マクロ経済政策と公共事業
公共事業とは
経済政策としての公共事業
経済政策としての公共事業(公共の利益を目的とした事業)の実施は、いわゆるマクロ経済政策(経済政策=市場を健全に発展させるための政府・金融当局の介入策)といわれている財政・金融二通りの経済政策のうち、前者の財政政策にあたるものです。
20世紀の初め(1936年)、イギリスの経済学者J.M.ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』においてその理論を提唱したとして後世に伝わりますが、実際には実務の方が”理論”に先んじていました。
代表的なものとしてしばしば挙げられるのは、ナチス・ドイツのアウトバーン建設やフォルクスワーゲン開発(1933年~)、米民主党のフランクリン・ルーズベルト政権が実施したニューディール政策(1933年~)などです。
他ならぬ日本においても、1930年代に時の大蔵大臣・高橋是清が金本位制から管理通貨制度へのシフトを行い、財政支出拡大政策(時局匡救事業=失業対策としての公共事業の展開。1932~34年にかけて)を取ったことも、今でいうケインズ的な政策へ舵を切ったといえる動きにあたります。
金本位制とは金の準備量によって通貨の量を決める制度のこと、管理通貨制度とは時の経済の状況を見て政策的に通貨の量をコントロールする制度のことですが、これらの理論や政策が出てきた背景は、いずれも1929年のニューヨークの株価大暴落に原因を持つ、当時の世界恐慌にありました。
その際、国が率先して公共の為になる仕事を創出すれば、そのこと自体が国民生活を底上げしてくれると同時に経済を活性化することも可能になるということで、まさに“一粒で二度おいしい”政策が一世を風靡することとなりました。
理論上の経済効果
公共事業を柱とした経済政策が国の経済に好影響を与えるメカニズムとしては、
- 国・地方が主体となって、“公共の利益”を目的とした仕事を作る(国が一般向けに仕事・求人を作り出し、失業を減らす努力をする。財源は税収+国債)
↓
- 民間に国・地方経由で仕事とお金が回る(国に作られた仕事をした人に対して、対価=お金が支払われる。財源は税収+国債)
↓
- 景気が刺激される(モノやサービスを買ってもらいやすい空気が出来る=実体経済が好転する、消費者マインドが改善される。※理論をベースにした期待込みの部分であるため、そうはならない場合もある)
↓
- 不景気時であっても、この状態が続けば景気好転が期待できる(※ならない場合もある)
という流れが、かなりざっくりですがその骨子にあたります。
公共事業と財源
公共事業に充てる財源は、個人や企業からの各種税収等によって割り振られるほか、不足分については国債(公共事業用途である建設国債=4条国債のほか、しばしば”赤字国債”と揶揄される特例国債など)によって賄われていますが、昨今(2024年までの、ここ10年程度)の規模としては、双方(公共事業関係費と建設国債の発行額)は原則ほぼ同額程度(6~9兆円規模)となっています(国債発行規模の例外として、例えばコロナ禍においては国債発行額は激増しています ※1)。
“日本国”は目下『各種税収+印字収入(6割強)+国債(3割強)+そのほか(1割弱)』の財源によって運営されていますが、公共事業関係費自体は歳出額全体の約5%程度で、内訳としては治山治水対策から道路工事に至るまで、いわゆるインフラ全般整備にほぼ全振りされています(※2)。
税収を補佐している国債については、発行できる国債は法定されているもの(建設国債を含め、全7種 ※3)に限られます。無制限に発行できるものではもちろんありませんし、元々「足りない分を穴埋めする」ためのものだという性格を有しているんですね。
各種の税収等を元手とした予算だけではとても回せない(主なところだと例えば社会保障関係費や防衛関係費など、他にも用途があるためです)、かといって“不足分を補うために発行している”という国債だけで回しているわけでももちろんない、といったところが”国の台所事情”の実態です。
参考
- 財務省公式サイト “令和2年度国債発行計画の変更 (※1)”、”国債“(※3)、”予算・決算“、”令和6年度一般会計予算 歳出・歳入の構成“、”国債発行額の推移(実績ベース)“、”公共事業関係費“
- 日本銀行公式サイト “銀行券・貨幣“、”日本銀行の紹介”
- 国税庁公式サイト “財政のしくみと役割“、”歳出~公共事業関係費~(※2)”
- 国土交通省公式サイト “公共事業関係費(政府全体)の推移“、”社会資本整備“
“公共”とは
公共財と経済効果
公共事業の典型として挙げられるものは、公共の利益となり得る公共財の創出・整備です。
学術的には「非競合性あるいは非排除性の少なくとも一方を有する財」が公共財であると定義されますが、平たく言えば「誰でも使えて、なおかつ儲けに繋がらないもの」が公共財であると捉えれば、大体それで合っている感じではあります(厳密には、誰でも使えるか、あるいは儲けに繋がらないものか、どちらか一方の条件があることで”公共財”となります)。
代表例としては道路、橋、公園等々の創出・整備、“変わり種”としては花火大会などが挙げられます。
注意点としては、そもそも公共財を整えること自体が国や地方自治体の義務にあたるため、事業推進は必ずしも景気対策と同一のものとはなりません(それが期待されて進められる場合ばかりではない)、という点が挙げられます。
