【blog/映画レビュー】続 “君の名は。”? “天気の子”を見てきました

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【blog/映画レビュー】続 “君の名は。”? “天気の子”を見てきました

「天気の子」以前のお話し

“君の名は。”の新海誠監督の新作である”天気の子”、公開初日に見てきました。

謎の(?)封切り前レビュー含め下馬評では既に色々言われていますが、総じて「君の名は。」にはまった人であれば恐らく普通に楽しめるでしょう。

「君の名は面白かったしなー、見てみるか!」程度で見に行ったとしても、「君の名は。」で描かれた世界の雰囲気自体が好きだったのであれば、少なくとも見終わって映画館を出るときに「金返せバカヤロー!」になることはまずないだろうと思います。

前作と喧嘩せずにその映画一流の個性を乗せた上で、根本的な期待を裏切らずにやり過ごすことはできているのではないでしょうか。実際「君の名は。」を踏まえつつまるで別の映画を作って行くということが、制作で狙われたところでもあったようです(公式パンフ”director interview”より)。

仮に「君の名は。」を100点とすると、「天気の子」は大体75点~80点くらいの作品じゃないかというような感想を持ちました。邦画史に残るレベルの大ヒットを飛ばした前作を超えることはさすがになかったとしても、これはこれで十分面白かったというのが正直なところです。

 

「君の名は。」までと「君の名は。」から

新海誠監督作品は「君の名は。」から入っているので、それ以前の作品をリアルタイムで抑えているわけではないのですが、後から全作品の大まかな流れを見る分には、「君の名は。」が一つの転機になっていることがわかります。

というのも、新海誠監督作品の長いファンには言わずもがなの部分でしょうが、ドラマチックなハッピーエンドで物語が畳まれる「君の名は。」に対し、「言の葉の庭」然り「秒速5センチメートル」然り「雲の向こう、約束の場所」然り、新海監督の直近の過去作を見てみると「本当に大切な人を、結果的に自分のものに出来なかった」みたいな終わり方をする作品が主流だったんですよね。

「君の名は。」で例えるなら、瀧くんと三葉がティアマト彗星の衝突から糸守町の人々を救った後、二人とも相手の名前を忘れたまま、最後に坂道で再会せずに(あるいはすれ違ったままで)エンドロールが流れるのが「かつての新海作品だった」ということのようですが、「君の名は。」を境にして、この世界が違った描かれ方をするようになります。

「君の名は。」では時空の歪みに翻弄されるかのようななし崩し展開の中で、「天気の子」では一難去ってまた一難の大荒れ展開の中で、それぞれ主人公がその結末=最後の別れにつながる「切ないエンド」を止めに行くんですね。

特に「天気の子」では、「作られた調和はいらない、今のあるがままが一番」ということで、「あるがまま」が無かったことにならないよう、「あるがまま」を力づくで取り戻しに行くドラマが描かれています。

 

天気の子・ネタバレレビュー

船旅から繁華街の雑踏へ

家出高校生・帆高が、田舎の島からの船旅の後、都会の真っ只中に迷い込むところから物語は始まります。

作品冒頭の船旅中、帆高は同じ船に乗船していて、やがて一時のビジネスパートナーとなる須賀圭介と出会います。まずは突如大雨が降りだした船上にて、海に落ちてしまいそうになった帆高を圭介が救うことで二人の出会いが成立するのですが、この場面についてはいまいちわかりづらいところがありました。

なんでわざわざ船旅での大雨のアナウンスの中、一人好き好んでデッキに雨を浴びに出ていったのか(挙句、海に転落しそうになったのか)、という部分ですね。

映画の冒頭部分にあった、物語の展開や顛末を示唆するようなナレーションの内容と何か関係がある行動なのかなとは思ったのですが、見ていてうまくセリフを拾えなかったためか、何かその部分は有耶無耶に進んでしまいました。

後から振り返ってみれば、行動そのものが多難な展開を暗示しているとも取れる、実に示唆に富むシーンではあるのですが、それはあくまで後付けの感想です。結局のところなにを求めての突飛な行動だったのか、その目的というよりは結果(海に落ちそうになったところを圭介に救われた)の部分が強く印象に残ったシーンとなりました。

ところで、零細出版社を経営する40代の(妻とは死別した)独身男性だという設定の圭介、初見時の個人的な印象は、失礼ながらまんま「『君の名は。』の瀧のバイト先で、瀧と入れ替わった三葉と働く奥寺先輩のスカートを切ったクレーマー客」でした(注・実際には別人です)。

