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【青春18きっぷの旅/初日】旧中山道・奈良井宿

上信越青春18きっぷの旅

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【青春18きっぷの旅/初日】旧中山道・奈良井宿

JR奈良井駅着

塩尻で食事をとった後、JR中央本線の奈良井駅に着いたのは、夕方少し前の時間でした。

どことなく”君の名は。”の聖地となった飛騨古川駅ぽく見えなくもない、木曽路真っ只中の奈良井駅は、JR東海の管轄です。

かつて中山道を歩いてきた旅人が木曽路の山中でたどり着いたのが、江戸から数えても京から数えても34番目の宿場町、高地に作られた奈良井宿だったのだということになるのでしょうが、現在でも鉄道駅は山々に囲まれています。

旧中山道の宿場町・奈良井宿の入り口は、駅を出て左手方向です。

奈良井宿へ

about 奈良井宿

奈良井宿が中山道の宿場町に指定されたのは1601年で、ほぼ五街道の整備が決められた時点でのことです。

同年に設置された東海道上の宿場町には、近世末の横浜の発展につながることとなった神奈川宿があります。五街道整備が決められた段階で宿場町に指定されたということは、神奈川宿同様、それ以前からの機能が認められてのことなのでしょう。

今昔の違いを偲ばせる要素としては、明治時代の道路改修の際、中山道の奈良井宿を通過する区間が国道指定から外された(木曽広域公式観光サイト”木曽路.com“内”奈良井宿“)ため、幸運にもかつての姿が後世に残されることとなったのだという事情もあったようです。

“奈良井千軒”

多少歩くとはいえ、言うほど歩くわけでもない、奈良井宿は駅のすぐ傍にあるのですが、

JR奈良井駅から奈良井宿までの”多少の距離”の中に、早速いくつか案内板が出ています。

いよいよ奈良井宿のはじまりという地点にも、案内板が設置されています。

駅前に通された道から道なりに続く一本道沿いに、かつての宿場町の機能が残されているので、道に迷うことは恐らくないと思います。

ただ、木曽11宿の中ではもっとも標高が高い、かつ難所の鳥居峠を控えた宿場町だったということから繁栄し、かつて”奈良井千軒”と称えられた中山道沿いの大宿場町です(参考:奈良井宿観光協会公式サイト奈良井宿について“)。

今でも宿場町の端から端まではそれなりの距離がありますし、一軒一軒の目当てのお店を探そうとする際には多少骨が折れるかもしれません。

ということで、全体を地図で見れるとやはり安心できます。実用的な部分以外でも、案内板があることによって観光気分も盛り上がってきますからね。

奈良井宿の入り口付近には、お寺があります。

観光案内所や観光施設でお話を伺ってみると、本当に先祖代々のご近所さん同士がずっと奈良井宿を盛り立ててきたとのことで、観光旅行で楽しむ分にも常にアットホーム感がありました。

家ごと、施設ごとに異なる屋号を掲げた表札は、結構色々なところにかけられていますが、かつての宿場町時代の屋号です。

旧街道が通された宿場町の名残りがある街では、今でもしばしば見かけることがあります(信州街道・須賀尾宿)が、奈良井宿の場合、観光案内所で伺った話によると、同じ苗字の家が何軒もあるので苗字で呼んでもわかり辛い(〇〇さん、といっても、どこの〇〇さん? となってしまうことが多いようです)、だから昔からの屋号で識別する、その方がわかりやすいということでもあるようです。

宿場町の向こうには、木曾路と並走する山脈が見えています。

海抜1000メートルという高地にある奈良井(日本の旧街道一覧地図内”旧中山道“)よりもさらに高いところに見えている稜線は、ざっくりとした方向的には御嶽山(木曽おんたけ観光局御嶽山“)の最高峰である剣ヶ峰(Googleマップ”剣ヶ峰“)に連なっている稜線ではないかと思いますが、中山道の木曽路(参考:木曽広域公式観光サイト”木曽路.com“内”木曽路の魅力 宿場“)は、この山脈のふもと部分にあたる高地をなぞるように通されています。

酒造・杉の森

奈良井宿の街並みに自然に溶け込んでいる施設に、寛政5年(1793年)創業の”酒造・杉の森”があります(残念ながら現在は休業中のようです)。現在の会社の平均寿命がおよそ20年~30年程度だといわれている中、その約10倍にあたるという、200年以上続いていた会社ですね。

ところで寛政5年といえば、世は徳川幕府の11代将軍徳川家斉の時代です。

その中でも特に、老中松平定信が主導権を持っていた時代(=寛政の改革期)が終わり、諸々あった結果江戸時代の庶民文化の集大成となる時代が訪れることとなったという、そんな節目の年にあたります。

奈良井の湧き水

他、「かつて」を偲ばせる施設としては、宿場町内の街道沿いのところどころに、今でも煮沸すれば飲用として使える湧き水があります。

その昔は横浜の山手地区、例えば現在のビヤザケ通り沿いや元町公園などでも飲用に適した、それもかなり良質の水が湧いたようですが、それも今は昔の話しですね。

奈良井のメインストリート”旧・中山道”

“地元の人以外の車での通行はご遠慮ください”という奈良井宿のメインストリートは、まさにかつて中山道だった道です。線路の幅や車の通行に合わせてかっちり道幅が作られていなさそうに見えるところなど、ぱっと見でもすごく落ち着いた印象を与えられますが、地元の小学生~高校生の通学路としても使われているようです。

まさに今というよりは少し懐かし目のところで、”ナショ文字“の看板がありました。”ナショナル”ブランドを使用していた松下電器がパナソニックになって久しい今日この頃ですが、随分久しぶりに見た気がします。

元櫛問屋 中村邸(国指定重要文化財)

別記事(旧中山道・奈良井宿 -元櫛問屋 中村邸(塩尻市指定有形文化財)-)に移転しました。

上問屋資料館(国指定重要文化財)

別記事(旧中山道・奈良井宿 -上問屋資料館(国指定重要文化財)-)に移転しました。

御宿 伊勢屋

今回の青春18きっぷ旅を企画したとき「奈良井宿を目的地に含める」ということは早い段階で決めていたのですが、ほぼ同じタイミングで、旧中山道沿いにある”伊勢屋”(公式サイト)に宿泊することを決めました。

昔の宿場町の面影を残す外見と、格子戸から中山道を臨める宿泊部屋があるということで、宿泊前から宿泊が楽しみだったのですが、

新旧が融合した客室は居心地も抜群(奥にある布団は、念のため持ってきた「冬用」の掛布団です)で、障子の向こう側、格子戸の外には中山道もばっちり見えていました。

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