【群馬/新潟青春18きっぷ旅:初日その9】アプト式から特急そよかぜへ(鉄道文化むら、189系)

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旧碓氷線、横軽間の昭和

“アプト式”と昭和の特急

アプト式の線路

碓氷峠鉄道文化むら内、周遊列車の高架をくぐってすぐのところには、

遊歩道の名前に付された”アプト式”の線路が残されています。

この方式を採用したからこそ鉄道が碓氷峠を超えることが出来たのだ、というスグレモノ機能のアプト式ですが、かなりいかつい歯車の噛み合わせがあるのがわかります。

参考

特急そよかぜと、旧国鉄時代の特急

アプト式の線路の先に停車しているのは、旧国鉄の特急色、クリーム4号(通称:肌色orうすだいだい色)赤2号のラインの入った車体が特徴的な、特急「そよかぜ」です。

形式称号(=型番)は189系、JRの前身の国鉄時代、”碓氷峠超え”のために開発された電車ですが、こと”同色の特急電車”ということであれば、かつて昭和の時代にはこのカラーの特急電車が日本中で走っていました。

厳密には1958(昭和33)年、特急「こだま」で初採用され、以降の特急電車の定番色となります。

ちなみに旧碓氷線区間(横軽間)では、強力な牽引(押し上げ)力を持つ電気機関車(EF63型)との協調運転が可能となったことによって、1963(昭和38)年にアプト式が廃止されています。

以降、“EF63型が189系を牽引(推進)する”という形で一般の鉄道と同じ粘着(=線路・レール間の摩擦力を推進力とした)運転が行われ、「そよかぜ」のほか、「あさま」「白山」などの運用を可能としました。

ここで横軽間に”クリーム4号”の特急電車が登場した、という形ですね。

横軽間の協調運転用として開発されたEF63型は、横軽間廃線と共に現役を引退し、現在は189系同様鉄道文化むらにて展示されています。

上(と、下)の写真の向かって左側、ガレージの中で「そよかぜ」のヘッドマークをつけている機関車がそうです。

引退して久しいということもあって、189系の外装は経年分の劣化を感じさせますが、傷みながらも大切に保存されているあたり、”儚くも眩しい思い出の結晶”を連想させられます。

この路線の運行にかかわった人たちの毎日、さらには在りし日の沿線風景がここに凝縮されている感じですね。

今は朽ちてしまった車両の”かつて”を思えば、薄汚れた塗装のひび割れもどこか甘美に伝わります。

参考

車内へ

車両には、もちろん、実際に乗ってみることも出来ます。

劣化した外装には経過年数分の現実感が伴いますが、視線を車内に向けると、かつてそこにあったはずの”日常と非日常の境目”的な空間を感じさせる既視感があって、

「そういえば、確かにこんな感じだったかもしれないな」という、客席へと続きます。

特急電車の車内の匂いは、当時と全く同じものでした。

窓の開閉が出来ない車両だと、案外残ってしまうものなのかもしれません。

今となってはどこかオーソドックスなタイプの客車を連想させますが、時計の針を戻してみると、それはかつての最先端の客車でもありました。

旧・碓氷線での現役生活を終えた客車は、”かつて”を後世に伝えるため、文化むらを終の棲家としています。

貨物列車の車掌車

すぐ傍にはさらに古い車両が展示されていますが、これは貨物列車の車掌車です。

車掌車だからということなのか(?)、車内に入ることは出来ないようです。

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