【街歩きと横浜史】三渓園 -月華殿、天授院、金毛窟、春草廬-

三渓園と本牧エリア

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【街歩きと横浜史】三渓園 -月華殿、天授院、金毛窟、春草廬-

月華殿

三渓園の内苑地区に移築された重要文化財、月華殿への上り階段です。

階段途中から、臨春閣の向こうには園内のシンボルである三重塔が見えたりもしますが、

月華殿は階段上に位置しています。

 

天授院と金毛窟

月華殿奥には天授院があり、月華殿・天授院という二つの重要文化財の間、月華殿の隣には、

原三渓が構想した茶室である、金毛窟(大正7年=1918年築)が置かれています。⠀

 

伏見城と月華殿

月華殿は17世紀初頭の京都・伏見城にあった大名来城の際の控え所(1603年築、重要文化財)、天授院は鎌倉・建長寺近くに置かれていた地蔵堂の建物(1651年築、重要文化財)です。

かつて月華殿が置かれていたとされる伏見城も、桃山時代に豊臣秀吉によって築城された秀吉ゆかりの城で、秀吉が聚楽第を甥っ子に譲った後に、隠居先として造られた屋敷を原型に持ちます。

ちなみに、聚楽第を譲り受けた甥っ子とは、秀吉の姉の子である豊臣秀次です。

元々秀次は秀吉の後継争い筆頭にいながら、秀吉の側室(淀殿)の子である秀頼生誕によって疎まれるようになり、最期は叔父である秀吉によって切腹を命じられてしまうという、中々の悲劇の人だったりします。

秀吉は秀次の切腹後、かつて秀次に与えた聚楽第を破壊するのですが、それは要するに「元々後継として秀次を考えていたこと」を消したかったが故の行為でした。秀吉としては秀頼が生まれたのであれば大阪城は秀頼に与える、だったら伏見の屋敷は城にしなければならないということで、屋敷は城へと再建され、伏見「城」になりました。

そんな伏見城ですが、秀吉の没後一時的に家康の居城となった後、政治の中心は家康と共に大阪城へ移り、さらに関ケ原の戦い後は幕府の開かれた江戸へと移ります。以降、京における幕府の拠点が二条城におかれたことから、徳川幕府開府後ほどなく伏見城は廃城とされました(1619年)。

別途記事にしましたが、三渓園には、二条城ゆかりの施設(聴秋閣)も移築されています。

信長・秀吉の時代である織豊政権時代=安土桃山時代に花開いた文化が「桃山文化」と呼ばれている所以は、伏見城の廃城後、跡地に桃の木が植えられ、一帯が桃山と呼ばれるようになったことに依っていますが、当時の文化が強く意識された内苑地区の造り、文明開化と共に近代化が進んでいった明治の世の感性にどこかぴったりくるものがあるように感じますね。

 

春草廬(しゅんそうろ)

元々は月華殿についていたといわれる、期間限定公開の重要文化財・春草廬(しゅんそうろ)は、

内苑地区の奥にあって、周辺の緑に溶け込むような風情を醸す、小さな茶室です。

 

開園情報/アクセス

開園情報他

開園期間 12月29日~31日までを除く9時~17時(最終入園16:30)
交通案内 公式サイトに詳しい経路案内があります
入園料 中学生以上700円、小学生以下200円
割引制度 前売り券と20名以上の団体は100円引き
回数券/年間パスポート 回数券は大人:5枚3000円、子供:5枚500円。
年間パスポート:1年間2500円
駐車場 最初の2時間500円、以降30分毎100円。当日最大1000円。

 

アクセス(月華殿)

 

アクセス(春草廬)

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