晩夏の越後湯沢にて『雪国』めぐり
雪国館へ
上信越青春18きっぷの旅・最終日。
”雪国の宿”高半チェックアウト後は、駅から徒歩圏内にある”雪国館”見学に向かいました。
今回の18きっぷ旅では、最後の訪問先です。
参考
越後湯沢の郷土関連展示
湯沢の山に住んでいるというツキノワグマの展示や(結構迫力あります)、
縄文土器の展示(信濃川火焔街道の命名の由来となった、火焔土器もあります)、
江戸時代の高札(村の掟が提示された札)が展示されていたりします。
他にも湯沢の歴史にまつわる様々な展示(例えばわら細工の歴史に関するものなど)があるのですが、やはりここでも(後述のように)川端康成の『雪国』は大々的に取り扱われています。
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『雪国』関連展示
川端康成の執筆部屋”かすみの間”が展示されていた雪国の宿・高半に対して、雪国館では、ヒロイン・駒子のモデルとなった実在の芸者・松栄さん(=小高キクさん)が住んでいた部屋が再現され、公開されています。
川端康成が湯沢の高半で『雪国』を執筆した三年間は、そのまま松栄さんと過ごした三年間でもあるようですが、高半と雪国館双方を見ることで、より鮮明に小説の背景を把握することが出来ます。
小説を詳細に知らないと楽しめない、というわけでは必ずしもないのがこの場合のポイントですが、その分、多少なりとも『雪国』の物語を知っていれば(あるいは詳細に把握しているという作品のファンであれば)、作中一流の艶めかしく鮮やかな温かみを、”雪国イメージ一般”が持つ暖かさと共に味わうことも可能です。
上写真の新潟日報の特集記事は高半の文学資料室に展示されていたものですが、『雪国』執筆時の二人は馬が合い、かなり仲睦まじくやっていたようです。
『雪国』が完成し川端康成が越後湯沢を離れると、二人の再会は30年後となったらしい・・・、とされていますが、記事の指摘はあくまで推測によっているので、実際のところ再会はなかったのかもしれません(上写真も、高半の文学資料室のものです)。
松栄さん側には「二人の日々がモデルとされる形で公開された」と(川端康成の『雪国』公開にあたって)複雑な感情を抱えていた時期もあったようですが、そのことに対しては他ならぬ川端康成側からの歩み寄りもあったようで、最終的に”松栄”さんこと小高キクさんにとって、川端康成との雪国の日々は生涯の「秘めた」思い出となったようです。
このほか、民俗資料館には川端康成直筆の掛け軸や、
「国境の長いトンネル」(完成直後の清水トンネル)の写真にプリントされた名フレーズ、
さらには川端康成の数々の遺品が展示されています。
日頃身に付けていたものの他、生前の写真など。
川端康成のファン、『雪国』のファンであれば、”高半”同様外せない施設です。
参考
越後湯沢駅にて
18きっぷ旅最後の昼食 -へぎそば小嶋屋-
いよいよ18きっぷ旅も残すところわずか。
最後の訪問スポットとなった”湯沢町歴史民俗資料館・雪国館”(別記事でまとめました)訪問後、越後湯沢駅にて取った旅行中最後の昼食は、十日町名物のへぎそば・小嶋屋さんです。
念願の天ぷらそは、本当においしかったです。
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晩夏・曇天の越後湯沢発
最終日・残りの行程は、
- 越後湯沢駅から高崎駅まで上越線
- 高崎駅から先は、横浜駅まで湘南新宿ライン(高崎線からの直通運転)
です。
つまり、残り18きっぷ旅は実質高崎駅までの旅で、その際には“ここからであれば、上り上越線も(それでも、まだ)結構本数が出ている”という水上駅が、一つのポイントとなる駅に当たります。
高崎駅までの旅の中、水上駅を超えたあたりから徐々に通常モードが近づいてくる感じですね。
長いようで短かった、短いようでいて色々なお楽しみもあったという”上信越青春18きっぷの旅”も、いよいよエピローグ入りとなりました。
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