稲村ケ崎公園へ
江ノ電稲村ヶ崎駅と国道134号線
海沿いの国道と、三つの鎌倉海浜公園
江ノ電の稲村ケ崎駅下車後、南に向かって歩いていくと、割とすぐに海岸沿いの国道134号線へ進みます。
稲村ケ崎駅の両隣にあたる極楽寺駅や七里ガ浜駅等々のロケーションにおいても然り、七里ガ浜駅の隣・鎌倉高校前駅に至っては駅ホームから海が望めたりもしますが、少し歩くと海に出られるという条件は江ノ電沿線駅の魅力の一つですね。
134号線に出るとすぐ、右手遠方には江の島が望めますが、
左手割とすぐのところにあるのが、稲村ケ崎と鎌倉海浜公園稲村ケ崎地区、通称稲村ケ崎公園です。
鎌倉海浜公園の後ろに「稲村ケ崎地区」と付くのは、稲村ケ崎の向こう側に位置する坂ノ下、さらには由比ガ浜にも同じ鎌倉海浜公園があるためです。
それぞれ、坂ノ下にある海浜公園は「鎌倉海浜公園 坂ノ下地区」、由比ガ浜にある海浜公園は「鎌倉海浜公園 由比ガ浜地区」と呼ばれます。
広域の地図で見ると隣り合っているようにも見えるそれぞれの公園ですが、坂ノ下地区は成就院などの最寄り駅でもある極楽寺駅が最寄り、由比ヶ浜地区は由比ヶ浜駅が最寄り、稲村ケ崎地区は稲村ケ崎駅が最寄りとなっています。
稲村ヶ崎公園へ
稲村ケ崎駅下車後、海岸線にたどり着いてすぐのところには、江の島方向に向かって延びる七里ガ浜への降り口が用意されています。
稲村ケ崎公園の入り口は、七里ガ浜の海岸線と反対方向へ、少し坂を上っていった先にあります。
この坂道を上って下りると進行方向右側に由比ガ浜が出てきますが、
そんな坂道の途上、進行方向右手(上写真の左側)に稲村ケ崎公園の入り口があります(鎌倉市公式サイト ”鎌倉海浜公園の紹介“)。
稲村ケ崎公園
新田義貞と稲村ケ崎
公園入ってすぐのところには、鎌倉の歴史を感じさせる石碑が幾つかあります。
一部碑文を読めなくなっているものもあるのですが、概ね新田義貞の鎌倉攻め時の伝承を記したものです。
時は1333年。
鎌倉幕府を滅亡させた鎌倉攻めにおいて、反幕府勢力に転じた御家人・新田義貞が進軍困難だったこの地の海岸線を渡ろうとしたところ、打ち寄せる波が高かった場所が干潟となり、無事に渡ることができたという伝説が残っています。
このことから、稲村ヶ崎公園は『新田義貞徒渉(としょう)伝説地』として国の史跡に指定されています。
残念ながら、一部の石碑では碑文がとても読みづらい状態となっています。
新田義貞徒渉伝説に関する、国が史跡に指定する前の石碑です。
この石碑も新田義貞関連で、明治天皇の御製を海軍大将・岡田啓介閣下が書き記したもののようです。
稲村ケ崎からの景観 -江の島と富士山-
史跡としての個性が光る稲村ヶ崎公園ですが、国交省の「関東の冨士見冨士見百景(公式サイト)」や「鎌倉市からの富士(公式サイト)」、
さらには神奈川県指定のかながわの景勝50選に指定されているなど、景観についても保証付きです。
加えて、海産物が豊かな海であることに起因する注意書きがあるなど、海が近くにあることの魅力満載な地域であることもわかります。
国道沿い、なおかつ公共交通機関からも徒歩圏内という好立地にあるのですが、
強いて言うなら付近のパーキング台数が限られてくるあたり、難点といえば難点ではありそうです。
公園内の様子
公園入り口はいってすぐのエリアからさらに上に登っていと、海を望む景観にもさらに雰囲気が出てきます。
公園内の頂上付近には展望台のようなエリアもあって、
公園内の坂道を上りきると、そこにはちょっとした広場も作られているのですが、
生前鎌倉の地に魅せられたというノーベル賞学者、
ローベルト・コッホ博士の碑が置かれています。