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【2022秋の上信越ドライブ その3】龍ヶ窪温泉・竜神の館と津南町の風景

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【2022秋の上信越ドライブ その3】龍ヶ窪温泉・竜神の館と津南町の風景

津南町の風景

もうかれこれ4年前のことになりますが、このブログを始めてから”初めての”ロングドライブの目的地が、新潟県・中魚沼郡の津南町津南町公式サイト)でした(参考:小旅行ドライブto新潟)。

日本有数の豪雪地帯として有名な”日本一の米どころ=魚沼地方”の町、日本を代表するブランド米である魚沼コシヒカリのお膝元ですね(いわゆる魚沼地方について、後述)。

新潟の中心部(新潟市中央区)から津南町に向かう場合、国道116号線や国道17号線を経たのち、国道117号線をまっすぐ進むと(首都圏からであれば、関越道の湯沢か塩沢石打出口から一般道に入り、国道17号線から国道353号線、その先で国道117号線を進むことになります)、津南町の町役場と観光協会、さらにはそこから少し進んだところに、津南食彩館(公式サイト)と津南観光物産館(公式サイト)が出てきます。

津南食彩館/津南観光物産館

それと注意を払いながら運転していると、通り沿いから一発でわかる感じに二軒のお店が並んでいます。”食彩館”では採れたての野菜が中心に、

“観光物産館”の方では野菜含めお土産品全般を扱っています。

ちなみに今回はトウモロコシを目当てにお店に向かったのですが、季節的にはギリギリトウモロコシの旬が終わっていたようで、残念ながらお店ではトウモロコシを見かけませんでした。代わりに地酒と津南ポーク(津南町公式サイト “津南の豚肉“)、さらにトマトジュースをお土産に購入したのですが、全てが”当たり”、中でも”津南ポーク”が大当たりでした。

食べて即リピートしたくなった津南ポークについては残念ながら通販では見かけなかったので、ここは次回の訪問を楽しみにしたいところです。

駐車場の道路側には、火焔型土器の石碑と”苗場山麓ジオパーク”(公式サイト)の案内が出ていました。前回の津南町訪問から4年ぶりの来訪でも、改めて、自然のど真ん中を実感させられます。

龍ヶ窪温泉 竜神の館(日帰り温泉)

about 竜神の館

津南町の名所の一つである龍ヶ窪(津南町観光協会公式サイト竜ヶ窪“)の傍に、日帰り温泉”竜神の館”(公式サイト)があります(中学生以上650円、10時~21時まで営業。バスタオルとハンドタオルは有料なので、持参推奨です)。

観光物産館や食彩館と同じ117号線から分岐して通されている、県道251号線(加用今新田津南停車場線)を上って行った先に位置しているのですが、”竜神の館”は龍ヶ窪の手前です。

日帰り温泉の看板の下に”まごころ野菜直売所”と書いてありますが、日帰り温泉のフロントの前に地産の野菜等の販売コーナーが用意されている他、漫画が結構な数用意されていたり、畳敷きの休憩室が用意されていたりもします。

施設自体、どこか温泉宿の日帰り温泉利用を思わせるような雰囲気があって、日帰り温泉特有の(?)せわしなさのようなものは、あまり感じさせません。館内の空気自体がとてもまったりしていて、フロントで料金を払った後は、割と自由に中で過ごせるようです。

“温泉”は露天風呂付きで、温泉に入ったまま室内と露天部を行ったり来たり出来ます。周辺環境が周辺環境なだけに、露天風呂の入り心地にはたまらないものがありました。

竜のキッチン

そのまま奥に進んでいくと、左手にあるのがレストラン”竜のキッチン”(津南町観光協会公式サイト)です。

まず店内に入って何が良いと思ったかといえば、やはりこの開放感です。

施設自体が周囲の畑(田んぼ?)に囲まれている様子が食堂の両角から伝わってくる作り、

周囲は好天の上、季節は実りの秋です。

「こういう景色の中をドライブしてみたい」と思って津南町ドライブを計画した4年前のことを思い出しますが、今年はここでご飯を食べて日帰り温泉に入れることになったというのは、自分にとってはそれだけで実りの時間となりました。

