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三笠公園と記念艦三笠(京急横須賀中央駅最寄り)
三笠公園
三笠公園(横須賀市公式サイト)は、日露戦争(1904年~1905年)の日本海海戦(1905年5月27日・28日)において、帝国海軍の連合艦隊で旗艦を務めた”三笠”が展示されている公園です。
旗艦(Flagship=フラッグシップ)とは、海軍で編成される艦隊(=2隻以上の軍艦で編成される部隊)において、艦隊司令官が乗船し指揮官旗を掲げた艦のことを指しますが、艦隊は旗艦が発する指令に従って海戦を遂行するため、海戦の勝敗は、必然的に旗艦=フラッグシップの態様によって左右されます。
ということで、三笠公園では、ロシア・バルチック艦隊相手の日本海海戦の完勝に大きく貢献した連合艦隊の旗艦・記念艦三笠が海沿いに、日本海海戦で連合艦隊司令長官を務めた東郷平八郎・海軍大将の像が公園中央に、それぞれ置かれています。
ちなみに、”フラッグシップ製品””フラッグシップ店”などという形で、旗艦を意味する”フラッグシップ”が転用されることがしばしばありますが、この場合”フラッグシップ”と冠に付された製品や店舗は、元々のニュアンスを持ち込む形でそれぞれ最高級品、最重要店等を意味します。
艦隊の戦闘も、企業の商戦も、ともに”フラッグシップ”が命運を握っているんですね。
公園内の雰囲気は、その名の通り”三笠”がメインで、
海側にはそのまま、”三笠”が地中に埋め込まれています。
三笠の回りには、三笠の由来が書かれた説明板や、日露戦争の戦利品、大砲の弾、
ロシア巡洋艦の盾、
砲弾、
行進曲”軍艦”の碑など。
記念艦三笠に寄り添うように、飾られています。
記念艦三笠
記念艦三笠(公式サイト)は、公園から眺めているだけではなく、艦内に入ることが出来ます(観覧料金は一般500円、高校生300円、中学生以下無料他。詳細は公式サイト”来艦のご案内“へ)。
甲板は、大きいといえば大きいのですが、今時の感覚から行くと超巨大というわけではなく、どこかスタイリッシュさを感じさせるような、”戦う船”感がひしひしと伝わって来ます。
というのも、船の両舷や要所には、それぞれ機関砲(?)らしき装備が今も残されていて、
ところによって型は違うのですが、臨戦態勢にあったかつてを彷彿とさせてくれます。
燃料が石炭だった三笠の煙突も、その要素を持つ設備の一つですが、
主砲はやはり迫力があります。
この船がリーダーとなった艦隊がかつて日本の存亡をかけて戦い、そして勝ったのだと思うと、感謝の念もひとしお、カッコよさもより鮮明に伝わって来ますが、
そのことが一番実感できる場所は、主砲を見下ろすことが出来る位置に作られた艦橋です。
日本海海戦時の艦橋を描いた有名なシーンの他、
各指揮官たちが海戦時に立っていたとされる場所の跡も残されています。
中央には後に海軍大臣や内閣総理大臣等を歴任し、戦間期(第一次世界大戦~第二次世界大戦の間の時期)には全権委員としてワシントン会議(海軍軍縮条約、四か国条約、九か国条約締結)に出席した加藤友三郎参謀長(海軍少将)、右側に三笠の艦長である伊地知彦次郎海軍大佐、
日本海海戦の戦術を立案し、「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」という電文の名句を残した秋山真之参謀(海軍少佐)、
「皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ」の意味を持つZ旗(本来は”後がない、最後の戦い”を意味する信号旗のようです)をマストに掲げ、連合艦隊司令長官として指揮を執った東郷平八郎海軍大将です。
海戦時、指揮官たちは危険な艦橋にて指揮を執り、艦隊の士気を鼓舞するため一歩もその場を引かなかったといわれています。
アクセス
三笠公園・記念艦三笠とも、京急横須賀中央駅から国道16号線・海方向に向かって徒歩5~10分程度、海上自衛隊や米海軍の施設が林立しているふ頭の一角に位置しています。