函館市内のキリスト教系施設
幕末の動乱の跡共々、函館市内で目立つのがキリスト教関連の施設です。
“港と教会”は国内の開港都市ではお馴染みの風景でもありますが、今回はかつて観光した3か所のキリスト教施設、函館ハリストス正教会・函館聖ヨハネ教会・トラピスチヌ修道院を紹介します。
カトリック元町教会は手持ちの写真が行方不明となってしまったため、トラピスト修道院は未訪のため、残念ながら共に今回は割愛しました。
函館ハリストス正教会
函館ハリストス正教会(公式サイト)は、旧函館区公会堂や元町公園、ペリー広場、旧イギリス領事館等がある基坂(参考:基坂・ペリー広場・元町公園)からは少し離れたところに位置しています。
西ヨーロッパで発展したローマカトリックや、いわゆるプロテスタント系の宗派とは異なる宗派(教派)のキリスト教を教義とする教会ですが、“ハリストス”は”キリスト”のギリシャ語読みで、日本国内の本部は神田駿河台(JR御茶ノ水駅最寄り)のニコライ堂=東京復活大聖堂(公式サイト)に置かれています。
正教会の教えは「キリスト教が生まれた中近東を中心に、ギリシャ、東欧から、ロシアへ広がり、日本へは幕末に伝えられ」(函館ハリストス正教会公式サイトより引用)ました。
幕末の1860(安政7)年に建立された初代の聖堂は明治の末期に焼失したため、現在の聖堂は1916(大正5)年に建立された二代目のものです(参考:函館ハリストス正教会公式サイト “教会の歴史“)。
函館聖ヨハネ教会
函館聖ヨハネ教会(日本聖公会北海道教区 “函館聖ヨハネ教会“)は、函館ハリストス正教会に隣接する英国教会系の教会です。1874(明治7)年に道内最初の聖公会として活動を開始し、現在の聖堂は1979(昭和54)年に竣工しました。
聖ヨハネ教会が属する“聖公会”は、テューダー朝の第二代イングランド国王・ヘンリー8世を始祖とし、16世紀に当時のローマ・カトリック教会から分派した英国国教会を母体としています。
英国国教会自体、その誕生がヘンリー8世の私情(自身の離婚問題を理由とした、時のローマ教皇との対立)に拠っているという英国一流の”宗教改革”を経ることでカトリックから枝分かれしているため、形式的・歴史的にはプロテスタントの宗派に区分されつつも、教会組織や儀式・典礼等においてはカトリックの要素を色濃く持った宗派であるといわれます(参考:【山手本通り歩き】横浜山手聖公会)。
付近には前記した函館ハリストス正教会の他、カトリック元町教会(公式サイト)もあるという、かつての文明開化の発信源を思わせるところに位置しています。
トラピスチヌ修道院
トラピスチヌ修道院(厳律シトー会 天使の聖母 トラピスチヌ修道院公式サイト)は、函館市の郊外に位置する、カトリック教会の女子修道院です。
1898年(明治31)年、フランスのナンシー近郊のウプシー修道院から派遣された8名の修道女によって創立されました(公式サイトより引用)。
神の教えの下、厳しい戒律に基づいた毎日を過ごす場が修道院で、男女別住の環境下、修道士・修道女には祈りと労働に従事する日々が課せられています。
函館のトラピスチヌ修道院では、修道女は午前3時30分起床、その後読書や黙とう、祈り、労働などをして過ごした後、午後7時45分に就寝するという生活を送っているようですが、函館市のお隣北斗市に位置するカトリック教会の男子修道院、トラピスト修道院(公式サイト)では、修道士はトラピスチヌ修道院の修道女同様3時30分起床、夜は20時就寝の毎日を送っているようです(公式サイト情報より)。
ということで、修道院は観光可でありつつもそのこと自体が主目的とされている施設ではないため、見て周れるエリアは前庭や売店併設の資料室など、一部に限定されています。