鉄道旅行

【青春18きっぷの旅:初日】中央本線・塩尻から奈良井まで

この記事を読むのに必要な時間は約 5 分55秒です。

いつもの横浜駅からスタートさせた青春18きっぷ旅。

高尾から乗り換えた後の中央本線では早速小旅行気分に満たされた後、この日の宿泊地であった奈良井までの乗換駅となった塩尻で、一旦食事休憩を取ることにしました。

【青春18きっぷの旅:初日】中央線&中央本線で横浜から塩尻まで普段はおよそみなとみらい線の沿線だったり、そこから近い範囲で動くことが多いのですが、このところ毎年お盆過ぎにお墓参りを兼ねた長旅をする事...

塩尻で食事休憩

沿線風景に大満足だったこともあって、高尾から先は本当にあっというまという感じだったのですが、お昼過ぎに乗り換え兼昼食休憩を予定していた塩尻駅着。

下車後の空気がたまらなく心地よかったことも覚えていますが、一旦下車することも目的のうちといった感じで、昼食を予定していた駅すぐ傍にあるレストランへ。

駅傍というか、駅についているタイプのレストランですね。

塩尻駅前”ほっとしてざわ“、どれを食べてもおいしいらしいということが食べログにかなりアツく書いてあったので「ここでしょ」と計画段階で即決。レビューにも書いてあって、かつお店でも結構いろんな人が頼んでいた”山賊焼き”定食を頂きました。

山賊焼きとは長野の郷土料理で、どこかフライドチキンのような見た目である程度分かる通り、大きめのから揚げです。これが本当においしかったです。

山賊焼き以外にもいろいろなメニューがあって(馬刺しなんかも食べられるようです)、かなり充実したお店だったのですが、もう一品には鮎の塩焼きの代わりに(鮎は品切れだったらしいので)ヤマメの塩焼きを頂きました。

概して鮎より美味いといわれている川魚のヤマメ、本当においしかったです。

鮎って川の水がきれいなところ(主に山間部か、山間部に近い平野部)にいったら必ず食べる魚なんですが「ここの鮎うまいだろうな~」で食べたヤマメも、本当に最高でした。

この辺はもう、鮎かヤマメかというよりは、どっちもうまいが正解ですね。

お店の中はレトロな感じ。テーブル上にしても、お店の雰囲気にぴったり合っています。

調味料や箸はともかく、テーブルごとに扇子が置いてあるのは中々親切ですよね(もちろんクーラーは効いています)ということと、あとは写真の左側。このタイプのおみくじというか星占いもすごく久しぶりに見たのですが、なんか懐かしかったです。

昭和の頃(末期)って、ちょっといい感じのレストランに行くと、ほぼ必ずといっていいくらいこの機械(ルーレットおみくじ器というらしいです)が置いてあった時期があった記憶があるんですが、”ほっとしてざわ”での昼食時には、逆に「いつの間になくなったんだろう」なんてことを思わされました。

そのくらいレトロ感が自然だったということですが、お店の雰囲気もいい感じに落ち着いていました。

ごはんがおいしかったこと、お店の雰囲気が自然なレトロ感を持っていたこと以外にも、店員さんがすごく親切なお店だったので、また塩尻に寄った際にはぜひ食べに行こうなどと思いつつ、JR東海の中央本線・木曽福島行きの電車へ乗車するべく、お店を後にしました。

 

中央本線・奈良井駅まで

塩尻驛

今回の目的地である奈良井にしてもそうですが、中央本線沿線に位置する塩尻は、旧中山道沿いの宿場町が多くあるところです。沿線で楽しんできた風景が示すような自然環境の他、旧街道沿い等にもたくさんの名所があります。

ちなみに旧街道があり宿場町があったということは、近代以降もその地が交通の要衝になりやすい条件を持っていたということを意味していますが、昼食後、まだ少し乗り換えまでの時間があったので駅周辺をうろうろしたところ、「駅」が旧字体で「塩尻驛」と書いてある、ちょっと渋めの表札を見つけました。

