萬代橋の歴史、橋上と河川敷
萬代橋
about 萬代橋
信濃川の河口付近と関谷分水路に挟まれて日本海に面している、いわゆる“新潟島”と呼ばれている一帯は、古くは10世紀頃から水上交通の要所として、江戸時代以降は各種の貿易や商取引で、それぞれ栄えていました。
その新潟島中心部の東端からJR新潟駅に向かう形で架けられた橋が、現在国指定重要文化財となっている萬代橋です。
「いつまでも橋が続き、新潟の街が発展するように」との祈りが込められた命名と共に竣工した萬代橋でしたが、明治19年=1886年に竣工した初代の萬代橋(木造)は、残念ながら明治41(1908)年に古町にて発生した火災で焼け落ちてしまいました。
大火後、初代の萬代橋は二代目萬代橋となり(明治42年=1909年12月竣工)、やがて昭和4=1929年8月に、現在の三代目萬代橋が竣工します。
参考
萬代橋エリア
橋上には、現在、国道7号線と17号線が重複して通されていますが、国道7号線は新潟市中央区(萬代橋傍の本町通七番町)と青森市内を結び、国道17号線は同じく新潟市中央区(7号線の起点と同じです)と東京都内(中央区日本橋)を結んでいます(リンクは全て、Googleマップです)。
ここに国道4号線(=昭和通り。日本橋-青森市内)が通されたルートを加えると、国道7号線の終点(青森市内)と国道17号線の起点(日本橋)が結ばれて、東日本をぐるっと一周する一般国道のルートが出来上がります。
このことからは、地域ローカルなというよりは、広域エリアが視野に入る交通拠点となっていることが伝わります。
参考
- 国土交通省・北陸地方整備局 “道路情報提供システム“
- e-Gov “一般国道の指定区間を指定する政令“
萬代橋へ
橋の両側には萬代橋についての説明書きが複数置かれていますが、
現在の橋の由緒や構造の他、
歴代萬代橋についての歴史等、かなり詳細にまとめられています。
JR新潟駅側から、新潟島エリア方面へ。
橋に入る手前のスペースがかなりゆったりしているのが特徴的です。
石碑とやすらぎ堤
新潟島エリアの東端には、
市制100周年を記念して作られた”新潟ブルース歌碑”(”新潟ブルース”は新潟出身の作詞家、山岸一二三さんの作詞です)や、
二代目萬代橋を渡った高浜虚子が詠んだ句を記念した碑などが置かれていますが、
いずれも、萬代橋のすぐ傍に位置しています。
信濃川
萬代橋の両隣 -柳都大橋と八千代橋-
信濃川の河口方面には柳都大橋や朱鷺メッセが見えていて、
柳都大橋の反対方向には八千代橋が架かっています。
どちら側を向いても際立つのは、やはり日本一長い川である信濃川の大きさですね。
参考
信濃川沿いの遊歩道
JR新潟駅側の岸(信濃川右岸)は、“信濃川やすらぎ堤”と命名された遊歩道となっていて、
萬代橋上から、というよりは橋の袂にあたるエリアから、
下に降りる階段が作られています。
萬代橋を渡った向こう側、海に向かって左側の河川敷には“みなと・さがん“と命名された遊歩道が作られていますが、同じく入り口は橋の袂に用意されています。
参考
- 新潟県公式サイト “みなと・さがん“