新潟総鎮守・白山神社
新潟総鎮守・白山神社は、”新潟島”のおよそ中央付近、白山公園内に位置しています。
“鎮守(神)”とは、特定の土地や建物を守護するために祀られた神様のことを言います。
この信仰は、元来、特定の土地を守る神(地主神)を祀る日本の民間信仰にルーツを持ちますが、仏教伝来以降の神仏習合の流れの中で、日本のあらゆる民間信仰や、その総本山としての神道の世界にもなじむようになりました。
新潟県の総鎮守であるとは「新潟の総てを鎮め守る神様、神社」(公式サイトより引用)ですということで、10世紀ないしは11世紀の神社創設以来、新潟の人々の暮らしに密接にかかわりつつ、今日に至っています。
元々は信濃川の中洲、かつ新潟湊の先端部に当たったという、現在の西大畑の海岸付近にて“白山島”と呼ばれた一帯にあったようです(※)。戦国時代には上杉家、江戸時代には越後長岡藩の支配下にあり、江戸時代に”北前船”の寄港地として栄えた湊傍の神社は、長らく商売繁盛、海の神様としてあがめられました。

その後江戸幕府の統治が終焉の時を迎え、世が”明治”へと移行すると、白山神社に激動の時が訪れます。

元々は白山公園が白山神社の境内にあった、双方は名実ともに一体となっていたところ、明治政府によって廃仏毀釈政策と近代化政策が同時期に進められた結果、白山神社の広大な境内の一部が官有地として分離される形で”白山公園”となりました。
参考

