西村京太郎著作選(書評)

【書評/西村京太郎著作選】『浅草偏奇館の殺人』

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【書評/西村京太郎著作選】『浅草偏奇館の殺人』(文春文庫、2000年)

概要

ジャンル ミステリ
あらすじ 戦争の足音が忍び寄る昭和7年。エロ・グロ・ナンセンスが一世を風靡した浅草六区の劇場、偏奇館で、三人の踊り子が次々に殺された。京子18歳、早苗19歳、節子18歳。ひとりは川に浮かび、ひとりは乳房を切り裂かれ、ひとりは公園の茂みの中に。事件の真相を尋ねて、私は50年ぶりに浅草を訪れたのだが…。(「BOOK」データベースより)

感想

「偏奇館」とは、かつての浅草にあったという設定の芝居小屋の名前で、作中のメインの舞台名です。

既に年老い、自らの余命もいくばくもないだろうと判断した主人公が人生最後のつもりで浅草詣でをするシーン、「自身の過去を振り返りながら現在の浅草を歩く」という、本編からは切り離されたプロローグ的な部分から物語が始まります。

実はこのシーンは単なるプロローグではなく、最終的には物語の謎解きに連なっていく流れと共にあるシーンなのですが、薄暗い世相の中で光り輝き、戦後も長らく自分の心の支えとなってきた「思い出の中の浅草」は、もはや思い出の中の街でしかないのだろうか、というような描写の「くすみ方」がとても鮮やかなんですね。

そんな街の変化が怖かったという主人公が、不安が的中してしまったと感じる浅草の街並みの中を歩きつつ、それでもかつてと変わらない一軒の店を見つけます。

ちなみに一軒のお店とは、浅草に実在する老舗喫茶店「ハトヤ」です。

救われたように明るい気分となってハトヤに入った主人公の回想は、やがて当時を共に生きた身近な仲間、そして「とある事件の発生」へと及ぶのですが、回想の最中、主人公は「ハトヤ」店内でかつてを思い起こさせられるようなシーンを目にします。

そしてその瞬間に、読者は今現在の浅草から「50年前の浅草」へと持っていかれるわけです。

以降、「なぜ当時の浅草が光っていたのか」を主人公目線で追体験しつつ、その追体験の過程において、やがて「プロローグ」でも触れられた連続猟奇殺人事件に遭遇していきます。

・・・というのが導入部から本編に至る流れですが、このタイトルには、それまで読んだ全てのトラベルミステリが色あせてしまうほどの強烈な魅力がありました。

何を隠そうこの「浅草偏奇館」的な話は、創作活動を進めていく上での「トラベルミステリ」への分岐があった頃から、西村京太郎さんが描きたかった一作だったようです。

浅草の人情ものを書くか、それともブルートレインものを書くか。70年代後半、この二択から担当編集者に後者を要求されたということですが、「トラベルミステリ」を書くことになった傍らでお蔵入りになったものが、時を超えた形で復活したのでしょう。

謎解きを補強する要素として、「浅草偏奇館の殺人」ではかつての時勢が細かく描写されます。

作中世界の日本社会に対して思うところについては、主人公の主観を通じて表現されます。とてもわかりやすく表現されているので、まるで本当に自分がその時代に生きているかのような気分になってくるんですが、ここも「浅草偏奇館の殺人」の魅力を強力にバックアップしている要素の一つにあたります。

ちなみに、かつて主人公がどっぷり浸かっていたのは、当時の庶民が溺れた娯楽、ある種の癒し(?)であった「エロ・グロ・ナンセンス」の世界です。

当時の浅草は、人々の本音が渦巻く非日常空間だったりもしたようですが、「隠れ家で語りあう本音」のようなものがエロ・グロ・ナンセンスの本質の一側面なのだとすると、そこには人間のあるがままが宿っているのだ、なんて見方もできるでしょう。

その意味では、最後浅草を去っていく「真犯人の一人」の後ろ姿は「生を捨て、死に向かう」姿でもあるわけですが、ラスト1ページの描写が、とにかく心にしみわたります。

「西村京太郎さんのベストは?」と問われたら、それは選ぶのがかなりキツいところなのですが、どうしてもベストの一冊のみということであれば「浅草偏奇館の殺人」を推します。