【開港都市の風景/2023長崎】湊会所跡(オランダ坂入り口付近)

西日本
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運上所・税関のルーツ”湊会所”と、旧居留地の跡

湊会所跡と長崎会所跡

“湊会所”長崎税関湊会所跡“)は、1859(安政6)年、いわゆる”安政の五か国条約“締結によって改めて開港地に指定された長崎にて、現在で言うところの税関の役割を果たすことになった幕府の機関です。

オランダ坂の入り口付近に”跡地”であることを示す石碑が置かれていますが、

元々長崎においては、オランダと中国に対して(出島に作られた)窓口が開かれていた江戸時代以来、長崎奉行所傍に位置していた”長崎会所”(長崎税関 “長崎会所跡“)が、後の湊会所の役割を務めてきました。

現在、旧・長崎奉行所跡地にあたる長崎歴史文化博物館公式サイト)傍に、

そのことを示す碑石と案内板が置かれています。

幕末の”開国”にあたり、新たに長崎に湊会所が設置されますが、

元々は“長崎会所”の一部という位置づけだったようです。

本体である長崎会所の方はやがて1874(明治7)年に裁判官の官舎となり、”一部”であった湊会所も1863(文久3)年には運上所と名称変更しますが、やがて運上所が大浦海岸通沿いの地に移転すると、1873(明治6)年、運上所は”長崎税関”へと名称を改めることになりました。

大浦東山手居留地跡

坂道沿いに複数の西洋館旧・居留地時代からの縁がある学校が並び立つというオランダ坂入り口付近には、かつてここが外国人居留地だったことを示す石碑が置かれています。

“ここからオランダ坂が始まります”といった目印にもなり得る石碑ですね。

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