JR横川駅周辺の風景
馬車鉄道顕彰碑
馬車鉄道の跡

碓氷関所跡から県道92号線(旧中山道方面)に沿って道を進み、国道18号線との交差点へ。
写真の正面方向が国道18号線方面、左側に作られた(旧信越本線高架下の)トンネルの向こうに伸びた道が県道92号線ですが、

ここに、かつて馬車鉄道が通されていたことを伝え残すための顕彰碑と、
路線跡の目印となる立て板が置かれています。

“顕彰碑”と、その隣には顕彰碑建立者を称える碑、

馬車鉄道の路線が敷かれていたと思しきエリアには、それと知らせる立て板が建てられています。
参考
about 馬車鉄道
馬車鉄道とは、鉄道(レール)に乗せた客車を馬に引かせて走らせるという、馬の力に拠った鉄道です。
近代の鉄道は、乗合馬車から馬車鉄道へ、次いで蒸気機関車が牽引する鉄道へ、さらに蒸気から電気へと、段階的な進化を遂げます。
例えば同じ「関所スポット」である箱根関の近隣・箱根湯本でも、小田原馬車鉄道が現在の箱根登山鉄道のルーツとなっていますが、日本初の「蒸気機関を利用した」鉄道が明治5年(1872年)に開通した後、特に明治の前半期については、馬車鉄道と蒸気機関を利用した鉄道が並行して普及しました。
「大きい街道には乗合馬車が通されやすく、乗合馬車の道として整備された道は後の鉄道敷設ルートになりやすかった」という敷設路の特徴も指摘されますが、江戸時代の五街道に該当するルートやその近隣には、明治以降に全て鉄道・一般道が敷設されました。
参考
碓氷峠招魂碑(鎮魂碑)

馬車鉄道顕彰碑傍には他にも鉄道関連の史跡として、
碓氷峠超えの路線(碓氷線=横川・軽井沢間)の開通に携わった殉職者、および同区間におけるすべての殉職者や災害の犠牲者の魂を追悼するためとして、二つの石碑が置かれています。

碓氷線開通時の殉職者のための招魂碑(向かって右側)、

全殉職者及び犠牲者のための鎮魂碑(向かって左側)ですね。

現在は役割を終えて廃線となった”旧・碓氷線”跡地において、碓氷峠の全ての犠牲者に二つの碑が捧げられています。
アプトの道と鉄道文化むら

“招魂碑・鎮魂碑”エリアのすぐ隣には、横川駅傍に位置する碓氷峠鉄道文化むらの敷地が広がっていて、

その横には、旧信越本線廃線跡の遊歩道である“アプトの道”が整備されています。
参考
- 碓氷峠鉄道文化むら公式サイト
- 安中市公式サイト “アプトの道“

