元櫛問屋 中村邸(国指定重要文化財)
about
旧街道(中山道)在りし江戸末期の奈良井宿では、”現・中村邸”にて櫛の問屋さんが営まれていました。
現在、旧・奈良井宿は文化庁によって”重要伝統的建造物群保存地区”(=重伝建)に指定されていますが、”中村邸”はその指定のきっかけとなった民家であり、同じく旧中山道沿いにある上問屋資料館共々、国指定重要文化財に指定されています。
参考
- 【青春18きっぷの旅/初日】旧中山道の宿場町、奈良井宿着(JR中央本線、奈良井駅傍)
- 文化庁公式サイト “伝統的建造物群保存地区“、”塩尻市奈良井・木曾平沢(長野県)“
- 中村邸公式サイト(塩尻市、奈良井宿観光協会)
- 文化庁公式データベース・旧中村家住宅 “主屋“”土蔵“
- 奈良井宿観光協会公式サイト
- 旧中山道・奈良井宿 -上問屋資料館(国指定重要文化財)-
中村邸へ
邸内一階
中村邸への入り口は、写真正面やや左あたり。
旧中山道に面した通り沿いにある”中村屋 御櫛所 利兵衛”と書いてある白い扉がそうです。
部屋と部屋の間を仕切るふすまの上に置かれた神棚が目を惹きますが、神棚の奥には家の内側にも窓を持つ、二階の部屋(茶室。後述)があります。
邸内に、風格のある古民家そのものといった雰囲気を持つ空間が広がっている形ですね。
神棚の向かいに位置する囲炉裏と奥にあるかまどは、共に昭和の頃まで実用に供していたようです。
中山道から見た中村邸は、どこか(時代相応に)普通の古民家のようには見えるのですが、邸内はイメージ以上に奥へ上へと広がっています。
二階への階段
二階に上がっていく階段は、横から見ると棚になっています。
今でいうところのロフトベッドに近い発想をベースにしたと思しき”家具兼階段”ですが、既に江戸時代の日本にはこういう階段があったんですね。
どちらが先かと問われれば、さて、どちらなのでしょうか。
ロフトベッドのルーツだと言われる二段ベッドの起源は紀元前、普及については18世紀あたりといわれているようですが、江戸時代(18世紀)から続くという岩手の伝統工芸・岩谷堂箪笥では、今でも階段箪笥が販売されています(結構な高級品です)。
この階段で繋がれた一階と二階は、
二階側から、間に階段をふさぐ形の天井を出すことが出来ます。
階段最上部の手前側から板を引っ張り出すと階段が隠れて床となり、二階は隠し部屋状態になるんですね。
“二階への道”をふさいだ場合、一階側から見ると階段が天井に向かって延びていることになるのですが、この構造は、一階にあった囲炉裏の火から出た暖気を一階にとどめておくための仕掛けとなっているようです。
再び、神棚前にて。
中村邸の一階(囲炉裏のある部屋)は天井も高く開放感があるため、熱が逃げてしまいやすい構造となっているのですが、夏涼しく、冬は寒いという高地の気候を条件に含めた場合、この”二階への隠し天井”がどうしても必要になって来るんですね。
参考
インテリア家具のカルチェラタン “やはり気になる二段ベッドの歴史・起源“
邸内二階(茶室)
正面から撮った写真だと少しわかりづらいのですが、二階の床の間の上にはめこまれた小さなふすまは、上部が前に、下部が奥にずれている形で、実は少し傾いています。
あえてそう作られている、ということのようです。
近くで見てみるとはっきり角度が付いているのが分かりますが、そこには「ふすまの絵が来客によく見えるために角度が付けてある」という、小さな心遣いが現れています。
さらに、驚きポイントはもう一点ありました。
なんとこのふすま、季節によってお客さんの目を違った楽しませ方をするために、裏側にも絵が描いてあるんです。
この辺りは本当に(絵、もしくは家具類が)好きな人の発想であり、センスですね。
ちなみに、ここはかつて茶室として使われていた部屋だったようです。
昔の日本人が”お茶”に向けていた気持ちが時を超えて伝わって来るような、なんとも繊細な空間づくりとなっていますが、窓の向こうの眼下には、旧・中山道を望むことが出来ます。
保存されている櫛
中村邸は元櫛問屋だったのだということで、敷地内にはかつて扱っていた櫛が展示された一画があります。
“心得帳”(櫛を利用するにあたっての指南書のようなもの)の他、髪を整えるために使った簪や笄、
さらには多くの櫛など。
どれも、かつての奈良井宿で作られたものばかりが展示されています。
参考
Google画像検索 “簪(かんざし)“、”笄(こうがい)“