【開港都市の風景/00年代の函館 その11】新島襄海外渡航の地

東北/北海道
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新島襄海外渡航の地

新島襄海外渡航の地函館市公式観光情報新島襄海外渡航の地碑“)は、幕府によって海外渡航が禁じられていた当時、アメリカへの密航を企てた新島襄が、アメリカへ渡航するために上海行きのアメリカ船・ベルリン号に乗船した地です。

基坂の西隣、

かつ東坂の傍で、海が望める場所に位置しています。

函館を出港後、上海経由でボストンへ渡った新島襄は、フィリップス・アカデミー、アーモスト・カレッジ、アンドーヴァー神学校などで学ぶことによって”キリスト教の人間形成が近代国家の形成に果たす役割の大きいことを認識”(同志社大学公式サイトより引用)し、明治7(1874)年に宣教師として帰国すると、翌明治8(1875)年にはのちの同志社大学の前身である、同志社英学校を京都に設立しました。

1952(昭和27)年、函館市が同志社大学から”新島襄海外渡航”記念碑面の寄贈を受けると、その2年後には現地に”地碑”が建立されていますが、一帯は函館にとっての記念地であると同時に、同志社にとっても”聖地”となっていることがうかがえます。

参考:同志社大学公式サイト同志社の歩み 新島襄と同志社“、”同志社の歴史

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