旧古河庭園
about 旧古河庭園
旧古河庭園は、第二次伊藤博文内閣で外相を務め、領事裁判権の撤廃に尽力した陸奥宗光氏が所有した敷地上に、陸奥宗光氏の次男・潤吉氏が養子・二代目当主となった古河家が造園した庭園がベースとなっています。
元々は現在とは違う形の庭園があったところ、古河家二代当主・古河潤吉氏の後継にあたる三代目当主の古河虎之助氏が、新たに現在の洋館・庭園を整備しました。
歴代庭園所有者の経歴、および公園の現状は中々華やかですが、かつて所有者を取り巻いた事情や庭園自体の命運は、中々に波乱万丈です。
まず、古河家は十五大財閥の一つ”古河財閥”の当主・古河家です。
古河財閥自体、現在の古河電工、富士電機、富士通などを傘下に所有する大財閥だったのですが、戦後の占領統治下、GHQの指令によって財閥は解体され、個々の企業が独立することとなりました。
次に、洋風庭園と西洋建築は大正6年(1917年)に、和風庭園は大正8年(1919年)にそれぞれ竣工し、古河家の所有となるのですが、戦後は古河家の手を離れて大蔵省の管轄下に置かれます。
こののち、旧古河庭園にとっての受難と波乱の時が訪れました。
占領統治時代はGHQに接収され、イギリス大使館付き駐在武官の独身寮として6年使用された後に接収解除、その後30年間ほど無人の状態で放置された結果、ひところの洋館は”お化け屋敷”と称されたほどの廃墟状態となったようです。
その後昭和58年より6年がかりの修復が行われ、平成元年より、都が国より無償で借り受ける形での古河庭園の一般公開が開始されました。
平成18(2006)年より、古川庭園は国の名勝に指定されています(文化遺産オンライン:旧古河氏庭園)。
JR京浜東北線の上中里駅か、東京メトロ南北線の西ヶ原駅が最寄りです。
(参考:旧古河邸 “旧古河邸について“、旧古河庭園 “この公園について“)
秋の旧古河庭園
今から約5年ほど前。2016年の、旧古河庭園の様子です。
威風堂々としていながらおしゃれな雰囲気も漂わせているという西洋館は、庭園のシンボル的存在になっていますが、秋になると、庭園内を彩るダリアや、
バラの盛期にかぶり、さらに華やかになります。
庭園内の西洋風庭園は、西洋館を取り巻くような形で作られているので、
そこを少し離れると、
隣接する和風庭園エリアに入ります。庭園の大半が和風庭園で、そこに西洋館と洋風庭園が付いているという、和風庭園が洋風庭園を包含している感じですね。
西洋館すぐ傍、”洋風”エリアにはステージがあって、この日は野外コンサートが催されていました。