【上信越18きっぷの旅】神話の世界のお話と彌彦神社、天香山命

国内旅
この記事は約10分で読めます。

“記紀”と天香山命、饒速日命

高天原と豊葦原水穂国

二つの天孫降臨神話と”神武の東征”

ざっくり言うと、天上界の神々たちが如何に日本を造り、如何に統治していったかがテーマとされているのが記紀神話(古事記・日本書紀)の世界の物語ですが、その中に含まれる神話の一つの形に、いわゆる天孫降臨神話があります。

天孫=天照大神の子孫による、天上界=高天原からの降臨物語ですね。

“出雲の国譲り”、および日向国ひむかのくに・高千穂への”天孫降臨”として二通りに語られている神話ストーリーは、もちろん、”記紀”においてはそれぞれ独立した別個の神話として語られているのですが、そのいずれも、皇祖神(=皇室の祖先として、伊勢神宮で祀られている神)である天照大神あまてらすおおみかみの孫・邇邇芸命ににぎのみことが、天照大神の命を受ける形で(高天原より、地上界=葦原中国へと)”降臨”しています。

“降臨”は時系列的には”出雲→日向”(地上界=葦原中国の具体的などこそこ、例えば出雲であり、あるいは日向であり、という形ですね)で進みますが、さらに時は流れて天照大神の5世孫(孫の孫)である神日本磐余彦天皇かんやまといわれびこのすめらみこと=神武天皇(初代天皇)の時代になると、彼もまた邇邇芸命と同じ日向国・高千穂へ”天孫降臨”し、有名な”神武の東征“へと進みます。

邇邇芸命の天孫降臨同様、”筑紫つくし日向ひむか高千穂たかちほ“に降臨し、国を治めるべき拠点を求めて東に進んだ結果、最終的に畝傍橿原宮うねびのかしはらのみや(現在の奈良県・大和盆地)に拠点を落ち着けることになるのですが、察するに、古代”日向”は高天原にとっての重要拠点だったか、あるいは降り立ちやすい地だったということなのでしょう(実際、この点には諸説あるようです)。

ともあれ、全ては神々たちが生み作った国を、実り多く平穏に統治するためではありますが、時の日本、葦原中国(豊葦原水穂国)において、既述のように”天孫降臨”は度々行われました。

一連の流れを彌彦神社との関連で見ると、“神武の東征”で神武天皇と行動を共にして手柄を挙げたという饒速日命にぎはやひのみこと子にあたる神が、彌彦やひこ神社の主祭神であり、やがて神武天皇の勅命によって”越後開拓の祖神”となっていくという、天香山命あめのかぐやまのみことです。

参考

出雲の国譲りと”天孫降臨”

“出雲の国譲り”は、

天照大神の意向によって大国主神おおくにぬしのみことが造り上げた葦原中国あしはらのなかつくに豊葦原水穂国とよあしはらのみずほのくにが、天照大神の孫・邇邇芸命ににぎのみことに譲られることになった

「その代わりとして、大国主神には壮大な宮殿=出雲大社が与えられることとなった

とされている、記紀に記された神話です。ポイントは、

  • 大国主神が、根堅州国ねのかたすくに(後述)をベースに葦原中国を作り上げた
  • 天照大神が、大国主神に国(=葦原中国)譲りを打診
  • “国譲り”を巡って、一度はもめることになった
  • しかし結果として邇邇芸命が”天孫降臨”し、大国主神から国を譲り受けた
  • 大国主神には、壮大な出雲大社が与えられた

という点です。

ここでいう出雲はもちろん現在の島根県出雲市、出雲大社も、現在の出雲大社です。

大国主神は、元の名を”大穴牟遅神おおあなむじのかみ“という、皇祖神・天照大御神の弟である須佐之男命すさのおのみことの6世後の子孫(孫の孫の子供)にあたりますが(古事記より)、様々な苦難を乗り越えた後、須佐之男命の娘(須勢理毘売命すせりびひめのみこと)と結婚し、根堅州国ねのかたすくにの統治を須佐之男命より託されると、やがて葦原中国あしはらのなかつくにを作り上げました。

そこで天照大神は、須佐之男命と自身の”うけい”(占い)によって誕生した子である天忍穂耳命あめのおしほみみのみことに、今や葦原中国(豊葦原水穂国)となった元・根堅州国を統治させようと考えたんですね。