毎日の生活を取り巻く社会インフラ・生活インフラ(例えば電気ガス水道などのライフライン設備や道路設備、公園等々)とて日々劣化するため、景気がよかろうが悪かろうがどの道進めざるを得ない事業となってしまうのですが、その際には景気がいいなら税収もより多く見込める(仮に同じ割合で出費を考えていたとしても、元手が大きければより多くの予算をねん出することが可能となる)ということで、むしろ公共事業はド派手になりがちな傾向を持っています。
中々に“取扱注意”を感じさせるところではありますが、以上から、一口に公共事業を財政政策的な観点から解釈するといったところで、景気が良ければ「作れるうちに作っておこう」、反対に景気が悪ければ「公共事業によって景気を立て直そう」といった形で、政策遂行の持つ意味合い自体も変わってくることになるんですね。
種々の問題点
公共事業では、事業と現場の間に漏れなく人や企業(=政治家、大手ゼネコン、インフラ産業等)が入るため、公共と銘打たれた事業そのものに“私情”の絡む余地が生じます。
そこで、種々の望まれざる問題発生が危惧されることになるんですね。
例えば、公共事業の実施に伴って贈収賄等の違法行為が行われる、あるいは入札談合によって不当な取引制限が行われるなど、業務を遂行するにあたって違法行為が看過されることの他、「本当に必要でないものが、作ることそれ自体を目的として無駄に建設されてしまう」、バブル期に顕著だったといういわゆるハコモノ行政などが当たり前のように進められてしまうと、予算が無駄遣いされるだけで”公”に還元されるものが少なくなってしまう上、期待される経済効果も得られません。
結果「公共的なモノ」への不信感が増幅する傍らで違法な富の偏在が進み、やがて満を持す形で(?)「公共事業にまつわる問題点」が明かされると、そのことがとっかかりとなる形で世論による”事業の闇”批判が巻き起こります。
当然と言えば、当然の反応ではありますね。
かといって「だから公共事業は悪なのだ」と早急に捉えて目の敵にしてしまうと、今度は「本当に必要なものまで削られてしまいかねない」という別の問題が生じるところとなってしまうのがこの問題を考える上での難しい部分ではあるのですが、”公共事業”を考えるにあたっての好例の一つに、新潟へのドライブ旅の道中に立ち寄った、八ッ場ダムの建設問題がありました。
参考
八ッ場ダムと民主党政権
「首都圏を含む利根川下流部への洪水調節や水道及び工業用水の補給、吾妻川の流水の正常な機能の維持と増進、群馬県による発電(※)」を目的とした八ッ場ダムの建設計画及びその反対運動は、元々昭和の頃(昭和27年調査開始)より存在していました。
ダムを建設するに足るだけの意義があり、さらには「その場」が選ばれたことに必然性があったとしても、反対に自然に対して大掛かりなてこ入れをする必要があったことや、歴史ある町の水没が確定してしまうことなどから、ダム建設を容易には認めがたい理由にしてもまた存在していたのだということで、長らくの議論の紛糾を経て漸く決まったダム建設ではありました。
結果としてはこれらの諸事情を無視する形になったのが、今となっては悪名高い、時の民主党・鳩山政権の”マニフェスト(=政権公約)”実施です。
八ッ場ダム建設を一旦反故にしておきながら、後にその反故を撤回するなど、無意味な迷走をしたことによって世論の批判の集中砲火を浴びることとなるのですが、それもこれも結局、時のマニフェストには”公共事業憎し”以外の建前が存在しなかったために起こったことではありました。
当時の鳩山政権が打ち出した“コンクリートから人へ”(公共事業を減らし、社会保障政策等の充実を図る)という方針は、政官財の癒着を打ち壊し、旧態依然とした大規模公共事業(”コンクリート”への支出)を無くした上で、そこで削った事業の予算を福祉事業等”人のため”に回すことを理想とし、かつ企図していたはずだったのですが、後にこのマニフェストは単なる提唱者の願望の羅列に過ぎず、政策面からも制度面からもほぼ実現不可能なものだったということが明らかになりました(※2)。
八ッ場ダム建設等の公共事業を凍結する、表現を変えると時の政権が無駄だと判断した事業を仕分ける(=削る)ことによって、理論上予算の捻出が可能となるように見えますが、残念ながら3年間に及んだ民主党政権時には「予算を削って移し替えるだけですべてが解決する」というような奇跡(?)は起こりませんでした。
公共事業=悪という前提の下掲げた理想に対して、財源が追い付かなかったためです。
結局、マニフェストの理想はほぼ実現されずに終わり、3年間に及んだ民主党政権は多くの有権者によって悪夢と揶揄され、民主党は解党、以降所属議員は”民主党所属”のキャリアを隠しつつ延命を図らざるを得なくなります。
振り返ってみれば、あれからはや何年だろうかという感じではありますが、公共事業の実施は時に重い事情が絡むこともあり、景気対策云々といった観点からのみでは語れない部分も有しているのだ、という話しでした。
参考
- 国土交通省関東地方整備局・利根川ダム統合管理事務所公式サイト “八ッ場ダム“(※)
- 三菱総研 “総点検・民主党政権の政策“(※2)
- 【ドライブto新潟 二日目】八ッ場ダム傍、八ッ場ふるさと館と不動大橋