【変わりゆくアキバ】秋葉原が”オタク”の街だったのって、果たしてどの程度の期間?

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秋葉原の戦後、”アキバ”の平成・令和

“オタクの街”の盛衰

秋葉原と”オタク”

秋葉原は元々戦前以来の”電気の街”だったことから、戦中・戦後の混乱期を経て”電気街”としてのスタートを切ると、主に当時の家電需要に応える形で高度成長期を通じて成長し昭和後半~末期には全盛期を迎えます(※)。

概ねそのあたりが秋葉原の本流ともいえる成長の跡ですが、その後平成期に入って家庭用ゲーム機やPC、さらには周辺AV機器の普及という「本流」が作った流れに乗る形で起こったのが、ハードを媒介したソフトによる火付けであり、ここに始まるのが突然変異ともいえる「オタクの街」としての秋葉原への流れでした。

元々はどちらかと言うと工学部や工業高校、あるいは工業系専門学校といった理系側のオタクが基盤を築いていたところに、アニメ・ゲーム・漫画など必ずしも「電気」に拘泥しないコンテンツのオタクが集まるようになった結果、それまでのハード一辺倒状態からソフトも並び立つ構造へと変化を始めます。

参考

日本のオタクと海外のオタク

「アキバの戦後史」を概観した場合、いわゆる「オタクの街」の全盛期は、秋葉原の長い歴史の中ではごく短期間、概ね90年代後半から00年代(平成中期~後期)に訪れた奇跡的なピークだったと捉えるのが正確なところではありそうです。

この短期間の盛り上がりは「オタクの街・秋葉原」の一般的な認知度を高め、かつ「オタク」という呼称自体が単なる蔑称の域を脱していく流れを作り上げるのですが、その背景には海外からの一部訪日客、つまり海外のオタクたち「アキバ的なコンテンツ」(ゲーム、アニメ、漫画等々)、さらには秋葉原の街自体が抜群にウケたという事情が含まれていました。

近代以降の日本史では毎度お馴染み、外圧による矯正ですね。

通例との違いといえば、それが終始好意的な熱意と共に進んだ点でしょうか。

この勢いに便乗したマスコミや行政が、秋葉原を起点としたサブカル一般に「クールジャパン(Cool Japan)」としてのお墨付きを与えたのもオタクの街・秋葉原全盛期のことですが、全ては日本産コンテンツの質に裏打ちされたアキバの盛り上がりあってこそだったということで、「たかが一時期、されど一時期」なのは看過できない点となっています。

参考

オタクの街・秋葉原の衰退とは

オタクたちが前ほどアキバを推さなくなった、と言った意味での”下降線”へのターニングポイントは概ね盛り上がりのピーク(00年代半ば以降、10年代前半)に隣接しているとみられることが多く、理由については、

  • ネット通販が発達したから、結果的に現地の商売の規模が縮小していった
  • はじめは細々楽しまれていたはずのコンカフェ(ex.メイド喫茶)等の数が、適正数を超えて激戦化していった(露骨な商売や非合法な商売も増え、巡り巡って治安が悪化した)

といった辺りが恐らくは万人の見解が一致するあたりではないかと思えます。

ほかにも、

  • 中央通りにドンキが来たから
  • ヨドバシカメラが秋葉原に進出したから

等々が理由として挙げられる機会も、それが的を射た見方になっているかどうかはさておき、多々あったように記憶しています。

要は経済で言うところの”ミクロ”的な部分の事情、すなわち街の変化に伴う来訪者層の変化と、そのことを主な理由とする購買者の消費スタイル・選好自体の変化が災いしたと捉えられることも多かったということですが、確かに、再開発“オタクの街”にとっては必ずしも吉と出なかったことは、”衰退”の大きな理由の一つではあったでしょう。

秋葉原の再開発はつくばエクスプレス開業(05年8月)に伴うもので、ほぼ同時期には駅前にUDXが開業するなど、秋葉原という街自体が大きな改変期を迎えていました。

参考

今のアキバ、今後のアキバ

アキバから地方の町おこしへ

オタクの街全盛期だった90年代前半〜00年代前半頃の秋葉原は、クリエイターの創造物がリアルを規定する「夢の街」としての異彩を放っていた上、魅力そのものも「オタク文化の集積地」的な部分に宿っていました。

その後時は流れ、かつてのサブカルチャーが”アキバ”の繁栄によって国の後押しを受けたメインカルチャーの一端となると、秋葉原の街自体も変革の時を迎えますが、ここでかつては秋葉原に求められていたはずのものが各々の作品の”聖地”に求められるようになったという新しい動きが始まります。

今では”地方の町おこし=アニメ、ゲーム“という形が割と鉄板になりつつあるところもありますが、これは成長した”オタク文化”が秋葉原という”ハブ”を必ずしも必要としなくなったことも意味しているのでしょう。

一方で、そのような文脈の延長で語られる昨今の「衰退論」の一部には、単に当時の熱狂との相対的な比較、つまり表面的な変化に終始して評す節があるように感じられる場合も、あるにはあります。

要するに、表面的な衰退が全てを衰退させたのか、この点には疑問が残るということですね。

参考

2020年代の秋葉原(オススメYouTube動画)

Active Otaku Channel “【コロナ前後】秋葉原は本当に衰退している?【総集編】”

それでは、まさに今のアキバの本当のところはどうなのか。

ここでオススメさせていただくのは、まさにそのままのタイトルがついている”今の秋葉原紹介動画”です。

“コロナ禍前後を比較する”(コロナ禍を経てアキバはさらに衰退していると巷では言われているが、それは果たして本当か?)という検証動画ですが、結果としてはとても楽しい動画になっています。

投稿主さんが今の秋葉原を楽しむことが出来たらからこそ作れた動画なのだということで、なんてことはない、今でも普通ににぎやかに栄えている、むしろ今だからこそという秋葉原を味わうことが出来るということを、この動画が教えてくれます。

個人的には「むしろコロナ前と比べるとボチボチ復調傾向が出てきている面もある」ことが衝撃でした。

YouTubeで”秋葉原”で検索すると、今でもものすごい数の新作優良動画がわんさか出てきますし、一つ一つの動画が醸すわくわく感にも結構なものがあります。

その中の一本には、

トレバー・バウアー “僕はプロ野球選手であり…オタクでもある!”

現横浜DeNAベイスターズ所属の最強助っ人、サイ・ヤング賞受賞投手であるトレバー・バウアー投手が、23年の在籍時にアキバを満喫した旨、自身のYouTubeチャンネルにアップしたものもありました。

やはり「衰退が言われたところで、されど東京23区」なんですよね。

結論としては「今でもまだまだいけます」「今のアキバは今のアキバで、十分楽しいです」というところに落ち着きそうです。

なんとなく、今の秋葉原にピッタリくるように思える一冊

西村京太郎『浅草偏奇館の殺人』(文春文庫、2000.1.7)

“エロ・グロ・ナンセンスが一世を風靡する昭和7年の浅草六区”が舞台とされた猟奇(?)ミステリで、かつてギラついていた”浅草六区”が鮮明に、今現在の浅草がややくすぶり気味に描かれているあたりが、謎解きに勝るとも劣らないという本作のメインの味わいどころです。

翻って、そう遠くない将来、いずれは今の秋葉原にも”浅草偏奇館”でいうところの浅草六区に該当するような未来が訪れることになるのかもしれないと考えると、それはそれで心に沁みてくる一面があるようには感じました。

現実の中で懐かしい風景をかみしめたい気分になったときの、おすすめ書籍です。

参考

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