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【冬の東北・信越青春18きっぷ旅/鶴ヶ城周辺の史跡8】白虎隊隊士の生家跡
白虎隊・西川勝太郎生家跡
鶴ヶ城(公式サイト)の北側に隣接し、かつ北出丸大通りの東側にあたるという鶴ヶ城近隣には、まさに”城前“という住所を持つ一帯があるのですが、その城前の中央やや西寄りの地点に”白虎隊・西川勝太郎生家跡”が残されています。
元・白虎隊隊士の生家といえば、
隊士の中でも特に会津戊辰戦争時に飯盛山(福島県観光情報サイト “飯盛山“)にて自刃を遂げた隊士については、北出丸大通り沿いに生家の案内図が出ています。
生家は多く鶴ヶ城の内堀と外堀の間に点在しているのが分かりますが、パッと地図を見た時点で、それぞれの隊士の生家と鶴ヶ城との間に横たわる距離からは、物理的な距離以上に近いのではないだろうかという”心理的な距離の近さ”を連想させられます。
城下町の郊外に位置する飯盛山から市街地が燃える様子を見て「城が燃えている」と錯覚し、ほどなく自刃したときの絶望感(?)やいかにといえば、それは恐らくは当時の世を当時の世の常識の中で生きた彼らにのみ理解できるものなのでしょう。
今の世を今の世の常識の中で生きる我々の感情移入からであれば、それがどれだけ深いものであったのかについては、”想像に難くない”で察するのが精々といったところになってくるのかもしれません。
現在の城前町では、施設の老朽化に伴う建て替え計画が今まさに順次進行中であるという城前団地(会津若松市公式サイト “「城前団地建替計画」について“)や、
会津若松市立第二中学校などがその中心部を占めていて、
“西川勝太郎生家跡”は中学校の校門隣、かつ団地の向かいに位置しています。