いくら尤もらしい理由があったところで、16歳の家出高校生に無理やりご飯をおごってもらうという展開はさすがに胡散臭く、結果的に楊枝でただ飯を食べたならず者というあの場面が一気によみがえってしまったんですよね。

果たしてこの男が「天気の子」世界ではどんなきっかけからイタリア料理店に食事に行き、どんなタイミングで頼んだ料理に楊枝を入れ、どんなやり取りの後に”三葉”瀧にクレームを入れ、挙句奥寺先輩のスカートを切るのだろうか、全ては初めから意図した行動だったのか、それとも突発的な犯行だったのか等々、といったあたりが個人的には最初の注目ポイントでした 笑。

実際には圭介と「かの人物」は全くの別人だったのですが、顔つきや声色の他雰囲気もそれとなく「ただ飯客」に似ているというアウトロー風の外見に反して、実はいい奴だったという描写と共に話が進んでいきます。

帆高が圭介と共に働き始めたあたりからは、明らかに圭介は圭介として「いい奴」キャラが立ってくるのですが、それはまだ少し先の話しですね。

嵐の中、船上に出ていった帆高が海に転落しそうになるところを圭介に救われるといった出来事を通じて食事を共にし二人が会話を交わす、この出会いによって、後に帆高は都会に居場所を得ることになります。

 

最初の試練

いざ船を降りて大都会のど真ん中に出てみると、そこは帆高にとってはひたすら殺伐としたところでした。船で知り合った圭介以外の知り合いはいない、居場所もない、職も見つからないと、上陸早々詰んでしまうわけですが、ただ詰んでしまうだけでなく、色々厄介な話にもまきこまれていきます。

都会のリアルを描写するという展開は「君の名は。」でもありましたが、「君の名は。」で描かれた東京は、瀧と入れ替わった三葉がそのまぶしさを体感するという文脈の中で表現された東京でした。

対して「天気の子」では、人工的なドライさや殺伐とした一面が強調された東京が描かれます。

あれも東京ならこれもまた東京、といった感じですね。

「地方との対比」で都会のキラキラ感が表現された「君の名は。」世界の東京に対し、単体で都会の負の側面が突き出されるのが「天気の子」世界の東京なのですが、ストーリーの進展と共に、そんな世界にもある温かさが作中に織り込まれていきます。

とはいえ出だしでは、まずはギラつき、殺伐としてドライなところが強調されます。

猥雑な空気と共に満喫の派手な看板が出てきたり、逆から読むと”all in AV”となることで有名な(?)求人情報のトラックがBGM付きで走っていたりと、「見るところをみたらそっくりそのまま」といった感じの繁華街の風景が流れてきます。

「君の名は。」でもどこかで見たことがあるようなないようなという胡散臭いタイトルがついたサイトを(三葉が瀧のために)ブックマークしていたなんてシーンがありましたが、相変わらず序盤からちょこちょこ生々しいところをぶっこんでくるなぁ、なんて感じのノリですね。

 

ひとときの安定と「晴れ女」

物語開始早々、都会の雑踏の中で完全に詰んでしまった主人公・帆高くんでしたが、万策尽きる形で船旅で知り合った圭介にアポイントを取ります。まずは居場所共々仕事を探さなければどうにもならないということで、藁をもつかむ形で東京での唯一の知人・圭介に連絡を入れるわけですが、そこで得た仕事は、まさに願ったりの住み込みの仕事(ライター稼業)でした。

正式採用後の早速の取材では「晴れ女を探せ」との指令の下、パートナーとなった女子大生・夏美と共に、それっぽい場所を探して回ります。

ネカフェの個室での食事時、帆高がカップラーメンの蓋として使っている本が常に”The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)”だったりするあたりもそのことを強く示唆しているのでしょうが、まずは帆高は自分の故郷から抜け出したい一心だったんですよね。

洋書を邦訳版ではなく原書で持っているというあたり、「中身はわからない、単なるお守り」とかじゃないのであれば、元々ある程度しっかり勉強をしていた生徒だったのでしょう。そもそも現役高校生が(零細とはいえ)出版社のライターとして正式採用されるって、中々のものですよね。

だからこそ思い立ったら自分を止められなかったとか、そんな話でもありそうです。

 

「晴れ女」との出会い、「君の名は」との接点

田舎からノープランで都会に抜け出してきた帆高でしたが、寝床がネカフェから圭介の事務所となってから先、居つける場所と仕事が見つかったという安ど感と共に、割と健全でテンポのいい毎日がはじまります。

