【秋の箱根泊2021/旧街道と宿場町巡り】一里塚(旧街道上、約4キロ毎の目安)

南関東/静岡・山梨
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“一里”の距離

about 一里塚

一里塚の整備

一里塚とは、五街道をはじめとする江戸時代の街道上に、“一里”毎に設けられていた”塚”のことです。

時は江戸幕府成立直後の、慶長9(1604)年。

徳川家康の命を受けた二代将軍・徳川秀忠が、かねてより1里=36町とされたことの後を受ける形で江戸・日本橋を元標とし、築造したもので、一里の長さでは人間が徒歩で歩いた際に平均で1時間かかる距離が目安とされました。

神奈川県内の旧東海道上にはかつて20の一里塚があったとされていますが、箱根越えのような難所では、距離の厳密な計測よりも旅人の実用性が優先された結果、”幻の一里塚”が存在するようなケースも生じています(※1)。

参考

“一里”の距離と尺貫法

ちなみに”里”や”町”は尺貫法の単位ですが、”1里”の1/36に当たる1町は約109メートルに該当します。

1里は36町、1町は60間、1間は6尺、1尺は10寸です。

小さい方から順に、”寸”は親指の幅(約3センチ)、”尺”は手首から肘の長さ(尺骨の長さ=約30センチ)、”間”は成人男性が横になった時の幅(約180センチ)など、ルーツとしては概ね人間の体の部位を基準として考えられています(※2)。

参考

かつての一里塚と、現在の一里塚跡

江戸時代に作られた一里塚には、小高く盛られた土に目印として木が植えられていました。

植えられる木は、元々は榎(えのき)や松がほとんどだったものの、江戸時代中期以降はまゆみ、桜、槻(つき)、樅(もみ)、栴檀(せんだん)と、バラエティに富むようになっていったようです(参考:国交省関東地方整備局 横浜国道事務所 “東海道への誘い一里塚“)。

残念ながら、今となってはかつての姿がそのまま遺された一里塚の方がレアとなってしまっているようですが(神奈川県内には、畑宿の他、三か所が残されています)、それでも”跡”は方々に残されています。

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