鶴ヶ城周辺の史跡5
遠藤十次郎記念碑

会津藩統治時代の鶴ヶ城(公式サイト)には桜はほとんど咲いておらず、城内ではなく、お城の周辺に十数本あった程度だったと言われています。
これに対して現在の鶴ヶ城は、四季折々の風情と共に春は桜の名所として親しまれています。
「桜の中の鶴ヶ城」は、まさに「日本の春」を思わせる風景の一つですね。
「華やかでどこか儚い桜の開花」は、「美しく咲いて潔く散る」という、武士道が理想としたと言われる現世への執着を超越した崇高な精神ともしばしばその印象が一体化しますが、このこととも強い因果関係を持った結果のイメージではあるのでしょう。
その昔の会津藩でいうところの「什の掟」を思わせるような、あるいは佐賀鍋島藩で伝え読まれてきた「葉隠」なども根底に含むような武士道イメージはまた、「花は桜木人は武士」という古き良き日本的な美意識とも一体化しているように映りますが、意外にも(?)その昔の武士にとっては必ずしもその限りではなく、むしろ「早く散る=縁起が悪い」ととられていた節もあったようです。
しかし時代が変われば価値観も変わるということで、旧・会津藩領において「時代の節目」は明治の終わり(明治41年=1908年)に訪れました。
会津松平家よりお城の整備・管理を任されていた旧会津藩士の遠藤十次郎さんが、三の丸エリアに陸軍歩兵第65連隊の演習場が設置されたことを記念し、同志と共に鶴ヶ城内外に1000本のソメイヨシノの桜苗を植樹します。
このことが大きなきっかけとなる形で、以降の鶴ヶ城は、桜の名所としての成長を始めることとなりました。

余談として、1000本のソメイヨシノの桜苗で鶴ヶ城に彩りを添えた遠藤十次郎さんはまた、磐梯山噴火後の裏磐梯の緑化事業に尽力した人物でもあるようですが、2014年(平成26年)、これらの業績が称えらる形で、鶴ヶ城三の丸エリアに記念碑が設置されました。
碑は、鶴ヶ城のパーキング入り口付近に位置しています。
参考:会津藩校日新館 “什の掟“、さがの歴史文化お宝帳 “葉隠とその教え“、佐賀県公式サイト “葉隠“、一般財団法人 会津若松市公園緑地協会 『鶴ヶ城公園の碑』(平成28年5月26日)

