【たびキュンパスで三内丸山へ/5】青森駅前エリアでの昼食後、三内丸山遺跡まで

国内旅
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日本を代表する、縄文時代の遺跡へ

青森駅前から、今日のメイン目的地・三内丸山遺跡へ

朝一の東北新幹線・はやぶさ号で新青森駅へ。さらには在来線で青森駅へ。

青森駅到着後、駅近のベイエリア経由で少し早めのお昼ご飯を味わった後、再び青森駅前まで。

それでも”最低限”を抑えたつもりではあるのですが、漠然と「青森観光!」と言う形で青森に来たのであれば、日中丸々この周辺(青森駅界隈)だけで過ごすのもアリかもしれません。

そんなことを思える程度には、観光施設等が密集しているエリアだったようには感じました。

なので、今振り返ってみてもやっぱり少々せわしないプランですね、なんて思いが改めて蘇ります。

まさに駅前エリアのA-FACTORY、ねぶたの家ワ・ラッセ、メモリアルシップ八甲田丸等々が見どころとなっているエリアから、

青森ラブリッジを渡って進む青い海公園へ、

さらに進んで青森港新中央埠頭公園、青森ベイ・プロムナードから、

青森港北防波堤西灯台(あおもりアスパム灯台=あすぴぃ)へ。

ふ頭の端から端まで歩けてしまうという開放感のある整備のされ方が何とも魅力的ですが、ここをフルコースでゆっくり回ったとしたら、やっぱりそのくらいの時間(日中一杯)はかかるのではないでしょうか。

あとはスケジュール調整の仕方、時間との戦いって感じですね。

ともあれ。

駅前エリアへの未練についてはそれはそれとして、再びの青森駅前到着後は、早速、本日のメイン目的地である縄文遺跡・三内丸山遺跡へ向かいました。

参考

三内丸山遺跡着

現地着

JR青森駅からは、バスの時間が合わなかったことから、タクシーで現地まで。

運転手さんもぼちぼち歴史に明るい陽気な方だったことから、思わぬところでテンションもアップ。

少々距離はあったのですが、車内の空気も空気だったということで、おかげさまで長くは感じませんでした。

Googleマップだと車で14分と出ていますが(※)、実際そんなものだった記憶があります。

タクシー内でも気持ちは盛り上がりましたが、やはりまずは到着の瞬間ですよね。

三内丸山遺跡が世界遺産登録されたのは2021年。

その頃から話題に上る機会も増えたということもあって、個人的にも行ってみたい遺跡の一つでした。

そんなこんなで施設入館を前にして「着いた!」「三内丸山だ!」と、どこか感無量みたいな気分になったことを思い出します 笑。

ちなみに三内丸山遺跡はJR青森駅よりはJR新青森駅に近いところに位置しているので、最短距離での直行を考えるのであれば、青森駅まで移動せず、新青森駅からの移動(新幹線下車後、バスorタクシー利用)がベストです。

公共交通機関では、新青森駅からであればシャトルバスのねぶたん号(※2)が、青森駅からであればねぶたん号のほか青森市営の路線バス(※3)が、三内丸山遺跡までのルートをカバーしています。

参考

about 三内丸山遺跡(施設関連)

見学時間 9:00~17:00(GW、6/1~9/30は18:00まで)
休館日 毎月第4月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12/30~1/1)
入館料 一般:410円(330円)
高校生・大学生:200円(160円)
中学生以下:無料
( )内:20名以上の団体
他、各種割引等については公式サイト”ご利用案内“へ
注意事項/館内施設 遺跡見学入口は、縄文時遊館のみ
縄文時遊館には、縄文シアター、常設展示室(さんまるミュージアム)、企画展示室、体験工房、ミュージアムショップ、あおもり北彩館(三内丸山店)、れすとらん五千年の星等が用意されています。
詳細については、公式サイト”施設のご案内“へ。

施設内へ

施設入館後、最初に向かったのは”ボランティアガイド”の待ち合わせ場所でした。

お目当てのスポットに到着後、下調べした知識をもとにしてあとは早速自分で見て回るというやり方にももちろん利点はありますが、”ガイド”サービスが用意されているのであれば、それを利用しない手はありません。

ここは本当に、横浜山手を見ても、全国各地の史跡・博物館等を見ても、一様にそう感じます。

特に「雰囲気を味わえればそれでいい」程度ではなくて、ぼちぼち施設自体に興味があるような場合ですね。

一巡目はガイドさんと一緒に、二巡目は(時間があれば)改めて個人的に、最後にミュージアムショップ等に寄って面白そうな本を買って帰る(面白そうな体験イベントがあれば体験してみる)、というのは、考えるだけでテンション上がって来ますが 笑、史跡、博物館、資料館等に寄った時のお決まりコースです(順序が前後する場合アリ)。

ということで、下調べの段階で”ボランティアガイド”が用意されていることが分かっていたので、今回はそのガイドの開始時間に合わせてプランを組んでいました。

二巡目の時間、本を物色する時間はどの程度取れるかな? というあたりがやや不透明ではありましたが、ほどなく集合時間が訪れましたということで、ガイドさんの案内の下、早速遺跡へ向かいました。

遺跡の手前には遺跡全体のジオラマが用意されているのですが、まずはここで簡単なレクチャーを受けます。頭の中整理と、あとは気持ちを”見学モード”に持っていくための時間ですね。

完成度の高いジオラマのおかげで、悠久の縄文時代を生きた縄文人たちの生活がこの空間にギュっと詰め込まれていることが、遺跡見学を前にして伝わります。

縄文時代自体は約1万年、ないしは約1万2千年に渡って続きましたが(二説あり)、三内丸山ではその前期から中期にかけて、約1700年に渡ってムラが形成され、縄文人たちの共同生活が営まれました。

文字通り”ゆりかごから墓場まで”、あるいは”胎内から天国まで”。

三内丸山の縄文人たちの一生は、遠隔地交易によって成立していたという面を持ちながらも、ほぼこのムラと周辺地域を中心として成立していたんですね。

それも約1700年にも渡ってということなのですが、2025年の1700年前といえば325年です。

“記紀”(古事記、日本書紀)によれば日本では概ね仁徳天皇の治世とされる時代であり、ヨーロッパでは古代ローマの帝政開始以来続いた”パックス・ロマーナ”の時代が終わって久しい、古代ローマ帝国がキリスト教を公認(313年、コンスタンティヌス1世が発したミラノ勅令によります)した位の時代です。

我々現代人の目盛りで考えた場合、その頃から今に至るまでの期間(皇室で言えば、16代仁徳天皇の時代から、126代今上天皇に至るまでの期間)が、概ね三内丸山を拠点とした縄文人たちの時代だったのだということです。

彼らはそのくらいの期間、先祖代々ひとつところで暮らし続けていたのだと考えると「今現在を生きる人間の想像を超えた何か」を連想させられるところともなって来ますが、

そんなこんなで、いざ、三内丸山遺跡へ。

※旧石器時代や縄文時代の詳細、遺跡内部の詳細については、別途記事化します。

参考

  • あおもり案内名人 “三内丸山遺跡
  • 三内丸山遺跡センター 『三内丸山遺跡ガイドブック』(令和4年3月31日)
  • ものの芽舎 『さんまる探訪 三内丸山遺跡ガイドブック改訂版』(2021.10.13)
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