【”たびキュンパス”で三内丸山へ/7】旧石器・新石器時代と縄文時代

国内旅
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新旧の石器時代と人類の進化

旧石器時代と新石器時代

新石器時代(縄文時代)までの概略

旧石器時代のはじまりはこれまで約260万年前とされていましたが、2015年、ケニアのトゥルカナ湖西岸にて今から約330万年前の石器が発見されたことが(世界的な科学雑誌である)nature誌に発表されました(下表※1)。

日本人の始祖となるホモ・サピエンスたちは、アフリカからユーラシア大陸等を経て、最終的に約3万8千年前頃、後の日本列島エリアにたどり着くことになったと現在のところ考えられています(下表※2)。

この点、ホモ・サピエンスたちの一部が日本にたどり着いたことについて、単なる偶然ではなく目的意識に基づいた行動の結果である、と捉える説があります。

曰く、ユーラシア大陸の西端から『日出ずる処』を求めて東進(太陽が昇る東方への信仰に従って移動)した人々が最終的にたどり着いたのが現在の日本列島エリアだった彼らにとっての理想郷こそ後の日本列島にあたるエリアだったのだ、という見方ですね(※3)。

太陽信仰の痕跡は『古事記』で語られる日本神話にも垣間見られるだけに、“説の信憑性”を高めるところとなっています。

とはいえ、アフリカでホモ・サピエンスが誕生したのは約20万年前で、彼らが日本列島に到達したのは約3万8千年前、つまり彼らは約16万年もの長い年月をかけて日本列島にたどり着いたということになるのですが、そういう話しであればもう少し早く着いていてもよさそうなものだと思えなくもありません。

ただし、そもそも「3万8千年前に日本に到達した」という情報自体あくまで”現在のところ”の情報ですということで、このあたりが考古学の難しいところでもあるのでしょうが、ここは今後の新たな発見、及びそれに基づいた研究に期待といったところですね。

旧石器時代の終わりと縄文時代のはじまりは、それぞれ約1万6000年前から約1万2000年前までの過渡期に重複していますが、これは旧石器時代から縄文時代への移行が段階的に進んだことによっています。

結論として、縄文時代は約1万年もの長期間にわたって続いたとされることが一般的ですが(※4)、長らく続いたことの主要因としては、縄文人が自然と共生し、過度な欲を持たずに生活したことが挙げられるほか、弥生時代のように大陸からの影響を直接受けなかったことも然り、と考えられています。

ちなみに下表でまとめた浜北人や港川人などのホモ・サピエンス(新人)は、全て化石人類です。

化石人類・現代人双方の違い生き残れたかそうでないかにあるということで、縄文人・弥生人もまたホモ・サピエンスであり、子孫である現代人も然りです。

時期 主な種属 地質年代
約700万年前
~200万年前

猿人の時代
約700万年前~650万年前:人類のはじまり
サヘラントロプス・チャデンシス(チャド)


約400万年前~300万年前
アウストラロピテクス・アファレンシス
(エチオピア)

約300万年前~250万年前
アウストラロピテクス・アフリカヌス
中新世(新第三紀)
約2300万年前~

鮮新世(新第三紀)
約530万年前~
約450万~
約150万年前

猿人/原人の時代
約250万年前~150万年前
ホモ・ハビリス(タンザニア)
猿人(アウストラロピテクスなど)・原人(ホモ・エレクトゥスなど)双方の身体的特徴を持つ種属だと考えられています。

約250万年前~180万年前(?)
ホモ・ルドルフェンシス(ケニア)

旧石器時代のはじまり(330万年前~ ※1)
更新世(第四紀)
約260万年前
~約1万2千年前

約180万~
約5万年前?

