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【開港都市・新潟の風景/2023】白山公園(国指定名勝、日本初の都市公園)

新潟市中心部

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【開港都市・新潟の風景/2023】白山公園(国指定名勝、日本初の都市公園)

白山公園

about 白山公園

白山公園(新潟市公式サイト新潟市中央区公式サイト)は、1873年(明治6年)1月の太政官布告第16号によって開設され、今年2023年に設立150周年を迎えたという都市公園です。

白山神社の境内だった土地に、明治新政府の肝煎りによって設立が決められました。

“新政府の肝煎り”という点では同様の公園(=国内初の都市公園)が国内に25か所程度あるようですが、実数については資料、あるいは実態解釈により異なって来るようです(”太政官公園”について、参考:太政官公園の成立とその実態、都市公園について、参考:全国初の”立体都市公園”)。

白山公園については、そのような由緒で始まった後、現在も新潟市中央部で市民の憩いの場となっています。

白山公園内(ひょうたん池周辺)

公園の設立自体が明治最初期に遡るということで、落ち着いた気持ちで散策できる庭園内にはそれ以前の時代を思わせる”道しるべ”や、

石灯籠などが用意されていることが印象的ですが、ひょうたん池の周辺は、日本庭園風に散策路が整えられた一帯となっています。

ほか、公園敷地内全体では、白山神社や新潟県政記念館、さらには新潟県民会館や陸上競技場などの公共施設が作られています。

“日本初”の公園の形態

明治6年に(太政官布告によって)造園が決められた公園と、それ以前からある”日本初の公園”の違いは、公園設立の根拠法となる行政法的な部分にも宿っていますが、より本質的な部分の相違ということでは、外国人居留民との折衝(外交的な理由)が設立動機になっているか、それとも国民生活(公共の福祉等)向上が主目的とされているか、という部分に宿っています。

そもそも”公園”という言葉自体が明治初期の造語であり、今現在の感覚でいうところの”公園”は、江戸時代以前の日本にはなかったとされています。そのため、19世紀後半の日本に”公園”の概念と施設が海外から揃って”輸入”された後、改めて日本語で相応しい言葉があてがわれたという、何もかもが新しいものだったんですね(参考:“日本初”と明治の世)。

それでも似たようなものはなくはなかった、それを改めて”公園”と捉え直すことによって整備を進めた、位の感覚でしょうか。

例えば1870年に作られた”日本初の洋式公園”である横浜山手の山手公園は、そもそも「外国人居留民の利用に限る」という形で、当時の外国人居留地内に作られた公園です。

日本人の利用が可能となったのは、1899年以降のことでした。

山手公園設立の二年ほど前(1868年)には神戸の外国人居留地にて、同じく外国人居留民によって日本初の西洋式運動公園が作られていますが(参考:東遊園地公式サイト “東遊園地とは“)、外国人居留民による公園設立を後追いする形での”公園設立”が、明治6年の太政官布告で発された要旨の言わんとする内容にあたります。

曰く、「人民輻輳ノ地ニシテ、古来ノ勝区名人ノ致跡地等是迄群集遊観ノ場所」については、「従前高外除地ニ属セル分ハ永ク万人偕楽ノ地トシ、公園ト可被相定」とする、つまり”旧大名の私有地等のうち、1871年の廃藩置県を境として官有地となった土地”(高外除地こうがいじょち)のうち、”人民輻輳ノ地”、あるいは”古来ノ勝区”や”名人ノ致跡地”、つまり名勝や旧跡などの”観光スポット”については、以降公園として公開すべしというお達しが、”明治6年の太政官布告”の要求内容ですね(参考:上野観光連盟公式サイト “公園誕生“)。

“公園”設立の要領や本旨自体はわからなくはなかった、ただしその概念自体が新しいものだったという程度の温度差を感じますが、白山公園をはじめとする国内二十数か所に初めて日本国民のための都市公園が設立されたことを契機として、以降の日本国内にはさらに様々なタイプの公園が作られ続けていくこととなりました。

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