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【青春18きっぷの旅/三日目】一の鳥居から弥彦神社拝殿へ
弥彦神社へ
朝の新潟駅から越後線・弥彦線と乗り継いで弥彦駅へ(【青春18きっぷの旅/三日目】新潟駅から越後線・弥彦線乗車)。
弥彦駅到着後はホテルに荷物を置かせてもらったあとで、街歩きの楽しみの一つとして始めた御朱印めぐり最初の神社、弥彦神社(公式サイト)参拝へと向かいました。
神社通りと明治天皇行在所跡
弥彦神社の前に通された神社通りは、
神社の外から一の鳥居を経て、弥彦神社の境内に伸びていますが、
その一の鳥居すぐそばには、かつて明治天皇が行幸されたことを記念する碑と、
行在所(あんざいしょ)跡があります。
明治天皇や大正天皇、昭和天皇をはじめとする天皇陛下が巡幸された跡は今も国内各地に残されていますが(参考:旧中山道・奈良井宿 -上問屋資料館(国指定重要文化財)-、【冬の終わりの札幌へ その8】中島公園・豊平館)、弥彦神社傍のこの一角にも、その跡が残されています。
残念ながら、弥彦神社傍の行在所自体は明治45年の大火で焼失してしまったため、現在は石碑等のみが残されているようです。
碑文や、
弥彦神社による説明書きなど。
同じく一の鳥居すぐ傍には、
神社の由緒が高札風にまとめられた由緒書きが設置されています。
玉の橋と表参道
一の鳥居入ってすぐのところには、神様の通り道であるとされている、玉の橋が架けられています。
明治天皇の行在所を焼失させた明治45年の大火では例外的に難を逃れた、という曰くのある”玉ノ橋”すぐ横には、
弥彦神社の表参道へと誘う”人間用”の橋が通されていて、
一の鳥居付近からまっすぐ伸びた参道をつきあたりまで直進後、神社の祈禱・お祓いの受付所付近を左手に進むと拝殿があります。
かつての弥彦神社は、明治45年(3月11日)の大火でほぼ全焼してしまったようなのですが、大正遷宮(遷宮=社殿の建て替え)記念の碑は、その後大正5年(1916年)の再建を祝してのものです。
創建年の詳細は不詳、初めて歴史書の中に登場するのが9世紀(833年)であるという弥彦神社の歴史の中では、大正5年(1916年)の出来事はつい最近のことのように感じなくもありませんが、それでも遷宮=再建以来既に100年以上が経過しています。
表参道沿いの受付事務所傍には御神木と、
江戸時代後期の新潟が誇る禅僧・良寛さんが御神木をたたえた賛歌がしたためられている他、
手水舎などが置かれています。
鹿苑
一の鳥居をくぐって参道を直進した後、突き当りを右方向へ進むと、貴重な在来種をはじめとする鶏が飼われている日本鶏舎(公式サイト)と、シカが放牧されているエリア・鹿苑(公式サイト)へと進みます(【青春18きっぷの旅/三日目】弥彦神社・鹿苑と日本鶏舎)。
拝殿へ
この先は、参道の正面が拝殿です。
二の鳥居をくぐって進むと、拝殿前の門(随神門)が近づいてきます。
弥彦神社・拝殿
拝殿前に作られた階段を上って、
随神(ずいしん)門下へ。随神門とは、良からぬモノの侵入を防ぐために作られている門で、命名の由緒としては『古事記』に登場する天石門別神(あまのいわとわけのかみ)に縁を持ちます。
随神門の正面は弥彦神社の拝殿で、拝殿の背後にそびえるのは神社の御神体である弥彦山です。
昭和天皇と皇后陛下も、弥彦神社にご親拝されているようです。
日本の神社では崇拝の対象となる八百万の神が祀られていますが、その中心は皇室の祖先である天照大御神であることから、天皇陛下自ら神社を訪れ、神々を拝むことを特別に”御親拝”と言います。
随神門は、拝殿前に作られています。
社務所は随神門の向かって右隣に位置しています。
弥彦神社の参拝作法は通常の作法と違って二礼”四拍手”一礼(弥彦神社公式サイト “ご参拝“)なのですが、その作法に沿って参拝した後、社務所にて念願の御朱印をいただきました。
弥彦山ロープウェイ乗車
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弥彦神社御神廟へ
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