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【群馬/新潟青春18きっぷ旅:初日その13】上越線の水上駅へ
横川駅から高崎駅へ、高崎駅から水上駅へ
JR高崎駅にて
上越線と吾妻線
旅行プラン上の都合から碓氷峠鉄道文化むら(公式サイト)を早々に切り上げた後、最寄りのJR信越本線横川駅経由でJR高崎駅まで、高崎駅からは上越線で水上駅まで向かう行程です。
高崎駅では、上越線と吾妻線が同じホームを使っています。
JR上越線
JR上越線は高崎駅(群馬県高崎市)と宮内駅(新潟県長岡市)を結ぶ路線で、命名は上野(旧群馬県域の国名)と越後(旧新潟県域の国名)を結んでいることに由来していますが、この点(命名の由来)は後に開業した上越新幹線の”上越”にも引き継がれています。
上越線がいうところの”上越”は、新潟県内の地域区分である上越・中越・下越(京都から近い順に上・中・下越、あるいは北から順に下・中・上越の並びになっています)でいうところの”上越”とは路線名に含まれた意味合いが異なっているので、やや紛らわしいといえば紛らわしいところですね。
上越線開通以前の首都圏からの新潟行き行程は、横川駅や鉄道文化むらでその歴史が詳しく展示されている、”碓氷峠”超えを含む信越本線で進むコースに限られていたため(参考:“アプト式”と特急そよかぜ)、とても時間がかかるものだったようです。
そのため1931年(昭和6年)の開通以来、特に上越新幹線開通以前の上越線は、関東と新潟を短時間で結ぶ路線としてとても重宝されてきたようですが、上越新幹線が東京駅に乗り入れている現在は、かつて担っていた役割が軽減したということから、道中の一部区間(下り線であれば、水上駅発のダイヤ)がローカル線化しています(ジョルダン “上越線の時刻表・停車駅“)。
JR吾妻線
JR吾妻線は、上越線で高崎駅から6つ目の駅である渋川駅と、群馬県の北西部に位置する大前駅を結んでいます。
温泉街で有名な渋川伊香保(渋川伊香保観光協会公式サイト)の”渋川”(渋川市渋川)と、レタスやキャベツなどの高原野菜で有名な”嬬恋”(吾妻郡嬬恋村大前。嬬恋村観光協会公式サイト)が結ばれた路線ですね。
群馬県内・吾妻線沿線のもう少し北側には、渋川伊香保と同じく温泉街として有名な草津(草津温泉ポータルサイト)がありますが、ひところ公共事業を絡めて話題となった”八ッ場ダム(国土交通省関東地方整備局公式サイト “八ッ場ダム“)”も、やはり吾妻線の沿線(最寄り駅は川原湯温泉駅です)に位置しています。
自然あり、温泉ありといった観光資源満載の路線でもあるのですが、運行ダイヤ的にも水上駅発の上越線に負けず劣らず、ローカル線っぽい雰囲気を醸しています(ジョルダン “吾妻線の時刻表・停車駅)。
再び、高崎駅発
吾妻線と共用であるという上越線の隣のホームには、まさにこの日の朝横浜駅を出た時に利用した路線である、上野東京ラインの東京方面行き電車が入線しています。
毎度のことながら、”地元方向に戻る電車”と”さらに遠くへと進む電車”の交錯には、18きっぷ旅ならではの旅情を感じますが(参考:JR東海エリア)、往路最初のクライマックスともいえる瞬間ですね。
高崎駅発、水上駅へ
高崎駅を出発した上越線は日本列島を北上し、一路水上駅へ。
12時02分の出発後、強烈な睡魔に襲われたために40分ほど熟睡してしまったのですが、
目が覚めて窓外に目を向けると、上越線は横川に負けず劣らずという山間部を走行中でした。
かつてドライブ旅で通った(八ッ場ダム傍の)不動大橋を想起させられるような、大きな橋も架かっています(八ッ場ダムや不動大橋は、電車を利用する場合、前記しましたがJR吾妻線の川原湯温泉駅が最寄り駅です)。
JR上越線・水上駅着
水上駅にて
JR高崎駅を出発した上越線は、約一時間後の13時8分、定刻通りに水上駅に到着しました。
ホームでは駅名入りで”水上温泉郷”(みなかみ町観光協会公式サイト)が推されていますが、下り線の旅であれば旅が本番に入った後にさらにその気分が高まることになる駅であり、上り線の旅であれば”ローカル線気分満載の旅はここまで”となる駅でもあります。
前回の18きっぷ旅では、徐々に近づいてくる都心部を前にして水上駅の雰囲気に接したとき、”旅の終わり”を強く感じさせられたことを思い出しましたが(参考:上越線から高崎線へ)、今回は前回とは逆に、”旅の始まり”を強く感じることとなりました。