根堅州国ねのかたすくにとは、高天原たかあまのはらではない、かといって黄泉国よもつくにでもない、荒涼とした原野のような国だったとされていますが、大穴牟遅神=大国主神がそんな”原野”を葦原中国あしはらのなかつくに豊葦原水穂国とよあしはらのみずほのくに)に作り上げたタイミングで、(6代前のご先祖様であり、かつ義父でもある須佐之男命の姉にあたる)天照大神が労をねぎらい、以降は自分たちが統治を変わる旨、(大穴牟遅神=大国主神に)申し出たんですね。

失礼ながら、いくら自身の偉大なご先祖様のなされたありがたき申し出であるとは言え、さすがにそれだけだとパッと見真意がよくわからない提案でもあるのではなかろうかと思うのですが 笑、要は天照大神による、自身の子孫への、「いままで大変だっただろう。どうかこの先の統治は我々に任せて、あとはゆっくりしてください」といった申し出ではあったようです。

ということで、やはりそれでも色々あった(一部、別記事でまとめます)後に、結論として(天照大神の子である)天忍穂耳命あめのおしほみみのみことの子、邇邇芸命ににぎのみことに葦原中国(豊葦原水穂国)の統治が譲られ、大国主神には荘厳な出雲大社が与えられることとなりました

・・・というのが、”出雲の国譲り”の要旨のあらましです。

出雲「の」国譲りというよりは、(邇邇芸命の”天孫降臨”によって成立した)出雲「にて行われた」国譲り、という感じの神話ですね。

以降、豊葦原水穂国は代々天照大神の御子(=子)によって支配されると同時に、出雲大社は大国主神に任され、やがて大国主神が祀られることになりました

余談として、大国主神は、兄弟たちにいじめられていた白兎を助けたことから、最終的にウサギをイジメていた兄弟たちが憧れていたという八上比売やがみひめと結婚することになりました、という逸話も持っています(二人目の奥さん、ゲットだぜ!ということですね)。

以上は有名な”因幡の白兎”の物語の”超ざっくりあらすじ”ですが、この物語も出雲大社が”縁結びの神様”だと言われていることに一役(?)買っているようで、出雲大社の境内には、たくさんのウサギの石像(小)が置かれています。

ちなみに、古事記で”6世孫”とされている須佐之男命・大国主神間の親等ですが、日本書紀では実子とされ、さらに出雲の国風土記では”双方に親子関係無し”とされているようです。

「!?」

ということで、ここではさしあたり古事記をベースとしつつ、なおかつ親等以外の部分をしっかり把握した上で、先に進むこととします。

参考

“日向国”への天孫降臨

次に日向国ひむかのくに・高千穂への天孫降臨についてですが、高千穂に”降臨”するのは前記”出雲の国譲り”と同じく、天照大神の孫・邇邇芸命ににぎのみことです。

葦原中国(=豊芦原瑞穂国)が”国譲り”によって天照大神の配下となり、大国主神が出雲大社の主となった後に、改めて日向国高千穂に天孫(天照大神の孫である邇邇芸命)が降臨しました。

天孫降臨後の邇邇芸命の詳細については、記紀では詳しく触れられていないようですが、各地に遺された言い伝えなどを元に推測するのであれば、邇邇芸命は概ね、天照大神の命の通りに葦原中国の統治を進めることが出来た、と考えることが出来るようです。

余談として、”記紀”の中には、順調に邇邇芸命の統治が進んでいるのであろうことを推測させる記述と共に、とあるとてつもなく人間臭い選択をしてしまった(美醜二人の嫁を同時に貰った時に、美人のみを手元に置き、そうでない方を実家に帰してしまった)がために、その繁栄を子々孫々に至るまで限定的なものにされてしまったというような逸話が記されています(が、特にそれ以外に決定的な失敗をした、という記述は見当たりません)。

ともあれ、”天孫降臨神話”から所々垣間見えてくるのは、やはり“時の日本の荒れっぷり”です。

この点は、どこか悠久を感じさせる”高天原”陣営とのコントラストが鮮やかに見える所でもあるのですが、根堅州国や葦原中国とのかかわりを通じて伝わってくるのは、結局のところこれが時の日本の実情だった、つまりは高天原から繰り返し”天孫降臨”を行わなければならないほどに国が乱れていたのだとも取れるところで、弥生時代から古墳時代にかけての日本の情勢にどこかピッタリくる話しとなっています。

参考

高天原と葦原中国、黄泉国

黄泉国(よもつくに)