昼食では津南ポークの定食をいただきました。「なんとなく、名物だし、食べておこうか」位のつもりで注文したのですが、食べてびっくり、かなり美味しい豚肉でした。スイートコーンも然り、焼き野菜もおいしく、魚沼地方で食べるご飯については言うに及びません。

食事前の時点では、まだお試しで買った観光物産館のつなんポークへの期待感は「普通のお土産」程度のモノだったのですが、その期待値が食後一気に跳ね上がりましたという、あっさり目に見えても、満足の一品でした。

竜ヶ窪へ

日帰り温泉を出た後は、前回(2018年の訪問時)は色々あって(?)途中までしか進むことが出来なかったという、龍ヶ窪へ向かいました。色々あってというよりは、既に夕方近くで薄暗くなり始めていたから断念したという話しではあったのですが、あともう一つは、やはりクマさんとの遭遇についてです。

本音を言えば「薄暗い中、クマ=野生動物との遭遇が怖いからやめておいた」が正解でした 笑。

リスや野ウサギ程度であればむしろ出会いたいと思えたとしても、大型動物となるとやはりそれなりに迫力も危険もありますからね。

なのでそのあたりの事情については、機会があれば地元の人に話を伺うようにはしているのですが、いつもほぼ常に、最終的に思うことは「それでも話を聞かないよりははるかに安心できるとはいえ、元々土地勘がない以上、いくら地元の人の話し経由で上辺の知恵を付けたとしても、それだけではどうしようもない」ということでしょうか。

ちなみに今回は「龍ヶ窪にクマが出たという話しはあまり聞いたことがないからそこは多分大丈夫。ただしその周辺の山にはガンガン出没するよ笑」というような話を伺いました。

クマは餌の無いところには出没しない(龍ヶ窪には餌がない、ただしその周辺にはあるということを、恐らく津南町のクマは学習しているのでしょう)、要するに「余計なところで寄り道・回り道をせずに一直線に龍ヶ窪を目指せば安全ですよ」ということだと解し、一直線に龍ヶ窪を目指しました。

よし、到着! それでは森の中に進んでみようかと思ったその時、

旅先で進行方向にこの看板が出ているのを見つけると、割と頭をガツンとやられるレベルの衝撃が来てしまうという、まさかの「クマ出没注意」予告でした。前回龍ヶ窪に行った時はこんな札立っていなかったような記憶もあるにはあるのですが、若干事情が変わってきたのでしょうか(同じ津南町の内部では、結東じゃまくら石公園でクマ注意の看板を見かけました)。

こうなると土地勘がない以上、出て来るとすればクマがどこから出て来るのか(どこからがクマの生息域といえるエリアなのか)も勿論わからないわけですが、そういえばということで、以前に妙高に行った時、やはり地元の人に伺った話を思い出しました(参考:クマの生態)。

「”クマ出没注意”は、まさにその看板が立てられたところに出たという意味ではなくて、この道をたどっていくとクマの生息域に繋がっていくから注意してください、の意味ですよ」という話しですね。

普通に進めばまあ接触せずに済む、ただし道を間違えてしまう、あるいは進みすぎてしまうとアウトですといったところでしょうか。本来は出ないはずのところに”出没注意勧告”が為されている看板があるというだけで得も言われぬ不気味さがあるにはあったのですが、

幾つか他のルートを当たってみても、まぁそれはそうでしょうねという感じで、全てのルートで注意勧告がされていました。

歩くときは比較的デカい声で独り言を話しながら(気持ちクマ避けをしながら)色々道を探ってみたのですが 笑、悩みに悩んだ挙句今回も断念しました。

ただしということで、津南町では観光協会のスタッフさんのガイドで各所を周ることも出来るらしいので(帰宅後にパンフレットを熟読して気が付きました)、次の機会にはガイドさんの案内で周ることを考えてみようという希望は持たせてもらえました。