水上駅には年代を感じさせる駅名標が残されている上、
レトロな海抜表示も残されています。恐らくですけど、駅開業以来の駅の歴史と共にあるものですね。海抜500メートル近いところに作られた駅だということで、既に結構な高所に来ていることが改めて確認できます。
隣のホームへの移動手段としては、今となっては恐らく珍しい部類に入るのではないかという、木造の連絡通路が残されています。むき出しの木造屋根や窓の外に確認できる鉄骨の補強など、”積み重ねてきた年代分”の風情を感じさせるならではな空間となっていますが、通路間の広告も然りで、最新のデザインとアナログなPR方法の組み合わせからは、レトロな味わいを持つ”今”のにぎやかさが伝わってきます。
駅の開業が1928年(昭和3年)10月30日で、その後2001年(平成13年)には駅舎を改修・増築しているようですが、連絡通路については現在までのところ、補強工事が行われるにとどまっているようです。要はそれで大丈夫だと判断されているということなのでしょうが、築ほぼ100年を経過してもなお公共の施設として実用されているあたり、かつての建築技術、現在の補強技術、共に中々すごいものがありますよね。
余談として、昨今は水上温泉街の廃墟化が言われることも多く、YouTubeでもその様子が撮影された色々な動画が上がっていたりもするのですが、この点については産官学協同での再生プロジェクトが立ち上げられたりもしているようで(参考:東京大学都市デザイン研究室 “みなかみ廃墟再生プロジェクト“)、やや流れが変わりつつもあるようです。
“SL試運転”と水上駅発
この日お昼過ぎの水上駅には、”SL試運転”と表示された青い車体の列車がホーム一杯に停車していました。
電車ではなく、機関車にけん引してもらうタイプの客車で、はるか先の方では機関車が接続されている姿も目に入って来ます。青い車体の客車がなんでもかんでもブルートレインに見えてしまう、ということではないのですが 笑、この車体を見るとどうしてもテンションが若干上がってしまうという部分は無きにしも非ずで、気になることに違いはありません。
その部分を差し引いたとしても、これはこれで”旅先でのイレギュラーな一コマ”ですからね。
連絡通路にも物々しい黄色と黒の通行止め表示がされていたのですが、駅員さんにその旨伺ってみると「今日に限っては特別な電車が停まっているから、お客さんが間違えないように出しておきました」「隣のホームに行って写真を撮って来る程度であれば全く問題ないですよ(ただしあの電車は長岡には向かわないので、そこは気を付けてくださいね)」とのことで、早速隣のホームまで。
青い客車はホームの奥に向かって延々と続いていますが、現在群馬でイチ押しされている”SLぐんま”(公式サイト)関連の電車でしょうか。
特にヘッドマーク表示のようなものはなく、その代わりに、客車の前面を”顔”と見るのであればチークのように見えなくもない、という反射板が二枚ほどついていました。
華が無くとも愛嬌がある、といった感じでしょうか。
なるほど、といった気分になった後、上越線乗車待ちのために隣のホームまで。
しばしの後に、長岡行き上越線が水上駅ホームに入線しました。
ちなみに、駅自体が”18きっぷ旅”的な旅情に満ち満ちているという魅力を持つ水上駅ですが、下り上越線で”18きっぷ旅”的な利用を考える際、水上駅着の上越線と、水上駅発の上越線は、同じ上越線でありながらほぼ別ダイヤで運行されているという点に注意が必要となります。
水上駅までは割と出れる、ただし水上駅より先を考えると少々不便になるという”クセ”があるので、水上駅をターミナル駅として捉える必要が少なからず出てくるんですね(参考:横浜駅・新潟駅間の場合)。
旅行プランの中で”一本逃すと次は3~4時間後”というようなダイヤをうまくとらえる必要があるのも割と”ローカル線18きっぷ旅あるある”なところで、その間の時間でどこを途中下車観光していくか、という点が(ときに半強制的な)お楽しみとなります(参考:高地・山間部を走る大糸線で南小谷駅から糸魚川駅まで)。
今回は、まずは”日本一のモグラ駅”こと、上越線の土合駅を途中下車最初の目的地にすることにしました。