ここでいう「晴れ女」とは、自らの意思で天気を操ることが出来るという特殊能力持ち女性のことですが、作品を俯瞰するのであれば、ヒロイン陽菜のことです。

都会に出てきた直後、圭介と連絡を取る前の帆高にとってはファストフードも貴重な休憩場所となっていたのですが、そのファストフードの客席が陽菜との出会いの場でした。

客の帆高、店員の陽菜という立場を通してファストフードの顔見知りだった二人は、図らずもお互いの素性を知りあってしまうというイレギュラーなイベントを通してその距離が一気に詰まると、やがて陽菜の家を拠点として「晴れ間を作り出すこと」を商売としていくようになります。

何かの比喩ではなく、そのまま「晴天を作り出す」という、陽菜の特殊能力を用いた商売です。

ということでここから先の帆高は、陽菜との「晴れ女」仕事、圭介・夏美との「ライター稼業」を兼業します。作中ひとときの順風満帆な毎日の中、帆高・陽菜の下にも一時の幸せが訪れるのですが、「天気の子」外の事情もそんな二人に歩みを合わせるかのようにして、帆高と瀧、帆高と三葉の出会いをもたらします。

瀧のおばあちゃんの依頼を通じて瀧に会った後で、瀧との会話に導かれるように向かったお店の店員さんが三葉だったという、実に「らしい」接点です。見覚えのある制服姿の瀧が登場してから、「店員」三葉に至るまでは、割と一気に流れていく展開ですね。

後から思い返してみると、それぞれ、瀧が帆高の相談に乗った時は三葉のことを思いながら、反対に三葉のお店で三葉が帆高に返答したときは瀧のことを思いながら、それぞれ帆高に回答しているようにも思えてくるのですが、仮にそうであったとしても、時期的には心の奥にひっかかった「何か」が二人の言葉のベースになっているにすぎないのだという、緩い「結び」がもたらす繋がりに過ぎません。

物足りないといえば物足りなくもありましたが、それでも「君の名は。」にハマった人間からすれば、一瞬とはいえ中々たまらないシーンでもありました。

時期的には彗星衝突後、瀧が高校2年生か3年生、三葉が大学2年生か3年生、坂の上での再会の何年か前の話しだということになりそうです。

 

代償=人柱からの大荒れの結末へ

物語の最序盤、まだファストフードの店員としてのかかわりしかなかった陽菜を守るため、風俗店のスカウトのような男から陽菜を連れ出そうとした流れで拾った銃を撃ってしまった帆高、「晴れ女」としての能力を酷使した陽菜、それぞれに審判が下されるといったラストに向かう展開は、つかの間の幸せの後に始まります。

「天気=晴れ間を自在に操ることが出来る」能力を駆使することの代償は、自らが身代わりになることだったということで、帆高、弟の凪と共に楽しい一夜を過ごした後、まずは陽菜があっさり逝ってしまいます。体が丸ごと水蒸気になって雲の上に上っていってしまい、来ていたガウンだけがベッドに残されたという。

本当に、すごいあっけない持って行かれ方でした。

「人柱」となった陽菜を失うという代償と引き換えによって世界は好天を取り戻すのですが、同時に、既に「お尋ね者」となっていた帆高にも「かつて」(東京上陸直後)の禊が要求されます。

ここから警察と帆高の「逃げて、捕まって、また逃げて」という追いかけっこが始まるのですが、このフェーズで足を引っ張るのが「大人である」圭介です。

器が大きく、酸いも甘いも嚙み分けた大人であったような描かれ方をしていた圭介が、突如として「あんた、何やってんだよ」って感じの立ち回りをはじめるのですが、反対に、ここで活躍するのが圭介の姪、圭介の女子大生アシスタント(記者)である夏美です。逃走中の帆高の前に原付で颯爽と現れ、帆高を拾ってパトカー相手のカーチェイスを繰り広げるんですね。

帆高にとってはこの追いかけっこ自体が「陽菜に晴れ女をやらせたのは自分だ、自分が陽菜に晴れ女をやらせたから陽菜がいなくなっちゃったんだ」という自責の念に支配されてのものだったのですが、夏美は帆高のそういう気持ちにそっくりそのまま共鳴するわけです。

