新潟/魚沼
魚沼地方とは
現在の行政区分
いわゆる”魚沼地方”というのは、新潟県の南部に位置する三つの市と三地区(十日町市・小千谷市、長岡市の一部の他、北魚沼地方、中魚沼地方、南魚沼地方)を総称した呼称で、地区全体が福島県・群馬県・長野県との県境に位置しています。
具体的には、
の三市/町のほか、
三つのエリアが、”魚沼”地方に該当します。
現在、北魚沼郡は消滅し、南魚沼郡は湯沢町のみ、中魚沼郡は津南町のみとなっているため、“魚沼”地方は二町と五市(津南町、湯沢町、魚沼市、南魚沼市、および十日町市・小千谷市・長岡市の一部)で構成されています。
参考
越後国時代と、かつての魚沼エリア
近代以前(山内上杉家が領域を確定した、越後国時代)は上記”魚沼地方”が全て”魚沼郡”で統一されていたようで、古代以来の歴史的には、新潟県内・魚沼地方を流れる魚野川とも、命名の由来を同じくするようです。
ここが、今につながる”魚沼”のルーツに該当します。
魚沼の名を冠す”群”や”市”に属さない十日町、小千谷、長岡の各市の一部がいわゆる”魚沼地方”に含まれているのも、このこと(現在の行政区画になる以前、3市の一部が”旧魚沼郡”に含まれていたこと)が理由です。
参考
平成の大合併後
近代以降の旧魚沼郡は、北魚沼郡、南魚沼郡、中魚沼郡と、魚沼の名を冠す”三郡”に分割され、その後も(明治の大合併、昭和の大合併によって)行政区画の変更を繰り返しますが、特に平成17年(2005年)のいわゆる”平成の大合併”(小渕恵三内閣で構想開始、小泉純一郎内閣で実行)が決定打となる形で、大きく現在の姿に近づきます。
“大合併”前年には、旧北魚沼郡から魚沼市が誕生していますが、平成17年には南魚沼郡の区画から南魚沼市が誕生し、南魚沼郡や中魚沼郡、十日町市、小千谷市も現在の行政区画へと姿を変え、”大合併”の翌年に北魚沼郡は消滅しました。
目的とされた”地方行政の効率化”が推進できたことの代償として、地方行政のサービス偏重・低下(仮に地方の中心部が栄えたとしても、”合併”によって過疎地域はますます過疎化する等)が言われることも少なくない、そのことに起因すると思われる、例えば獣害(猿、イノシシ、クマ等による食害や人身事故etc)の深刻化などといった”大合併一般の功罪”についての話しはここでは省略しますが、ごくごく単純なイメージとして、件の大合併を境に”魚沼”の捉え方がより難しくなったようには感じます。
それでも”魚沼”のくくりで地域を理解できるのは、やはりお米=コシヒカリブランドがつなげる縁が賜物となっている部分が大きいところですね。