1・17と東遊園地
1.17希望の灯り
東遊園地に南側から入って割とすぐのところにあるのが、“1.17希望の灯り”と銘打たれた、震災で犠牲になられた方のための慰霊施設です。
西暦ではいよいよ次の1000年紀に入ったということで、何かにつけて“ミレニアム”と騒がれた年である2000年の1月17日。5年前(95年)の地震発生時刻である午前5時46分に、全国から届いた種火が一つにされ、残されることとなりました。
“生きている証”(震災で犠牲になられた方の、生きた証)が表現されているという種火は、今では他被災地へも分灯されているとのことです(※)。
みなとのもり公園からKIITO、神戸税関経由でここまで来た時、改めて神戸にとっての震災の大きさを思い知らされたような、なんとも言えない気分になったポイントでもありました。
東遊園地の中では、南側の方に位置しています。
参考
- 【開港都市・神戸の風景】日本初の西洋式運動公園・東遊園地(旧居留地内、三宮中心部)
- 東遊園地公式サイト
- 神戸の慰霊碑を尋ねて “東遊園地【1.17希望の灯り】(※)
- 【開港都市・神戸の風景】みなとのもり公園(神戸震災復興記念公園)
- 【開港都市・神戸の風景/生糸貿易の跡】”KIITO”と旧・生糸検査所
- 【開港都市・神戸の風景】神戸税関(KIITO隣、三宮臨海部)
慰霊と復興のモニュメント
“1.17希望の灯り”のすぐ隣には、平成12(2000)年に完成した“慰霊と復興のモニュメント”があります。
予備知識は持っていた”つもり”の震災の爪痕でしたが、思っていた以上に深そうだなんてことを感じさせられたのは、このモニュメントのあたりからでした。
パッと見た感じ”公園の噴水かな?”という見た目で、実際そういう機能も持っているのですが、
噴水には”慰霊”の含意もあります。
噴水の下に作られた通路沿いには、モニュメント建設募金に寄付した方々の名前が刻まれたプレートがあり、
さらに奥へ進むと、震災で犠牲となられた方の名前が刻まれた一角へ。
慰霊施設の中心部では、死者数・数千名以上(正確には、施設が作られた平成12年の時点で6432名。その後新たに判明した情報もあったようです ※)という被害状況が視覚化されています。
阪神大震災の規模や震度をはじめ、具体的な被害状況等も施設内にまとめられています。
東日本大震災や能登半島地震と同規模の”震度7”も目を引きますが(※2)、関東大震災同様地震後の火災発生による被害が深刻だった点もまた、被害状況を考える上では看過できないポイントですね(※3)。
天井に噴水のような施設が造られていることによって、モニュメント内部にはしめやかな雰囲気が用意される形になっています。
モニュメント外部へ出ると、早春の青空の下、いつもと変わらぬ神戸の街と、神戸の街に刻まれた”歴史の爪痕”のコントラストが映えています。
すぐ右がモニュメント、正面は神戸市役所、公園内左側前方には”1.17希望の灯り”です。
改めて、阪神大震災で犠牲となられた方の無念を悼み、謹んでご冥福をお祈りします。
参考
- 神戸市公式サイト “慰霊と復興のモニュメントの概要“
- 内閣府防災情報 “阪神・淡路大震災の概要と被害状況“(※)
- 気象庁公式サイト “「阪神・淡路大震災」特設サイト“(※2)
- 同 “日本付近で発生した主な被害地震(平成8年以降)“(※2)
- 内閣府防災情報 “阪神・淡路大震災における 火災からの教訓“(※3)
- 防災首都圏ネット “地震はなぜ起こる? – 震度とマグニチュード“
皇后陛下御歌碑
“モニュメント”などのすぐ傍、やや北側には皇后陛下御歌碑が置かれています。
公園内、中央部に近づいたところですね。
「平成18年、時の皇后陛下(現・上皇后陛下)が、歌会始において神戸の街を思って詠まれた歌」である、という説明も付されています。
復興のシンボル・オリーブの記念樹
同じく公園の中央部、遊歩道沿いには、神戸復興への祈りを込めた”オリーブの植樹”があります。
震災の翌年である平成8(1996)年、イタリアから寄贈されたものです。
今では苗木が大きな木になっているというあたり、現在の神戸の街並み同様、震災からの時間の経過を思わされるところですね。
阪神大震災の記憶
地震発生時刻に倒れた像とその時に止まった時計が、震災後に修繕され、地震発生時刻で止まっている時計と共に復活しました。時計の時刻が地震発生時のままにされていることには、「震災の記憶を永遠にとどめるため」という含意があるようです。