【開港都市の風景/00年代の函館 その4】金森赤レンガ倉庫(西波止場傍)

東北/北海道
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金森赤レンガ倉庫

金森赤レンガ倉庫の歴史

函館四天王・渡邊熊四郎と金森洋物店

金森赤レンガ倉庫公式サイト)は、明治2年に開業した舶来雑貨等の販売店である、金森洋物店(函館市公式観光情報旧金森洋物店“)にその起源があるとされています。

“倉庫の起源がある”とは「金森洋物店の大繁盛が、後の金森赤レンガ倉庫を生み出すこととなった」ということで、まずはじめに金森洋物店の事業ありき、ついで貿易規模の拡大とその恩恵によって、後に(明治42年に)現在の金森赤レンガ倉庫が生み出されました。

一連の流れには、金森洋物店の創業者である渡邊熊四郎さんの個性も、大きな影響を与えています。

渡邊熊四郎さんは、九州・大分の出身でありながら縁あって箱館に渡り、以降箱館・函館にて商業に従事します。この渡邊熊四郎さんにとって故郷を離れた新天地での最初の事業が、金森赤レンガ倉庫のルーツとなる金森洋物店の創業・運営でした。

特徴的な点としては、金森赤レンガ倉庫は営利目的の施設でありながら「私益を公益にも還元する」狙いが含まれていたことが挙げられますが、渡邊熊四郎さんは貿易で莫大な利益を上げつつ、公共の利益のために働くことにも余念がなかったようです。

学校、病院、公園、新聞社、水道、工場等々、地域発展の土台となるべく施設、情報媒体、インフラ創設のために多々私財を投じられたことから、金森洋物店や赤レンガ倉庫事業は、やがて公的な含みを持つ事業ともなりました。

最終的には“函館四天王”函館市公式観光情報函館四天王像“)の一人としてたたえられたという、いかにも昔気質の名士という渡邊熊四郎さんのふるまいあってこその部分ですね。

金森洋物店と金森赤レンガ倉庫

当時の時勢に乗る形で大繁盛していた金森洋物店は、前記したように、やがて倉庫営業に乗り出します。

既にあった倉庫を買い取る形でスタートした倉庫営業は明治24年に倉庫を増築し、より大規模な事業へと発展するのですが、明治40年、不運にも函館市内が大火に見舞われ、既存の倉庫も6棟が焼失してしまいました。

その後明治42年、大火からの復興の一環で現在の赤レンガ倉庫が誕生します。

以降、倉庫としての利用が昭和の終わりまで続いた後、昭和63年4月“函館ヒストリープラザ”が開業し、倉庫営業から現在の観光施設へ切り替えられました。

(参考:金森赤レンガ倉庫公式サイト金森赤レンガ倉庫について“”金森赤レンガ倉庫の歴史“、函館市文化・スポーツ振興財団渡邉熊四郎(初代)“)

00年代の金森赤レンガ倉庫

雪の季節の赤レンガ倉庫前と、

雪の無い季節の赤レンガ倉庫前です。

雪景色の中にある赤レンガ倉庫は、ご当地バンドであるGLAYのバラードがピッタリハマりそうな雰囲気を醸していますが、

この”倉庫然”とした雰囲気が、

街の持つ生活感と共にあるたたずまいとなっているあたり、特に魅力的です。

百万ドルの夜景“でおなじみ、世界三大夜景の一つが望める函館山(ロープウェイ乗り場)も徒歩圏内です。

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