津南町の風景

竜神の館からの帰り道、117号線を目指す下り坂道の途中にパーキングスペース(信濃川展望駐車場)があったので、少し車を止めて風景を眺めてみました。山の間に望めるのは津南町の街並み、下に流れている川は信濃川です。

すぐ下には先ほど上ってきた道、かつこれから通る道を眺めることが出来て、

山の中腹辺りに、棚田か、段々畑のようなものも見えています。

冬場の積雪量を思うと中々恐ろしいものがありますが、冬は冬で一面銀世界の風景が楽しめるのでしょう。冬場の姿も一度見てみたいとは思うのですが、まずは夏の津南町の風景を満喫しつつ、次の目的地を目指しました。

津南町と魚沼地方

魚沼地方とは

福島県・群馬県に隣接する北魚沼地方魚沼市など)

群馬県・長野県に隣接する南魚沼地方南魚沼市など)

長野県に隣接する中魚沼地方津南町など)

 

この他、

 

南魚沼地方や長野県に隣接する十日町市の一部

十日町市の北部に隣接する小千谷市の一部

長岡市の中で飛び地的に存在する”川口”の名を付すエリア

 

以上が”魚沼”地方に該当します。

(参考:株式会社米輝新潟県魚沼地方について“、旨いものひとすじ 新潟こだわり市場コシヒカリが生まれる魚沼地方について“他)。

いわゆる”魚沼地方”というのは、新潟県の南部に位置する三つの市と三地区(十日町市小千谷市長岡市の一部の他、北魚沼地方中魚沼地方南魚沼地方)を総称した呼称で、地区全体が福島県・群馬県・長野県との県境に位置しています。

現在、北魚沼郡は消滅し、南魚沼郡は湯沢町のみ、中魚沼郡は津南町のみとなっているため、“魚沼”地方は二町と五市津南町、湯沢町、魚沼市、南魚沼市、および十日町市・小千谷市・長岡市の一部)で構成されています。

越後国時代と”平成の大合併”後

近代以前(山内上杉家が領域を確定した、越後国時代)は上記”魚沼地方”が全て”魚沼郡”で統一されていたようで、古代以来の歴史的には、新潟県内・魚沼地方を流れる魚野川とも、命名の由来を同じくするようです。

ここが、今につながる”魚沼”のルーツに該当します。

魚沼の名を冠す”群”や”市”に属さない十日町、小千谷、長岡の各市の一部がいわゆる”魚沼地方”に含まれているのも、このこと(現在の行政区画になる以前、3市の一部が”旧魚沼郡”に含まれていたこと)が理由です。

近代以降の旧魚沼郡は、北魚沼郡、南魚沼郡、中魚沼郡と、魚沼の名を冠す”三郡”に分割され、その後も(明治の大合併、昭和の大合併によって)行政区画の変更を繰り返しますが、特に平成17年(2005年)のいわゆる”平成の大合併”(小渕恵三内閣で構想開始、小泉純一郎内閣で実行)が決定打となる形で、大きく現在の姿に近づきます。

“大合併”前年には、旧北魚沼郡から魚沼市が誕生していますが、平成17年には南魚沼郡の区画から南魚沼市が誕生し、南魚沼郡や中魚沼郡、十日町市、小千谷市も現在の行政区画へと姿を変え、”大合併”の翌年に北魚沼郡は消滅しました。

目的とされた”地方行政の効率化”が推進できたことの代償として、地方行政のサービス偏重・低下(仮に地方の中心部が栄えたとしても、”合併”によって過疎地域はますます過疎化する等)が言われることも少なくない、そのことに起因すると思われる、例えば獣害(猿、イノシシ、クマ等による食害や人身事故etc)の深刻化などといった”大合併一般の功罪”についての話しはここでは省略しますが、ごくごく単純なイメージとして、件の大合併を境に”魚沼”の捉え方がより難しくなったようには感じました。

それでも”魚沼”のくくりで地域を理解できるのは、やはりお米=コシヒカリブランドがつなげる縁が賜物となっている部分が大きいのでしょう。

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