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【書評/エッセイ】『いつも初心』

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酒井雄哉『いつも初心』(PHP研究所、2017年)

人は生きているというよりは天に生かされている、だから自分の天命を探し、それに従って邁進しよう、というポジティブさを説いている本です。

天台宗・大阿闍梨の、酒井雄哉さんの著作です。

金峰山寺・大阿闍梨の塩沼亮潤さんの本を読んでいても感じるのですが、大阿闍梨さんの著作には、一日一日を生きることの大切さを丁寧に説かれているという特徴があります。

その特徴は、毎日を生きることそのものが修行なんであって、大切なのは、同じ日が二度と来ない一日一日を、どれだけ丁寧に生きることが出来るかですというとらえ方から来るものです。

自分自身を大きな目標に到達させるためには、一日一日の地道な積み重ねが大切になってくる、一日なんてともするとあっという間に終わってしまうような時間かもしれないけど、そこに一生を見出すような生き方が出来るようになると全てが変わってくる、ということのようです。

ちなみに一日に一生を見出すとは、朝起きた瞬間に新しい人生が始まり、夜寝る時に「今日一日」という人生が終わるというとらえ方を指しますが、そのくらい大切に一日を生きてみれば、一日を構成する瞬間瞬間がどれだけ大切な瞬間に満ちているのか自覚できるようになる、色々なものの見え方が変わってくる、だから心にゆとりを持って一日一日を丁寧に生きていこうと説かれるわけです。

確かに、自分自身がいわゆる乗っている時とそうでない時の違いって、一日一日の、さらにその中の一瞬の密度をどれだけ濃いもの・実りあるものに出来ているかという部分が、決定的に違っている気がします。

何をやってもうまくいくような時は総じて密度が濃い(稼働時間が長く、かつ無駄時間が少ない)、反対の場合は薄いし実りが少ない(稼働時間が短く、無駄時間も多い)、みたいな感じでしょうか。

よくいう「悪いときは悪いなりにコントロールすべきだ」というのは、調子のいい時であれば意図せず出来ることを、そうでない時には意図してやる必要がある、それが出来るのであれば「コントロールできる」、出来ないのであれば「コントロールできない」という話しになるんでしょう。

もしコントロールできなければどうなるか。

悪いままの状態かつ無策で突っ込むことになり、「調子がいい時であれば普通に出来ていること」が、何もできない状態になってしまうわけです。

これでは都合が悪いですし、そもそも「いいとき」「わるいとき」のギャップ如何ではしゃれにならない話しになってしまいかねません。

ですが常日頃から一日一日を大切に生きていれば、この「いい時」「悪い時」の違いを極限まで詰めることが出来る、と説かれます。

常日頃から「悪いときは必ず来るのだ」が織り込まれて過ごしているからこその「丁寧な生き方」だからだと考えたら、確かにそうかもしれませんよね。

ではその「毎日を大切に生きる姿勢」「時間時間に詰め込める内容の濃さ」ってどこから編み出せるものなのかというと、「自分が信じた道を反復継続することから来る」とのことです。

「信じた道」は具体的スキルにつながることもあるでしょうし、自分自身を律する教えの反復などであることもあるでしょう。

日々目標に向かって地道に生きていく中で、同じことの繰り返しを一生懸命やるという習慣がついていると、その習慣が着実に自分を「夢」や「目標」に向かって進めてくれるということでもありますね。

毎日毎日を大切に生きていくにあたっては、「自分はこれで生きていく!」という、自分の能力に見合った(=自分が無理なく努力を続けられる)本線を定めることが一番大切なことだとも説かれています。

そもそもこの部分がないままであっては、「いやね、毎日毎日反復継続で生きていくって言ったってさ、そもそも一体何のためにそんなことするのさ」となってしまいますからね。

信頼できる助言を参考に、自分自身ときちんと相談した上で自分の生きていく道を見定めたら、あとは一日一日を大切に。そういう話しなのですが、酒井雄哉さんの本では全ての言が円熟の極みにあって、自然体の中で人の人生が達観されているような響きがあります。

同じ大阿闍梨・塩沼亮潤さんの言葉の場合はそこに「お師匠さん」の陰が時に見え隠れすることと比べて、一読者の目線からすると酒井雄哉さんの言葉は、まさにその「お師匠さん」の言葉そのものに見えてくる部分があるんです。

この辺は、出版時点での塩沼亮潤(1968年生まれ)さん、酒井雄哉(1926年生まれ)さんそれぞれの年齢からくる部分でもあるのでしょうが、結果としてすごくいいバランスを取ったまま読み進めることが出来ました。

ちなみに、酒井雄哉さんの思想の底流を貫く部分って、戦争経験者であり、かつ戦後の混乱期を生き抜いてきた方だというあたりからも来ているようです。

細部は別著(『一日一生』朝日新書、2008年)に詳しいのですが、戦時中は「なぜ、この人が死んで自分が生き残ったのか」という現実を目の当たりにして世の無常を感じたり、戦後の混乱期には極限状態に置かれた人の浅ましさを身にしみて感じさせらり、当時の物騒な世相に翻弄されたりと色々あったようですが、方々を転々とされた後、導かれるように仏門に入られています。

その時代を生きられた方(酒井雄哉さんと同年代の戦前生まれの方)は割と皆そうだったのかもしれませんが、同じく昭和といったって、ほぼ末期の部分を知っているだけの人間からすると、一難去ってまた一難が延々続く感じ、気を落ち着けるタイミングがないみたいに見えたりするんですよ。

比叡山との縁が出来たのも、波乱万丈の後に奥さんとの死別があった後の、まさに人生どん底状態になってしまった時で、そこからほどなくして千日回峰行を知り、達成者を目の前に見て、後の人生を決定づけるインパクトを得た、ということのようです。

そしてこの時からまさに、道が一本に定まっていくことになるんですね。

文章の持つ雰囲気として、とにかくとことんまでポジティブなのがいいです。読み進めていて楽しい気分になってきます。