鶴ヶ城周辺の史跡7
司馬遼太郎文学碑

司馬遼太郎文学碑は、2013(平成25)年、文学碑建設実行委員会によって、
鶴ヶ城(公式サイト)の三の丸エリア、福島県立博物館(公式サイト)周辺の「石碑密集エリア」に建てられました。
元々設置が望まれていた向きがあった上、タイミング的に東日本大震災からの復興のシンボルとなることも期待されたという碑には、「司馬遼太郎の書いた真の会津の姿を後世に語り継ぎ、会津の魂を伝えてく」ことを狙いとして、司馬遼太郎さんの著作『歴史を紀行する』及び『王城の護衛者』よりそれぞれ象徴的な言葉が抜粋され、刻まれています。
参考:一般財団法人 会津若松市公園緑地協会 『鶴ヶ城公園の碑』(平成28年5月26日)、会津若松商工会議所 “司馬遼太郎文学碑実行委員会“、”司馬遼太郎文学碑除幕式“
いわゆる「司馬史観」と会津の文学碑
司馬遼太郎さん(1996年=平成8年逝去)といえば、歴史小説や紀行エッセイでおなじみ、今でもその分野ではトップクラスの知名度・人気を持つ作家さんです。
「文学碑」自体も日本全国に数か所(あるいはそれ以上)あるようで、会津・鶴ヶ城傍の司馬遼太郎文学碑もまたそのうちの一つにあたりますが、ここで、こと「司馬遼太郎作品への評」にあたって二言目には言われる、いわゆる司馬史観とは何か。
- 「幕末の志士」と称される人物たちを美化した「明治維新」賛美
- 若い力によってもたらされた元気で明るい明治
が核となった上で、
- 暗く厳つく権威主義に凝り固まった昭和陸軍
が明治とは別物の異端であるとして提示され、時に辛辣な評がなされていくーーそんな独特の偏りが肝となって、「戦前昭和を否定する→明治の開化を肯定する→礎となった幕末維新を礼賛する」という固有のロジックを形成します。
これが「司馬史観」の屋台骨となる近代史解釈です。
作家・司馬遼太郎の「福田定一」としての陸軍従軍・敗戦経験から形成されたと考えられているこの史観は、しばしば倒幕・明治維新を是とする主張の根拠となるほか、今日の大衆保守的歴史解釈の「テンプレート」とも深く結びついてきました。
どこか「お馴染み」の歴史解釈ではありますが、その一方で、現在では司馬史観に基づく「倒幕・維新礼賛」や同時代の記述に対して、有力な反証も数多く提示されています。
司馬さん自身、例えば代表作『竜馬がゆく』の主人公はあくまで創作された「竜馬」であり、実在の「龍馬」とは別人であると語っていますが、この一事に典型が見られるように、司馬作品は時にフィクションとしてのバイアスを含むことが広く指摘されています。
歴史小説における「フィクションとしてのバイアス」、すなわち史実としての曖昧さは、時に歴史を学ぶ上での難しさ、危うさを生じさせます。フィクションを味わうにあたってはそこに含まれるバイアスが毒にも薬にもなり得るからこそ、史実との照らし合わせも時に必要となってくるんですね。
特に司馬史観における『いわゆる「明治維新」を是とするか否とするか』は最も根本的な争点の一つであることから、単なる「保守・革新」の対立に留まらない、保守的な史観を持つ者同士の間にも熾烈な歴史論争を生じさせる火種となってきました。
ところで、「司馬史観」の是非についてはひとまずさておき、「維新」をほぼ全肯定する「司馬史観」の世界において、「敵方」にあたるであろう佐幕派勢力の雄は一体どのように描かれているのでしょうか。

幕末会津藩の悲劇的な役回りや、幕藩体制下の名門藩としての矜持を感じさせる描写など、それでも評すべきところはきちんと評し、拾うべきところはきちんと拾った上で、物語が進んでいくのであろう様子が伝わります。
司馬さん個人の好みとは別に書くべきところはしっかり書いている、このあたりが新聞記者出身の国民的作家、司馬遼太郎さんの作家としての矜持なのでしょう。
「燃えよ剣」にて敗軍の兵である新撰組(特に副長・土方歳三)を鮮烈に描き切っている姿勢からも窺い知ることができますが、どこか一筋縄では行かない史観・世界観もまた、「作家・司馬遼太郎」の魅力となっている部分なのかもしれません。

