横浜-新潟(津南町)全行程
交通手段の選択
高速バス旅・新幹線旅・普通列車旅・ドライブ旅の比較
旅行に先立って、各交通手段を比較しました。
【旅プラン】高速バス旅・新幹線旅・ドライブ旅、移動手段の比較
初日
一般道ドライブで横浜から群馬へ
計画段階では複数の交通手段が候補となって、特に普通列車の旅にするかドライブ旅にするかで最後まで迷った部分はあったのですが、最終的に今回はドライブ旅にするということでプランを立て、当日を迎えました。
初日は横浜から神奈川県央部へ進んだ後、国道16号線を使って東京・埼玉の西部を北上し、群馬南部の藤岡で一泊する行程です。
道もそこまで難しくなさそうだったので、ざっくりしたプランで進むことにしました。
世界遺産・富岡製糸場
“新潟へのドライブ小旅行”初日午後、世界遺産となった富岡製糸場(後述)へ立ち寄りました。
二日目
藤岡から草津へ
ドライブ二日目は藤岡駅前を8時に出発、まずは同じ群馬県内の草津温泉を目指しました。
不動大橋
草津から越後湯沢までの道中で通過点にあったのが、道の駅・八ッ場ふるさと館です。
今は無き民主党の鳩山政権時代。まずはダム建設中止・実施を巡って、さらには公共事業の在り方そのものを巡って議論が紛糾したことから知名度が全国区となったという曰くのある、”八ッ場ダムの八ッ場”に作られた道の駅ですね。
一連の騒動で特に注目を浴びたのは、草津の御座之湯同様に源頼朝ゆかりの由緒を持つ川原湯温泉で、旧地の水没と新地への移転は”八ッ場騒動”の象徴として扱われました。
群馬・新潟県境エリア
群馬から新潟へのルートとして、当日は県道53号線から国道17号線へと進むルートを選択しました。
群馬・新潟県境エリアの道路状況今昔 -草津街道と三国街道、三国峠と清水峠-
群馬・新潟県境に雪が多く降る理由
川端康成の小説『雪国』の冒頭部で謳われた”国境の長いトンネル”とは、上越線・清水トンネルのことです。
越後湯沢には、実際に川端康成が『雪国』を執筆した”雪国の宿 高半”が今も残されているほか、郷土の資料館である『雪国館』でも川端康成関係の展示が充実していますが、『雪国』冒頭部の描写は清水峠・谷川連峰が気候の厳しい豪雪地帯であることも物語っています。
なぜ雪国は雪国となるのでしょうか。そこにはいくつかのステップが存在します。
群馬・新潟県境に雪が多く降る理由(高所の気候と湿った雲、”大雪”と空っ風)
三日目
越後湯沢・魚沼ドライブ
三日目も前日同様、朝8時スタートで次の目的地(今回の旅行の最終目的地にあたる、津南町)を目指しました。
道中、山道や田んぼ道が続く通り沿いに、魚沼産のお米を売っている販売所を発見。
魚沼市や南魚沼市、さらには中魚沼郡など、いわゆる”魚沼エリア”で魚沼産のお米を売っていること自体には全く不思議はありませんが、”いつも食べているお米の産地”を旅先で実感出来る瞬間は、中々の感動の瞬間でもありました。
越後湯沢・十日町ドライブ -三国街道経由で”魚沼エリア”へ-
日本三大峡谷・清津峡へ
新潟県十日町市にある清津峡は、富山の黒部峡谷、三重の大杉谷と並び、日本三大峡谷の一つに数えられる峡谷です。かなりの人気スポットで、車のナンバーから判断する分には、新潟県内や近県のみならず、自分含め南関東からの訪問者も結構いるようでした。
津南町と魚沼地方
いわゆる”魚沼エリア”の行政区分について、まとめました。
”魚沼地方”というのは、新潟県の南部に位置する三つの市と三地区(十日町市・小千谷市、長岡市の一部の他、北魚沼地方、中魚沼地方、南魚沼地方)を総称した呼称で、地区全体が福島県・群馬県・長野県との県境に位置しています。
津南町へ
越後湯沢や十日町市からの道中、清津峡へ寄り道した後は、一路今回のドライブの目的地である津南町を目指しました。
津南町へ -見玉不動尊-
越後湯沢から清津峡へ進んだ後、今回のドライブの目的地である津南町で最初に目指したのは、ルーツが12世紀末(1186年)にあり、眼病への霊験があらたかであるという見玉不動尊です。
津南町へ -結東(けっとう)じゃまくら石公園-
見玉不動尊に続いては、結東じゃまくら石公園へ。
見玉不動尊と並んで観光案内所で教えていただき、新たにコースに加えたスポットです。
津南町へ -龍ヶ窪-
見玉不動尊、結東(けっとう)じゃまくら石公園と進んだ後、この日の津南町での最後の目的地、龍ヶ窪へ。
名水の源泉であり、一帯は「新潟県森林浴の森」100選に選ばれているというハイキングコースになっています。