原人の時代
約180万年前~数万年前(?)
ホモ・エレクトゥス(アフリカ)


約130万~約30万年前にかけて活動していたとされるジャワ原人(インドネシア)や、約70万~約20万年前にかけて活動していたとされる北京原人(中国)などが”エレクトゥス”に該当します。
約40万~
約4万年前

旧人の時代
約20万年前~数万年前(?)
ホモ・ネアンデルターレンシス
(ネアンデルタール人、ドイツ)

かつてネアンデルタール人は”ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス”だとされていましたが、現在は“サピエンス”種とは別種であると判断されています。
約20万~
1万2千年前

新人の時代
約20万年前~
ホモ・サピエンス
(現代人と同種、アフリカ単一起源)


約4万2千年前頃活動していたクロマニヨン人(フランス・スペイン等)や、約3万5千年前頃活動していた周口店上洞人(中国)などのほか、日本国内では、浜北人(静岡県浜松市、約1万8千年~2万年前)、港川人(沖縄県島尻郡八重瀬町、約1万8千年~2万2千年前)、山下町洞人(沖縄県那覇市山下町、3万2千年前。国内最古)などが”ホモ・サピエンス”に該当します。

約1万6千年前:縄文時代草創期開始
約1万2千年前:旧石器時代が衰退
(いずれも温暖化による環境変化が原因)
約1万6千年前
~約2300年前

新人の時代
縄文時代(新石器時代)
ユーラシア大陸の極東部から、後の日本列島にあたるエリアが分離します。

その結果日本に取り残される形となった縄文人たちは、日本列島やその周辺の島しょ部において約1万年に渡って繁栄し、後の時代の礎となる文化・社会を構築しました。
完新世(第四紀)
約1万2千年前~現在

地質年代については、概略を下記☆の記事でまとめています

参考

猿人・原人・旧人・新人

昨今は、”猿人”というカテゴライズの他、”原人・旧人・新人”というホモ(ヒト)属内部の区分が学術的に正しくない、とされる場合もあります(※1)。

例えば”旧人”(あるいは旧人類、旧型ホモ・サピエンス)という区分であれば、ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルターレンシスは既に異なる種であると判断されている、”旧人類”がおかしいのであれば対になっている”新人類”の呼称、すなわち旧人=旧型ホモ・サピエンスに対する新人=新型ホモ・サピエンスと言うとらえ方もおかしいだろう、そもそもホモ・ハビリスのように猿人と原人の特徴を併せ持つ種が存在している時点でその区分け自体がどうなんだろう、等々。

最終的にどういうロジックで”ダメ出し”されるに至ったのかまではよくわかりませんが、結論としては昨今の科学の進歩によって、旧来の区分け(猿人・原人・旧人・新人)が廃れていったということのようです。

ただし日本では、慣習的に用いる分にはわかりやすいといえばわかりやすいだろうということで、現在も“猿人・原人・旧人・新人”の呼称が併存したままとなっています。

参考

“旧石器”の態様と、道具の進化

石器とは、石を材料として作られた道具のことです。

人類が最初に使い始めた道具としてもお馴染みですね。

石器には大きく分けて打製石器磨製石器の2種類がありますが、旧石器時代に使われた打製石器は、ざっくり言うと石を打ち欠いて作った(だけの)石器です。

石の塊を打ち割って作った石核せっかく石器(※1)、剥ぎ取った石を加工した剥片はくへん石器(※2)、石の一部を打ち欠いたれき石器(※3)などがありますが、これらは狩猟や採取などの移動生活に合わせて作られました。

このほか旧石器時代には、動物の骨や角、つまり自然の素材を加工して作られた骨角器弓矢(動物の骨や角などの他、木材や黒曜石などを使用)なども使われています。

参考

その他、旧石器時代の文化・習慣

旧石器時代を生きた現代人の祖先たちは、上記した打製石器や骨角器など簡単な道具を利用しながら狩猟・採取を繰り返す移住生活を送り、やがて火の利用や埋葬を習慣化します。

人類が火を利用するようになったのは原人時代埋葬を開始したのは旧人時代(後期旧石器時代、ネアンデルタール人)だと現在のところ考えられていますが、”火の利用の習慣化”については、150万年前にジャワ原人がはじめたとする説や50万年前に北京原人が始めたとする説など、諸説が併存しています。