日本神話(古事記や日本書紀など、古代の正史)の世界において、高天原たかあまのはら神の住まう天上界とされる国です。

すべてはここから始まったという、日本神話における創造主たちの国ですね。

対して葦原中国豊葦原水穂国は、天界(高天原)と”黄泉国よもつくに“の中間にあったとされる国で、地上界全般を指し示していますが、”黄泉国”や”葦原中国”のはじまりには、日本の国土を生み出したとされる伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊耶那美命(イザナミノミコト)の夫婦二神が深くかかわっています。

天地のはじまりに生まれ出た神々の内の二神、イザナギ・イザナミは、地上界に降り立って夫婦となりますが、”国生み”の最中にあって、故あって奥さんのイザナミが先に亡くなってしまいます。

悲しみに暮れる夫・イザナギは、イザナミに会いたい一心でイザナミのいる死後の国である”黄泉よみの国”へと赴くのですが、そこで見たのはかつて自分の奥さんであったイザナミの変わり果てた姿でした。

ということで、寂しすぎて会いに行ったはずのイザナミの元から、今度は恐ろしさのあまり逃げだすことになってしまった末、最終的にイザナギは”黄泉の国”へのルートを巨岩で塞いでしまいました

余程恐ろしかったのだ、ということなのでしょう。

ということで、この時に死後の世界である”黄泉国よもつくに“と実在の地上界全般である”葦原中国”が巨岩によって分け隔てられ、二つの世界に分離されることとなりました。

イザナミを失ったイザナギが悲しみに暮れる様子や、我慢できずに会いに行く様子、さらには変わり果てた姿を発見してしまってから、最終的に黄泉国への道を巨岩で塞ぐに至るまで。一連の顛末には、ドラマチックだったりホラーな恐怖があったり神々の戦いを思わせる一幕があったりといった感じで、様々な妙味深い起伏があるのですが、その顛末については青空文庫で概要を閲覧することも可能です。

参考

  • 青空文庫 “古事記“(”黄泉の國”の項)

葦原中国、豊蘆原水穂国

まずは天界(高天原)があり、対置する世界として”黄泉(よみ、死後の国)“がある、その中間に位置していて、かつ”黄泉国”とは切り離された”現実世界”(天上界ではないし、かといって死後の世界でもない)とされているのが、葦原中国あしはらのなかつくに(端的な表現)、あるいは豊葦原水穂国とよあしはらのみずほのくに(美称)です。

根堅州国、葦原中国、豊葦原水穂国が全てイコールで繋がれているわけではありませんが、「神々の努力・活躍によって、根堅州国(未開の地)は葦原中国(およそ人が暮らせる地)へ、さらに豊葦原水穂国(自然の恵みが豊かな地)へ」と捉えると、概ねそれが神話のストーリーにも沿う解釈となります。

神話の世界の足跡

日向国ひむかのくに(高千穂)は現在の宮崎県高天原の所在については、想像上の天界であるとする考え方の他、九州にあったとする説、畿内にあったとする説、関東にあったとする説など、“記紀”の記載や古社の存在が根拠となる形で、現在も諸説あるようです。

望まずして黄泉国と葦原中国を分離することになってしまったというイザナギが”筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原“にて禊を行ったところ、その左目から生まれて来たとされるのが“天に輝くような至高の神”、皇祖神である天照大御神ですが、この時イザナギの右目から生まれて来たとされるのが月読命つくよみのみこと、イザナギの鼻から生まれたとされるのが須佐之男命すさのおのみことです。

“ツクヨミ”はアマテラスとは反対に夜を統べる神、”スサノオ”は既述のように、やがて6世代後の子孫である大穴牟遅神おおあなむじのかみ大国主神おおくにぬしのみことに、後に葦原中国=豊蘆原水穂国となる根堅州国ねのかたすくにを託した神ですね。

ところで。

現在島根県には、出雲の国譲り神話と深い関連性を持つ荒神谷こうじんだに遺跡や、“黄泉の国”への入り口であるとされる黄泉比良坂よもつひらさかなどの史跡が遺されているほか、イザナギが禊を行い、天照大神や須佐之男命を生んだとされる阿波岐原あわきがはらの「みそぎ池」が、宮崎市阿波岐原町の公園に遺されています。

“ご当地”に遺された遺跡の態様もまた、日本神話が全くの架空の物語ではないことの証明となっているんですね。

参考

荒神谷遺跡

黄泉比良坂

みそぎ池(宮崎市)

タイトルとURLをコピーしました