18きっぷ旅と夕暮れ時
新潟県との県境に位置する山形県の鼠ヶ関駅にて夕暮れ時の街歩きをした後、中々綺麗な夕焼けや月の出を見ることが出来たのですが、以下では、「なぜ夕日が赤く見えるのか」について、簡単にまとめました。
参考:【群馬/新潟青春18きっぷ旅:二日目その6】鼠ヶ関駅より、復路の羽越本線・白新線へ
可視光線と電磁波、光子
可視光線と波長
人間の目が色を色として認識できるのは、”可視光線”と呼ばれる電磁波が持つ、波長(周期の長さ)の違いのゆえだと考えられています。
波長とは一周期の長さ、要するに一塊の波の山から山、あるいは谷から谷への長さのことです。
例えば赤色が赤く見えるのは可視光線が“赤色に見える”周期の長さを持っているため、青色が青く見えるのは同様に“青色に見える”周期の長さを持っているためですが、X線や紫外線、赤外線、電波等々といった様々な種類の電磁波の中で、たまたま人間の目がそれを色として捉えることができるごくわずかな範囲の電磁波が”可視光線”と呼ばれているんですね。
余談として、周波数とは、この「山から山」あるいは「谷から谷」の動きが一秒間に何度繰り返されるかを、Hz(ヘルツ)という単位で表したものです。
1Hzであれば一秒間に一回のみ、可視光線の周波数は380〜790THz(テラヘルツ)です。
テラとは1012倍=一兆倍を表す単位なので、つまりは一秒間にそのくらい膨大な「一塊の波の動きが確認される」(ヘルツに直せば、380兆〜790兆)ということになります。
参考:コニカミノルタ公式サイト “人間は、特定の波長を色として感じることができます。“、ウシオ電機公式サイト “光子“、Cannonサイエンスラボ “光と単位“他
可視光線と電磁波
電磁波とは電気と磁気の力によって作られる波(波動)のことですが、空気を揺らして音を伝える音波や、水が揺らされることによって海面上に作られる波(水波)などといった一般の”波”とは異なり、波でありながらも粒子(=光子)としての性質を併せ持ちます。
双方の決定的な違いは、粒子が波を伝える役割を果たしているのか(一般の波)、それとも粒子が波そのものであるのか(電磁波、可視光線)の違いですが、後者に特有の粒子である光子(フォトン)とは、質量を持たない”光の基”だと考えられている粒子、すなわち光の粒で、その数が光の強さを決定するという性質を持っています。
フォトンの数が多ければ光は強く(明るい)、少なければ光は弱い(暗い)と考えられています。
つまり、人間の目が色を認識できるのは光が波であるからであり、強さを判別できるのは光が粒子であるからだと言えますが、前者では周波数の違いが、後者ではフォトンの数が、それぞれ判別の基準となります。
光が持つ波(波動)としての性質と、光が持つ粒子としての性質が重なり合うことによって、太陽光は太陽光として認識されているのですが、可視光線が持つ「波動であり、粒子でもある」という特徴は、可視光線自身が電磁波であることから、そのまま電磁波一般が持つ特徴とも一致します。
電磁波の一種である可視光線も、電磁波一般も、共に波であり、粒子であるという二面性を有しているんですね。
夕日が赤い理由
昼間の高い位置にある太陽から発された光であれば、いわゆる”光の三原色”(赤、緑、青)を形成する全ての可視光線の波長が混じっているため、無色=白色となって地表に届きます。
この無色透明な白は、プリズムを使うと元々白色を構成していた虹色(個別の各色)に分解できるのですが、バラバラに分解した各色をもう一度すべて集めて重ね合わせると、再び真っ白に戻ります。
つまり、すべての色が最高のバランスで重なり合った状態が光の白色であるということで、昼間であればこの光(全ての可視色が混じり合った、無色透明の白色光)がほぼそのまま地表に届くんですね。
一方で、日没が近づくと太陽と地表との間に距離が出来てしまうことから、可視光線の中でも「日中」の空の色としてイメージされるような、例えば波長が短い青色などの光は大気中の小さな粒子にぶつかって散乱し、目に届く前に消えてしまいます。
これに対して波長が最も長い赤色の光だけは散乱されずに厚い大気を通り抜けることが可能となるため、空の色、太陽の色としては赤色のみが残る、その結果「真っ赤な夕焼け」が出来上がることになるんですね。
また、日中であれば大気中の小さな粒子に衝突して散乱することもなかった光子=フォトンは、日が傾くにつれ、より長い距離を進まざるを得なくなるのですが、その際に光子の数が減ってしまうため、より弱く、穏やかに感じられるんですね。
これらは全て、可視光線が電磁波としての二面性を有することによって成立する自然現象だと考えられています。