このシーン、かっこいいといえばかっこいいし、名場面特有の疾走感もあります。クライマックスへと続いていく見せ場の一つなので、当然といえば当然ですね。しかしどこかに煮え切らない「何か」がついて回るようにも伝わってきます。

理性と本能というと大げさですしややピントがぼけてしまいますが、「頭」と「心」、「理」と「情」が真逆の答えを出しているシーンのようにも受け取れるんですよ。

「作られた何か」に「あるがまま」を壊されてしまうか、それとも「作られた何か」に壊されかけた「あるがまま」を力づくで奪い返すか。「自身の葛藤」という形で世間一般の良識を背負わされたのであろう圭介の言動と、感情がそのまま行動へと突き抜けていく夏美の言動にパラレルに映し出されたそれぞれの思惑が、消えてしまった陽菜に向かって延びていく帆高の言動の意味合いを、それぞれの立場から補足します。

頑なな意思と共に警察の包囲網を潜り、圭介の静止も振り切った帆高は、陽菜が「晴れ女」となったビルの屋上階にある鳥居をくぐります。逃走の目的自体が「陽菜の後追い」にあったということで、自分もかつての陽菜と同じ場所で強く祈って鳥居をくぐれば、陽菜をもう一度この世界に連れてくることが出来ると固く信じ、同じ気持ちを持って祈りを捧げるわけです。

結果、ビルの最上階の鳥居から天空の雲の中の世界、陽菜のところへたどり着くと、陽菜をもといた自分たちの世界へと連れ戻します。その後の展開はエピローグで語られるところとなりますが、結論として帆高が陽菜を連れ戻した後、大暴れした全員が全員、きちんと社会的なというか法的な制裁を受けることになりました。

イリーガルな何かをどこまで「良し」と出来るかによってのめり込み度が変わってくるパートでもあるでしょうし、反対に圭介の深情けに興ざめを感じてしまいかねないパートでもあるでしょう。

色々とカオスな空気は、最終的には帆高が消えてしまった陽菜を取り戻せるかどうかという一点に収れんしていきますが、事後処理含みで考えるのであれば、終わりよければすべてよしという方向に話がまとまります。

 

エピローグとエンディング

陽菜が無事戻ってきた世界において、各自がやったことに対して禊を済ませた後、それぞれがそれぞれの毎日の生活を守っていくための準備が必要になってくるパートへと、再び移行します。

ということでエピローグは、帆高の高校卒業に時を合わせる形ではじまります。

高校卒業後の大学入学という社会的な名分を持っての再びの上京では、住処探しからバイト探しに至るまで、前回の家出上京時がうそのようなイージーモードで話が進んだ後に、坂の上で待つ陽菜のところに駆け寄っていく帆高というラストシーンにつながっていきます。

もちろん率直に「天気の子」単体のラストとしても感動はしました。大団円的な含みもある、綺麗なシーンでしたからね。ただ、どこか君の名はのラストが被らなくもなかった分「強烈に感動した」というよりは、「いい映画だったなー」という、ライトな感動となりました。

帆高と陽菜の場合、結局はお互いの関係の保証にしても普通にあったのだろうと思える分、「君の名は。」に比べてハードルが下がっているように感じなくもなかったんですよ。

もちろん、こういうハードルは高いから偉い、尊いというものでもなくて、それよりは既にそこにある縁の質や強弱こそが意味を持ってくる部分だと思うので、ラストシーンが「日常生活の中にある、ちょっといいシーン」で終わったところも好印象でした。

「早く会いに行ってこい」みたいに、かつてに比べると立派な事務所を構えている圭介(と飼い猫)にちゃかされたりもしていたわけですが、ラストで一期一会を突きつけられたような再会を果たした瀧・三葉とはやはり好対照な感じがあります。

その出会い(というか再会)によってそれぞれの人生の一面が確定してしまったかのような瀧・三葉の関係に対して、「まだまだこれから、いよいよこれから」といった帆高・陽菜という感じの爽やかさも魅力ですよね。

改めてですが、「天気の子」は普通に面白い映画でしたが、特に「君の名は。」にはまった人であればより楽しめるでしょう。

見終わった後にもう一度「君の名は。」を見たくなって来る映画だろうと思います。

横浜出身・在住。現在、主に横浜(みなとみらい線沿線中心)の街歩きガイド記事を書いています。鎌倉・江ノ電沿線街歩きや箱根エリアの他国内小旅行記事をはじめ、その他の話題もボチボチ。サイトへのご意見・ご感想等々は、お手数ですがPCからお願いします。

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