【”たびキュンパス”で三内丸山へ/3】JR青森駅傍、あおもり駅前ビーチとベイサイド

国内旅
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JR青森駅構内を出て、駅周辺散策へ

青森駅前ビーチ方面

駅近観光エリアへ

青森駅の構内からも大型の橋=青森ベイブリッジが見えていましたが、駅構内を出ると、駅舎のすぐ横から、真正面の位置に架橋されています。

駅から目と鼻の先に、まずはねぶた祭のミュージアムである”ワ・ラッセ”、すぐ隣にはお土産屋さんである”A-FACTORY”、その間にはビーチがあって、直進方向にベイブリッジが架かっているほか、さらに奥には青函連絡船関連の施設(史跡含む)が複数用意されています。

ということで、駅を出て早々に”観光スポットラッシュ”が始まります。

手前にあるのが”ワ・ラッセ”、

やや奥には”A-FACTORY”で、

合間を縫うように作られているのが、個人的には想定外の施設だったという、”あおもり駅前ビーチ”です。

つい最近(21年7月)オープンした人工のビーチで、海水浴場としては解放されていないようですが、冬季閉鎖されるという12月~3月以外の季節であれば、水遊び程度は出来るようです。

参考

青森駅傍のベイエリア -ベイブリッジとラブリッジ-

ビーチに置かれていたのは、”これ一つあるだけで風景が随分映える”という、地名オブジェです。

海があって華やかな橋があって、それらの風景をより華のあるものに魅せて行こうとする努力の跡も見受けられるという。

やっぱり良いものですね。

神戸・三宮に行った時にも似たようなものを感じましたけど、港町の開放感の中にあるこじゃれた雰囲気って、それがあることによってテンションが上がると同時に、不思議と気持ちが落ち着きます。

自分が年の数だけ慣れ親しんだ空気に近いものがあるにはあるということで、若干の(?)ひいき目が入っている部分はあるのかもしれませんが 笑、それにしても付近一帯に中々に稀有な魅力があることは確かではあります。

ビーチ上に置かれたオブジェの向こうには、”ワ・ラッセ”、

ビーチのすぐ横には、ベイブリッジの真下をくぐる形の遊歩道が作られているのですが、

この遊歩道は、陸奥湾を望む形で進行方向右に折れて、

“青森ラブリッジ”に繋がります。

JR青森駅付近にいる場合、同じく陸奥湾沿いに作られている”青い森公園”までの橋渡しとなっている形ですが、駅構内を出るなり出てくる”ワ・ラッセ”、”A-FACTORY”、駅構内から視界に入っている”青森ベイブリッジ”、直下に交差する”青森ラブリッジ”、そのすぐ傍に位置する”青函連絡船”、少し足を延ばして”青い森公園”のコンボは、青森駅の側近にあって、東京湾岸のベイエリアにあってもさほど見劣りしないであろう”駅近観光スポット”を形成しています。

(今回の私のように)仮に予備知識ゼロで来たとしても、あれよあれよという間に引っ張り込まれて行って、結果「なんか青森いきなりすごいぞ!?」となってしまう一帯ですね。

実際この付近の散策には、今回も想定外の時間を割いてしまうこととなりました。

それでもまだまだ時間は足りなかったので、次回訪問時のお楽しみにしたいところです。

参考

青函連絡船エリアへ

青函連絡船の跡

奥に位置する大きい船が、かつて青函連絡船として津軽海峡を行き来していた八甲田丸です。

記念施設は函館側にも存在しますが、青森側に八甲田丸が係留されていることに対して、函館側には摩周丸が係留されています。

船に向かって引き込まれている線路は、かつて鉄道輸送のために利用されたという可動橋の一部ですが、

平成23(2011)年には、「青函連絡船及び可動橋」が日本機械学会によって”日本機械遺産”に認定されました(※)。

「ラーメンからミサイルまで」とは某財閥系総合商社の取扱商品の間口の広さを表現したフレーズですが、「生活必需品から電車まで」という規模の青函連絡船利用用途からは、あらゆるものが海峡の向こうに運ばれたのであろう在りし日の青函連絡船の活気を思わされます。

とはいえ、国内の物流においてそれだけの動線であるということは、やはり有事にはそういう危険とも隣り合わせになる必然が用意されています。

ということで、戦時中には”ケンカ相手”の米軍によって青函連絡船が壊滅され、その際には非戦闘員も多数犠牲となった模様です。

「補給路を断つ」のは戦時の戦術の基本なのかもしれませんが、やはり国内に残された戦災の跡を見るにあたっては、ターゲット・犠牲がほぼ民間人であるだけに、どうしても複雑な気持ちにならざるを得ない部分も出てきてしまいますね。

当時の具体的な様子も、石碑に刻まれています。

ともあれ、この付近からの青森駅前ベイエリアは、青函連絡船関連の史跡中心のエリアとなっていきます。

余談として、国鉄・JRが所有していた青函連絡船は、昭和63(1988)年の青函トンネル開通と同時に全便の営業が廃止されましたが、それとは別に青森・函館間を津軽海峡経由で行き来する船便“青函フェリー”は、現在も運行されています

乗り場はJR青森駅からは少し離れたところ、どちらかというと新青森駅の方が近いのではないか、という地域の海沿いに位置しています(※)。

参考

八甲田丸と津軽海峡

ファンネル(煙突)に輝く”JNR”(Japanese National Railways=日本国有鉄道、つまり国鉄)のロゴがなんとも懐かしさを感じさせると同時に、大掛かりな係留のされ方からも船舶のサイズ感が生々しく伝わりますが、

現在、八甲田丸の船内は記念館となっていて、有料ですが入場が可能です。

館内では、八甲田丸の現役時代の様子が多角的に再現されているようなのですが、“津軽海峡”といえばこれ、といえば、

やはりこの曲なのでしょうか。

“津軽海峡”まで打ち込んだ時点で予測変換にも上がってくるという、演歌の名曲”津軽海峡冬景色”ですね。

今も、八甲田丸の前に曲情報と共に歌詞が刻まれた碑石が残されています。

参考

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