この時代の人々は群れをなし、野外や洞窟にて生活を営んでいました。

ほか、毎日の生活では精神的な充足も求められたのであろうことが、スペインのアルタミラフランスのラスコー(※4)で発見された壁画から伺えます。

壁画は共に旧石器時代のもので、クロマニョン人が残したと考えられています。

参考

旧石器時代から縄文時代へ

約1万6000年前頃、現在の日本列島エリアにて土器の使用が始まり縄文時代の草創期が幕を開けます。

とはいえ、そのことをもって旧石器時代が唐突に幕を閉じたわけではありません。

しばらくの間両時代の特徴が重なり合う時期を経て、徐々に旧石器時代の特徴が衰退し、縄文時代の特徴が顕著になっていきました。

氷河時代の終わりと地球環境の変化

旧石器時代を生きた化石人類たちにとって、さらには地球にとって、今から約1万2千年前に訪れた氷期の終わりは、それまでの生活環境・生活様式を一変させるに足る大きな転機となりました。

気候変動の影響を受ける形で16000年前頃から始まった縄文時代の草創期が、12000年前頃から始まった更なる温暖化の影響を受け、さらに加速することになった形ですね(11500年前頃から、縄文時代は草創期から早期へ)。

氷河期の地球の年平均気温現在よりも約5~10℃(地域によってはそれ以上)低かったと考えられていますが、この気候変動によって地球上の環境は大きく変化し、動植物の生態系も大きく変化します。

そのことが、最終的には人類の祖先の生活様式を大きく変える要因となりました。

縄文時代のはじまり -磨製石器・縄文式土器の登場-

気候の温暖化による狩猟対象の変化(動物の小型化)や、定住生活の開始、植物の食料利用など、生活環境が大きく変化する中で新たに登場したのが、磨製石器と呼ばれる研磨による加工が施された石器です。

打製石器よりも滑らかで鋭利な刃を持っているため、より複雑で高度な作業が可能となりました。

磨製石器の登場後、青銅器や鉄器などが登場するまでの時代は、世界史では新石器時代と呼ばれますが、日本史では少々事情が異なります

結論から言うと、日本の新石器時代縄文時代と呼ばれます。

日本では約1万6000年前頃から”旧石器時代”後への移行(過渡期)が始まるのですが、新石器=磨製石器が登場した約1万2000年前頃から、その動きが本格化しました。

そのため、単純に世界史的な区分によるのであれば、日本では約12000年前以降の時代が新石器時代に該当します。

ただしその時代の日本では、磨製石器の利用開始の他、この時代に作られた土器や独自の文化に顕著な個性があるため、特に“土器の特徴”を由緒とする形で縄文時代と命名され、かつそれが定着することになったんですね。

例えば縄文式土器と呼ばれる縄目の模様が付された土器が製造・使用されたことの他、高度な定住生活が営まれていたことや、当時の人々が高度な建築技術を持っていたと推測されること、遠隔地交易が行われていたと推測されること、自然と共生する精神文化が形成された時代であったこと、約一万年間という、悠久を感じさせるほどの長きにわたって続いたこと等々。

“磨製石器の利用開始”に留まらない多彩な個性がしばしば指摘される時代でもあったのですが、この約1万年に渡る縄文時代の間に、後の日本社会・日本文化のDNAともいえる土台が形成されることになりました。

余談として、日本史で”青銅器時代”や”鉄器時代”に該当する時代(それぞれ、青銅器の使用が広まった時代、鉄器の使用が広まった時代)は弥生時代と呼ばれますが、これは「日本では新石器時代が縄文時代と呼ばれている」ことと本質的には同様の理由に加えて、青銅器と鉄器がほぼ同時期に伝来し、それぞれ別の用途で利用されたことなどを主な理由としています。

参考

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