JRや国鉄、鉄道省の前身である鉄道院・中央線の塩尻驛の開業は、表札にある通り明治35年(1902年)12月15日ですが、同年は日清戦争(明治27年=1894年~明治28年=1895年)と日露戦争(明治37年=1904年~明治38年=1905年)の戦間期のターニングポイントとなった年です。

「英と結ぶか露と結ぶか」という二択を前にして日英同盟が締結され、後に帝国海軍が歴史的な勝利を収めた日本海海戦の旗艦となる、三笠(英国ヴィッカース社製)が竣工した年(同年3月)が明治35年でした。

日英同盟締結によって、日露協約を推していた伊藤博文もロシアとの融和を断念し、あとは対露開戦のタイミングを待つばかりとなったという、戦間期というよりは日露戦争前夜だったという方がぴったりくる年ですね。

そんな年、ここ塩尻には塩尻驛が誕生しました。

「鉄道」という部分では、新橋・横浜間に日本初の鉄道が開通(明治5年=1872年9月)した約30年後のことです。

 

JR東海エリアへ

駅の表札を撮った後、駅前上空に広がっていたのは夏の空。

せっかく下車したのだからと少しだけ駅前を散策した後、少し早めに駅構内へ戻りました。

早速次の電車を目指してホームへ向かうと、道中の行先案内には松本、長野、中津川、名古屋とあります。

松本! 長野! それに名古屋ですよ、名古屋!

早くもここまで来ちゃいましたというような気分、新幹線を使っていればこうはならなかったのでしょうが、こういう感動というか感慨も、18きっぷ旅ならではなのでしょう。

同じ中央本線でもこの先はJR東日本ではなくJR東海の管轄で、駅名に「木曾」が付くエリアに入りましたということで、気分は完全に”18きっぷ旅モード”です。

例えば中央本線沿いのある区間には、中日スポーツのかなり大きい広告が出ていたりもしたのですが、そういうご当地感も中々にたまらなかったです。

「既にこの辺にはベイスターズファンなんてほとんどいなくて、そもそも野球を見に行くといったらナゴド、野球ファン=中日ファンなんだろうな」みたいなことを思ったり、そうはいっても実際には巨人ファンが多かったりするエリアなのかもしれませんが(笑)、そういう日常風景の違いがさらっと伝わってくるあたりもローカル線旅のたまらない魅力といえば魅力です。

特急その他の旅と違って「今は旅行中ですよ!」という垣根が低い分、伝わってくるものも多くなるという感じでしょうか。

日曜日とはいえ昼間のこの時間帯にしては人が少ないな、なんて清々しい気分になったことを覚えていますが、慣れって恐ろしいもので、やがてこの状態が普通だと感じるようになっていきます。

塩尻駅を発車した中央本線は再び山間部へ。

緑の中をひた走っていくローカル線の旅、再開です。

塩尻ー奈良井の丁度中間、中央本線贄川駅。

駅のホームすぐ傍まで緑が迫っています。

自然に囲まれた、絵になるロケーションだとは思うのですが、背後に山を控えたこの近さ、夜間電車を待っていたらツキノワさんとご対面しそうな怖さがあるようには感じますね。

しかし昼間、それも夏の晴天時であれば、そんな怖さは微塵も伝わらず。

ただひたすら爽やかな風景として車窓に映えていました。

 

中央本線・奈良井駅

贄川から二駅目、塩尻からだと5駅目にあたる、奈良井駅着。

今回の旅のそもそもは、この奈良井駅傍で保存されている旧中山道の宿場町、奈良井宿を知ったことから始まりました。その意味では、旅程しょっぱなにしていきなりのメインともいえてしまう地に到着の瞬間ですね。

駅ホームには「中山道 奈良井宿」のプレート。

走り去っていく電車を撮影しようと待っていても、中々発車しない電車。諦めて電車入りの駅ホームと周辺風景を撮ってみると、これが中々いいじゃないですか。

レトロな待合室もホームの雰囲気を作ることに一役二役買ってます。

改札で18きっぷを見せて駅舎を出ると、奈良井宿が左側に見えてきます。

18きっぷの旅、最初の半日経過を待たずにすっかり気分は旅モードになってしまいましたが、駅舎の向こう側からが、いよいよ今回の旅行の本編スタートです。

(続く)