箱根の火山活動と芦ノ湖・大涌谷の誕生(箱根山の変化、水蒸気爆発)

神奈川県内
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箱根の歴史

概略 -箱根界隈の地形が出来るまで-

箱根で火山活動が始まったのは今から約40万年前のことです。

今から約25万年位前までの箱根山は、富士山のような姿をした標高2700メートルを超える山だったと言われていますが、その後繰り返し激しい火山活動が起こったことから、箱根山の形、周辺の地形、共に徐々に現在の形に近づいていきました。

今から約18万年前、火山の噴火後に火口部がカルデラ(大きな凹地)となる形で現在のように幾つもの山が連なった”箱根山”の原型が出来、今から約15万年前の噴火では、溶岩流が現在の真鶴半島を作りました。

約6万6千年前(5万2千年前?)には、箱根山の地下のマグマが一気に地表に噴出するという、いわゆる”破局噴火”を起こすのですが、この時の火砕流は、東は三浦半島・横浜市まで、西は伊豆半島北部から静岡・富士宮市まで到達したほか、火山灰は千葉の東方にまで到達したとのことです。

現在のところ、この時代の日本列島では化石人類(猿人・原人・旧人・新人の、化石で発掘された人類の祖先)の活動は確認されていませんが、当時(60万年前~)の地球上は、ネアンデルタール人などのいわゆる旧人が活動していた旧石器時代にあたると推定されています。

“旧石器”時代は、その時代に使われていた道具からの命名で、主に打製石器や骨角器が使われていました。

参考

芦ノ湖・大涌谷の誕生 -3000年前の水蒸気爆発-

先史時代を通じてコンスタントに活動を続けた箱根の火山活動の中、今から3000年前に発生した水蒸気爆発では、芦ノ湖と共に大涌谷が誕生しました。芦ノ湖や大涌谷を誕生させた”水蒸気爆発“とは、大量の地下水が地下のマグマと接触することによって起こる爆発のことを言いますが、ここで水蒸気爆発の基本的なメカニズムは、以下のようなものです。

1.帯水層(地下水を大量に含んで密閉された層)に地下深くからマグマが流れ込んでしまうと、帯水層に含まれた地下水は、マグマの熱によって一気に気化します。

→高校の化学で勉強することになる理想気体の状態方程式を使っての概算から、水が100℃で気化する時、液体状態からの体積変化は約1700倍になると考えられています。

 

2.ごく微量であれば単なる気化で済む話でも、規模によっては”1700倍”がとてつもない威力を持ちます。

→たとえば蒸気機関車であれば調整しながら利用することになる蒸気圧を、水蒸気爆発へとつながる地下水・マグマの接触では一切調整できないため、一気に圧がかかってしまいます。

 

3.そのため、大量のマグマが大きな帯水層に流れ込み、地殻が圧を制御できなくなった時には、深刻な規模の爆発が発生します。

芦ノ湖が出来た約3000年前の噴火(水蒸気爆発)では、現在の芦ノ湖周辺エリアが丸ごと爆発したため、その時の地形変更によって川(=早川)がせき止められ、芦ノ湖が誕生しました。

参考

箱根と日本の先史時代

ちなみに大涌谷や芦ノ湖が出来た今から約3000年前の日本は、1万年以上の長きに渡って続いた縄文時代も終わりに差し掛かり、神話の世界の始まり(皇紀元年=前660年)が間近に迫っていた時代です。

神奈川県の西隣・静岡県では既に浜北人の活動が確認されて久しい時期(一万数千年前~)で、同じ神奈川県内ということでも、例えば元町貝塚(みなとみらい線・元町中華街駅直近にある、今から約5000年前の遺跡)では、既に当時を生きた人々の生活跡が確認されています。

国内のそこかしこにぼちぼち人類の祖先の生活跡が確認できるようになってきた時代、箱根エリア近郊を拠点としていた人類の祖先たちは、度々訪れる箱根の大爆発を横目に見ながら貝塚暮らしをしていたんですね。

ということで、火山としての箱根の歴史には、防災意識を啓発するために持ってくる事例としては少々絶望的すぎる沿革が含まれているのですが、現在も活火山であり続けているということから、例えば箱根町役場では「万が一」のケースへの備えも計画されています。

参考

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