までほぼすぐのところに道の駅・草津運動茶屋公園(道の駅公式ホームページ)がある他、”もうすぐ湯畑”という道の駅の手前では、群馬メロディーライン(群馬県 県土整備部 道路管理課 “群馬メロディーライン“)という、法定速度で道を走ると走行音がメロディを奏でてくれる道を走ります。

草津温泉をすぐ傍に控えて、草津節のメロディラインでのお出迎えという粋な演出には、草津到着気分も高まりました。

“メロディーライン”は群馬県内に全部で10か所(群馬県 県土整備部 道路管理課 “群馬メロディーライン“)あるようなのですが、そのうちの一か所が、草津方面行きの日本ロマンチック街道(国道292号線)に作られています。

道に出ている告知を見て、実際に窓を開けて走行してみたのですが、確かにタイヤと道路がメロディを奏でていることがわかりました。

風景の他、耳からも風情を感じることが出来るというメロディラインの先には道の駅があって、道の駅を超えるとほどなく草津温泉名物・湯畑に到着します。

湯畑着

湯畑(草津温泉観光協会公式サイト・湯LOVE草津草津のシンボル『湯畑』“)は言わずと知れた観光地・草津の中心ですが、街としての草津も湯畑を中心に発展し、今日に至っています。湯畑から湧き出る温泉によって草津の街が発展したという由緒があり、なおかつ今も草津温泉の供給源になっているようです。

草津の中心・湯畑に一番近いところにある駐車場は、その名も「湯畑観光駐車場」です。湯畑すぐそば、台数的にも結構規模が大きく(180台)、かつ料金もリーズナブルで(普通車は2時間未満600円)、おそらく湯畑観光随一の条件を持つ駐車場ではないでしょうか。

湯畑観光駐車場のすぐ隣には光泉寺という、鎌倉時代からの由緒があるお寺があるのですが、そのお寺の境内の中を少し降りると湯畑が一望できます。湯畑近辺には”草津温泉webカメラ“チャンネルのライブカメラも二台ほどあるので(湯畑前固定移動式)、現在はリモートでもその様子が楽しめます。

草津温泉

御座之湯

光泉寺から湯畑へ降りてくると、すぐのところにあるのが日帰り温泉・御座之湯(公式サイト)です。

“御座之湯”の名前には、かつて源頼朝が”三原野”(現在の群馬県・長野原町のあたり)にて狩りを行った際(参考:草津三湯めぐり草津に歩みし人々・・・“)、草津に足を延ばしての入浴時、腰を掛けた(参考:草津温泉御座の湯温泉“)のがこの地だったという故事由来のエピソードがあります。

温泉としては、その後江戸から明治にかけてこの地にあった5つの共同温泉の一つが、現在の御座之湯のルーツです(御座之湯公式サイト御座之湯ストーリー“)。命名の由緒をたどれば1000年弱、温泉自体のルーツをたどっても200年以上という、草津と湯畑の歴史を背負って立つ一軒ですね。

実際に入ってみると浴室はそれほど広いわけではありませんでしたが、湯もみの写真を連想させるそれっぽさに”ならでは”を強く感じたほか、温泉の質にしてもとてもいいように感じました。入浴後には疲れが取れて肌はつるつるとなり、「温泉に入りました!」気分がとても心地よかったです。

湯畑とその周辺

温泉後は軽く食事をとって、湯畑の周りをぐるっと一周しました。写真正面にあるのぼり階段は光泉寺や湯畑観光駐車場への階段で、その右側にあるのが御座之湯です。

湯畑(草津)土産、ランチ・軽食、焼肉、さらにはコンビニまで、湯畑の周辺ではいろんなお店が軒を並べていますが、上の写真左にあるお店では、その場で温泉卵を楽しむことができます。

草津の湯と将軍・武将たち

18世紀には、草津道経由で8代将軍徳川吉宗、10代将軍徳川家治に草津の湯が献上されたこともあったようで(参考:草津温泉ポータルサイト 湯love草津将軍御汲上の湯枠“)、湯畑のほとりには碑が建てられています。

徳川幕府では初代の家康はじめ八代吉宗、十代家治が草津の湯との縁を持っていた他、豊臣政権の五大老の一人だった”加賀百万石の祖”前田利家も草津の湯と縁があったようです。

湯畑と湯桶

御座之湯の前付近から見た湯畑です。草津温泉の名物である7本の湯桶を通った温泉は、この後”下流”にある岩盤へと流れていきます。

源泉かけ流しの湯が熱すぎても入れない、かといって水で冷ましてしまっては温泉の効能が薄まってしまうということで、その結論が7本の湯桶の形で具体化されました。今では”草津の湯畑”というとこの7本の湯桶がイメージされるというくらいの草津名物ですが、湯桶を通すことによって熱を冷まし、各施設へ送られています。

湯畑に通された7本のうち1本の湯桶は、

そのまま岩盤の下へ。

周囲にあるのは撮影スポットにもなっている岩盤と、その横を登れるようになっている木製の階段です。昼の眺めにも味わいがありますが、夜景時のライトアップがまた綺麗なところで、夜であれば温泉に入った後夜風にあたるにはもってこいの雰囲気を持った一帯です。

昼間だったので夜風とはいきませんでしたが、一通り回った後に湯畑傍のカフェで一服。

一休みの後には次の目的地である温泉地、越後湯沢を目指しました。

アクセス

タイトルとURLをコピーしました