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旧居留地の中心部付近
京町筋と仲町通りの交差点
日銀神戸支店と仲町通り
東遊園地(公式サイト)を出て旧居留地(公式サイト)内の北町通りを西進し、突き当りまで進んだ後に一旦戻って、京町筋経由で海側に進みました。
写真は京町筋沿いにある日銀神戸支店(公式サイト “支店の歴史“)ですが、少々この地点のロケーションについて説明を加えると、
京町筋は、旧居留地内の中央付近で南北に通された道(地図中青線)ですが、その京町筋の中央付近で仲町通りという、旧居留地内の中央付近で東西に通された道(地図中緑線)と交差します。
この二本の道が交わる交差点の一角(交差点右下側)に、日本銀行神戸支店があります。
“日銀の支店がある”時点で、由緒ある地かつ都心部といったイメージが伴いますが(概ね市役所か都道府県庁傍にあることが多いですが、横浜支店は神奈川県庁もある日本大通りに置かれています)、神戸・三宮の場合、所在地が旧居留地のど真ん中ですね。
日銀神戸支店の前を通る仲町通りは、向かって左側が東遊園地方向に、
向かって右側はメリケンロード方向に、それぞれ伸びています。
道路沿いに見える風格のある建物は、メリケンロードに面した大丸神戸店の一画(大丸別館の、旧居留地38番館。1929年=昭和4年竣工)ですね。
居留地の真ん中に通された、”端から端まで”が分かりやすい通りでもありますが、かつての区画の様子は、日銀前に古地図も用意されています。
仲町通り沿いには、例えば旧居留地25番館(後述)横に、居留地時代の商館の門柱が残されています。
京町筋と旧居留地の面影
一方で、観光周遊バスの循環コースにもなっているという京町筋の方ですが、
日銀の向かいでは、”かつて”の雰囲気がコンセプトに含まれた旧居留地25番館(居留地時代の区画名が用いられた、2010年竣工の商業ビルです。参考:三井不動産公式サイト “神戸旧居留地25番館“)が目を引きます。
旧境地時代の雰囲気を再現することが狙いとされた”25番館”の雰囲気自体がオシャレな拡張高さを感じさせますが、
京町筋沿い、一つ南側の区画には”居留地68番館の門柱”が残されています。
説明書きも付されていますが、元々はオランダ人所有の商館が建てられていた地であり、商館の後にはレンガ造りの倉庫が置かれたようですが、門柱の主についてはそれらのさらに後発で、明治15年ごろこの地に住んでいた私人の住居のものだったとのことです。
京町筋沿い、旧居留地25番館の隣には、昭和の初め(昭和10年)に作られた旧横浜正金銀行(現 三菱UFJ銀行)神戸支店ビル(現・神戸市立博物館)が建てられています(旧横浜正金銀行の本店は、馬車道商店街に”神奈川県立歴史博物館“として残されています)。
戦前以来の由緒がある建物は、建物そのものについての説明書きも(京町筋沿いの)壁面に用意されていますが、
神戸市子弟景観形成重要建築物に指定されている他、
文化庁によって登録有形文化財に、経産省によって近代化産業遺産にそれぞれ指定されている他、KIITOや神戸税関と共にBELCA賞(公式サイト)も受賞しています。
日銀前を京町筋に沿って海側へ進むと、
同じ道沿いには、旧居留地83番跡地に”ジャーディン・マセソン商会跡”碑があり(参考:英一番館(ジャーディン・マセソン商会横浜支社)跡)、
同じ歩道沿い、その丁度向かいには、公衆電話が”自働電話”と呼ばれていた頃を彷彿とさせる、おしゃれな城の電話ボックスが用意されています(自働電話について、参考:元町公園と自働電話)。
京町筋の中央付近については、日銀の神戸支店設立は昭和2(1927)年、神戸市立博物館の前身、横浜正金銀行神戸支店の建物竣工は昭和10(1935)年、居留地25番館の設立は平成22(2010)年で、いずれも”居留地後”の建物です。
参考:神戸市立博物館 “当館について“
恐らくは”自働電話”もそうなのでしょうが、主には旧居留地時代の文化を継承した建物等が今の旧・居留地を作っているという状態になっていながら、”そもそものはじまりからこういうところだった”感が強く伝わって来るという、歴史の連続性のようなものが強く感じられました。
“旧居留地”と言われればなるほどその通りというか、恐らくはそのあたりも、横浜や長崎などとはまた違った港町である、神戸一流の魅力なんでしょうね。