神戸税関と神戸港
神戸税関へ
about 神戸税関
港町・神戸の貿易を取り締まる神戸税関は、慶応3(1868)年の兵庫(神戸)開港と同時に設置された兵庫運上所の後継にあたる組織です。
例えば同じ開港地である長崎では、江戸時代の”湊会所”が”長崎会所”となり、更に長崎運上所となった後に長崎税関となるのですが、この点は神戸でも然り。開港と同時に運上所が設置された後、保税制度の整備・保税倉庫の台頭とほぼ時を同じくして、兵庫運上所から神戸税関へと組織名を改めることとなりました。
このように、開港後の各開港地(神戸・長崎の他、横浜、新潟、函館)には、まずは運上所が設置され、後に(保税制度の整備をきっかけとする形で、運上所が)税関と名を改めたという流れがあります。
時あたかも、まだまだ国内が騒乱のさなかにあったという、明治初期(5年=1873年)の話しですね。
運上所、さらには運上所をルーツとする現在の税関の仕事は輸出入の管理や税の徴取ですが、現在神戸税関は、兵庫県の他、四国と(山口県を除く)中国地方を管轄しています。
参考
保税制度、運上と税関
ちなみに保税制度とは「輸入許可を受ける前の貨物(外国貨物)について、「保税地域」とよばれる税関の許可を受けた倉庫や工場、博物館等で、保管、加工、展示等を可能とする」制度のことで(※)、この制度の下で使われる倉庫が保税倉庫(例えば横浜では、かつての赤レンガ倉庫など)と呼ばれます。
“運上“は”運送上納”を由来とする、元々は”モノやお金を運んで収める(上納する)“ことを意味していた言葉ですが、後に税金そのものを意味するようになりました。
江戸中期のいわゆる田沼時代、幕府や藩への献金的な意味を持っていたという”営業免許税”である冥加と共に、株仲間(商工業者の同業組織)公認の条件に”運上”(=営業税)が課された、つまり幕府・藩に株仲間として公認される際、運上・冥加の納付が必須となったことによって、運上=税金というニュアンスが濃くなったようです。
参考
- 税関公式サイト “保税制度の概要“(※)
- 【横浜街歩き】赤レンガ倉庫/赤レンガパーク(新港ふ頭内)
神戸税関と周辺エリア
神戸税関は、神戸・三宮のベイエリアで、KIITOなどの建物に隣接しています。
初代税関庁舎は兵庫運上所が神戸税関と名を改めたタイミングで竣工したようですが、現在の税関庁舎は昭和2(1927)年に竣工した庁舎をベースとしているようです。
税関横には、天皇陛下の行幸記念碑も置かれています。
旧生糸検査所の施設が使われている”KIITO”の並びに位置する三代目の現税関庁舎は、平成11(1999)年、二代目庁舎をベースとしつつ船をイメージしてリニューアルされました。
リニューアル翌年には公益社団法人ロングライフビル推進協会が設けたBELCA賞(ベストリフォーム部門)を受賞しています(同賞は、後に旧生糸検査所=現KIITOの建物も受賞しています)。
いざ、庁舎内部へ。
参考
神戸税関・広報展示室へ
神戸税関・庁舎内へ
既に外観からオシャレなのですが、庁舎の入り口付近は360度が見所です。一般公開されている広報展示室のみではなく、道中の通路も見学ポイントとなっている状態ですね。
入館後、受付にて氏名・連絡先を記帳後、名札を借りて施設内へ。展示室は向かって左側です。
この扉から施設内へ入り、展示室へと移動するのですが、この場にいるだけで二代目庁舎が竣工された当時にタイムスリップさせられるかのような気分になって来ます。
やや誇張しているのでは?というように伝わるかもしれませんが、あながち誇張でもありません。
中庭の様子やそれぞれの建物の在り方も凝っていますし、その様子を見渡せる館内の様子も、これまた凝っています。
“KIITO”に勝るとも劣らず、どちらの建物も”港町ならでは”と言われればそのように伝わりますが、現在第二の人生を歩み始めている”KIITO”に対して、三代目の税関庁舎は未だ現役の税関庁舎です。
参考
- 神戸税関公式サイト “広報展示室のご案内“
神戸税関広報展示室
神戸税関の本館は、経産省によって”近代化産業遺産”の認定を受けているようですが、
展示室内では、税関業務のPRや、
違法な輸入品の展示などがされています。
手続きミスによって輸入できなかったというライオンのはく製の他、
麻薬の密輸取り締まり関係の展示など。
“税関といえばここ”みたいなイメージにしても、無きにしも非ずですね。
このほか、神戸税関ではしおりと絵葉書が”おみやげ”として用意されていました。
建物の外観を見に行く目的だけでも楽しめますが、さらに”社会科見学”的な目的を含めた場合、かなり満足度の高い時間を過ごせる施設です。
参考