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【blog/エッセイレビュー】塩沼亮潤『人生でいちばん大切な三つのことば』(春秋社、2015年)
大阿闍梨・千日回峰行
比叡山の千日回峰行の内容を、比叡山の公式サイトから引用すると、
千日回峰行は7年間かけて行なわれます。
1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日間行じます。定められた礼拝の場所は260箇所以上もあります。 4年目と5年目は、同じく30キロをそれぞれ200日。ここまでの700日を満じて、9日間の断食・断水・不眠・不臥の“堂入り”に入り、不動真言を唱えつづけます。 (比叡山公式サイトより引用) |
6年目は、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日。
7年目は200日を巡ります。前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、比叡山山中の他、赤山禅院から京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよびます。 最後の100日間は、もとどおり比叡山山中30キロをめぐり満行となるものです。 (比叡山公式サイトより引用) |
修行内容を文字で見ているだけでもめまいがしてきそうなハードさがありますが、平成の30年間に達成者はたった3人、戦後だと14人、起源のある平安時代以降でも51人のみだという記録が残されているようです。
千日回峰行は、現在比叡山延暦寺、金峯山寺(大峰山寺)、二つのお寺で行われているようですが、平成期には双方のお寺から達成者が出たようです。大峰山寺と金峯山寺は、大峰山寺の公式サイトによると、かつては一つのお寺だと判断されていた時代もあったようです。
ちなみに大峰山の千日回峰行の内容を、達成者である塩沼亮潤さんの公式サイトから引用すると、
「大峯千日回峰行」とは、奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂(354m)から24㎞先にある山上ヶ岳(1719m)頂上にある大峯山寺本堂まで、標高差1355mある山道を往復48㎞、1000日間歩き続ける修行です。
毎年5月3日から9月3日まで年間4ヵ月を行の期間と定めるので、9年の歳月がかかります。 行に入ると毎日19時に就寝、23時30分の起床と共に滝行で身を清め、装束を整えて午前0時30分に出発。 道中にある118か所の神社や祠で般若心経を唱え、勤行をしながらひたすら歩き続けます。 持参するものはおにぎり2つと500mlの水。 これを食べ繋ぎながら山頂到着8時30分。帰山するのは15時30分です。 1日16時間歩き続け下山してから掃除洗濯、次の日の用意など身の回りのことを全て行者自身がするため、約4時間半の睡眠で行に臨む生活が続きます。 (塩沼亮潤さんの公式サイトより引用) |
大峰山の千日回峰行は、比叡山の千日回峰行をモデルとする形で戦後作られたようなので、双方のハードルの高さに然程の違いがあるというわけでもないのでしょう。
塩沼亮潤『人生でいちばん大切な三つのことば』(春秋社、2015年)
塩沼亮潤さん曰く、それは「ありがとう」「はい」「すみません」の三語だそうです。
周りがどんな人間だったとしてもそれを受け入れ、感謝の念を持って自分のうちに取り込むことこそが最後には自分のためになるのだ、それもこれも、全ては自分が自分として生きていくために必要な事なのだと著作では主張されています。
本文中には、腑に落ちる話が次々出てくるのですが、例えば「世のため人のためは、多くの場合偽り。偽りとは『人』の『為』と書く」と言い切っているあたりにも、すごく共鳴出来ました。
あとは、そういう部分とは少し違うところに、少なくとも自分にとっては強烈なインパクトを持つ一節がありました。本文よりその一節を引用すると
「ちょうどそのころ、私の同級生がプロ野球選手になって活躍していました。名前を言えばだれでも知っているようなピッチャーですが、素晴らしい感動を国民に与えていました」
(中略)
「亮潤の友達は160キロの剛速球を投げられるかもしれない、でも(以下省略)」
ちなみに塩沼亮潤さんは1968年生まれ、母校は仙台の東北高校です。
ここまでの条件がそろっていれば、ここで言われる「プロ野球選手」「ピッチャー」が一体誰なのか、ベイスターズファン100人に聞いたら恐らく98人位は即答するでしょう。
ハマの大魔神こと横浜ベイスターズ歴代No.1ストッパー、佐々木主浩投手ですね。
塩沼亮潤さんが千日回峰行を達成したのは、まさに前回ベイスターズが優勝した頃の話しだったようですが、あの感動の陰で、千日回峰行達成という偉業がなされていたんですね。