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【blog/2019年回顧】新元号「令和」の決定

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平成から令和へ

昭和から平成へと時代が移り変わった時と同じく、今回も新元号のうわさがぼちぼち出回りましたが、事前に出回るありがち新元号予測はなぜか必ずハズレます。

平成に変わった時は「平和」が鉄板だとされ、今回は「絶対に『安』か『久』の字が入る」と、尤もらしいといえば尤もらしく見えなくもない候補が上がって来たわけですが、ふたを開けてみればやっぱり噂は噂だったんだな、という次元の話しに終始しました。

一件だけ、Twitterで「令和」を3年前に予言していたというとんでもないtweetがありましたが、そのtweetにしても「事前に出回った」というよりはほぼガン無視されていたtweetが後から(4月1日当日に)掘り返されたという形のものでした。

ということで、今年1月4日に新元号は4月1日に発表されると決まり、その4月1日には「安」も「久」も入らない「令和」が新元号として発表されましたが、そんな「令和」の元号には、いくつかの異例だとされる要素が含まれていました。

ただし「何が」異例なのかという点については、情報の受け手がよくよく考えることが必要なのだという含みを持つ話しだと、個人的にはとらえています。

 

「生前退位」と異例の元号併存

新元号の発表があった4月1日から改元が行われた5月1日にかけて、世間は新元号である令和を知った上で「平成最後の一か月」を過ごすことになりました。

一か月間の「二元号併存期間」は前例がないものだとも報じられていますが、この話は「天皇陛下の譲位=生前退位が憲政史上初だった」という事実をどう捉えるによって、ニュアンスが変わってきます。

ちなみに改めてですが、報道で使われていた「生前退位」とは譲位の事です。この場合、どちらも、天皇陛下が生前に皇太子に皇位を譲る事を意味します。言葉遣いの違いは、要はどこにフォーカスしているのか、どんな含意があるのかの違いですね。

それぞれ「生前退位」は天皇陛下が生前に皇位を退くこと、「譲位」は皇位が皇太子に継承されることにフォーカスしています。

「憲政史上初」「生前退位」などといわれるととんでもなく革新的なことのように受け取れなくもないのですが、そもそも日本史の中にあっての「憲政」(憲法に基づいて世の中を統治する体制)の歴史とは、明治憲法が制定されて以来(明治22年/1889年以降)の歴史であることを意味しています。改元の歴史についてもほぼ同様のことが言えますが、一世一元の制が敷かれたのは明治元年で、その始まりは今から約150年前にあります。

これに対して神話の世界と共に起源が語られるのが皇室の歴史であり、皇位継承の歴史です。

今上天皇が第126代の天皇陛下であることに対して、令和は大化から数えて248番目の元号に当たりますが、在位中に改元が行われることがあれば、二代の天皇陛下在位に渡って同じ元号が続いたこともあったとされます(室町時代の応永年間、後小松天皇と称光天皇)。

そこに「一世一元」が当たり前であれば生じ得ないギャップがあることからも、それが脈々と受け継がれてきた伝統でないことは明白なのですが、既述の点を前提とすると、「生前退位」報道は暗に憲政の歴史を絶対視し、「譲位」と捉える姿勢は連綿と続く日本史の流れを重視していると捉えることもできます。

結論として「憲政史」と「それ以前から脈々と続いてきた日本の歴史」の間に生じたギャップ、この事が見え隠れしたのが今回の譲位にまつわる報道でした。

メディアでは当たり前に使われていた「生前退位」や「憲政史上」という表現は、別に間違ったことを言ってるわけではないのですが、よくよく吟味すると言葉のチョイス自体にどこか刺々しいというかよそよそしい含意を感じなくもありません。

この辺り、客観(=記者の主観が排除された)報道と銘打たれた報道が本当に「客観」報道と呼べるのか、というような問題も絡んでくる可能性のあるところですね。

憲政史や帝国陸海軍史、戦前の政治史・外交史等を主体とした史観でものを見るという姿勢が大切な含みを持つ場合もあるにはあるでしょうが、もっと長い視野で日本史をとらえなおしていくことも同様に必要です、ということで、令和の時代はどんな姿勢、視点がスタンダードになっていくのでしょうか、そんなことを感じました。

 

初の国書からの出典

645年の「大化」から数えて248番目の元号にあたる令和は、これまでの元号で確認可能だったものの中では初めて、中国の古典からの出典ではなく、国書である万葉集からの出典で決められました。

数ある候補の中から、原案となる最終6案が絞られたのが今年3月下旬。この時点では和書を出典とするもの、漢籍を出典とするもの、それぞれ3案ずつだったようですが、この6案から4月1日当日の懇談会で国書(万葉集)を出典とする「令和」へと絞られました。

「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」、年始の(春のはじまりの)一コマ、非常に華やかなシーンを前にして歌を作らずにはいられないといった、新しい生命の息吹に満ちた風景からカットされたのが「令和」の元号だということですが、なにより大きかったのは、この元号が国書を出典として決められたという点でしょう。

前例を踏襲するのであれば「漢籍出典」も自然なのでしょうが、そもそも今現在共産党が一党独裁支配する中華人民共和国と歴代の中国王朝はまるで別物です(厳密には、歴代の中国王朝にしても、それぞれ全てが別物です)。

この点、国書からの出典であれば、元号に込められた含意を素直にくみ取ることが出来るわけですからね。

とどのつまり元号とは何かといえばそれは文化目標であり、特に令和の場合は「和を大切にした文化を築いていく事」が大切にされるべきだという願いがこめられているようです。

他国に盲従する、徒に全てを受け入れようとするのではなく「外来の光輝くものを分け隔てなく寛容に取り込みながら和風化していく」試みが一層大切になってくるのでしょう(「」内、4月17日付読売新聞朝刊より引用)。

 

始めて元号に採用された「令」の字

4月2日付読売新聞の報道によると、出典元にあった「令月」とは「万事を為すのによい月」を意味し、込められた祈りとしては「令和は穏やかな時代となってほしい」というものがあるのではないかと推測できるようです。

昭和までの間に既に20回使用された「和」の文字に対して「令」が使われたのは今回が初。それを言ったら平成の「成」も史上初の使用だったようですが、令とはそもそも、元々の意味としては「神のお告げ」を指すようです(4月2日付読売朝刊)。

そんな「令」の字に、元号としてはお馴染みともいえる「和」の字が、国書からの出典で組み合わされたという元号、出典が示唆する含意はさておき、やはり何か引き締まった時代の到来を予感させるものに見えます。

令和元年が12月まで進んできた今にして思うこととして、初春の令月云々というよりはどこか多難な船出となったというイメージが強かった今年2019年でしたが、全てはこれからの時間にかかってくるということなのでしょう。

参考:新元号の制定について(首相官邸HP)、2019年4月1日、2日付読売新聞