【群馬/新潟青春18きっぷ旅:初日その21】D51と水上駅SL転車台広場

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水上駅とSL

about 水上駅・上越線

水上駅の開業と、上越線の全通

昭和3(1928)年上越線の全通”を前提として、現在のJR水上駅の前身である国鉄水上駅が開業します。

昭和6(1931)年には、そのプラン通りに上越北線ほくせんと上越南線なんせんが一本になって上越線が全通しますが、

  • 上越北線:新潟県側に作られていた路線
  • 上越南線:群馬県側に作られていた路線

このことによって、従来であれば信越本線経由で進むよりほかなかった首都圏・北信越エリア間の行程に(参考:JR信越本線・横川駅着)、新たに東京圏から一直線に北上するルートが加わりました。

上越線の運用にあたって、谷川岳の下に掘られた清水トンネル(参考:『雪国』関連展示)通過時には、保安上の理由から電気機関車の利用が必須とされたため、北線・南線共清水トンネル付近にて機関車の交換が必要となったということで、同年の水上駅には、上越線全通に合わせて水上機関庫(機関車を停めておくための倉庫です)も開業します。

以降、蒸気機関車自体は昭和40年代半ば(1970年代前半)ごろまで各地で現役でい続けたようですが、東京・新潟間を上越新幹線(1982年開通)が結び、関越自動車道が全線開通(1985年)すると、やがて上越線・水上駅自体もターミナル駅としての役割を終えることとなりました。

現在、かつての水上機関庫は水上駅SL転車台広場に姿を変え、当時の花形機関車である“D51”や、今もイベント列車の運行時には現役で使われている転車台と共に、水上駅傍に残されています。

ちなみに北線側では、石打駅に転車台や機関庫が置かれていたようです。

SL転車台広場

区間 牽引機関車 事情
高崎駅ー水上駅(⭐︎)間 蒸気機関車(SL) 非電化区間
水上駅ー石打駅間(清水トンネル超え) 電気機関車(EL) 保安上の理由
石打駅(⭐︎)ー宮内駅間 蒸気機関車(SL) 非電化区間

転車台広場の名に付された“転車台”とは、機関車の進行方向自体を変えるため、機関車を乗せて”転車”、すなわち180度回転させるための台です(上記表中⭐︎=転車台設置駅)。

機関車が列車をけん引する場合、電車であれば可能である”スイッチバック運転“(=進行方向の逆転運転)が不可能となるため、機関車を”転車台”に乗せた上で回転させるという物理的な進路変更が必須となるのですが、このような事情から、鉄道が電化される前のターミナル駅等では転車台が必須の設備となっていました。

かつての上越線・水上駅では東京方面から客車をけん引してきた”下り”機関車を切り離し、のちにこの転車台を用いて”転車”させていたのですが、水上駅の転車台で進行方向を改めた蒸気機関車は、水上駅から今度は上り上越線の客車をけん引し、再び東京方面へと向かっていました。

なぜ、かつての水上駅が転車台を必要としたのか。

この点、かつての上越線に特有だった事情として、清水トンネルを含む区間の客車牽引のみ、保安上の理由から電気機関車が利用されていたことが挙げられますが、新潟県側に通されたかつての上越線(旧・上越北線)では、石打駅が水上駅と同じ役割を果たしていました。

つまりは水上駅、石打駅とも、谷川岳=清水トンネル超えのためのターミナルとして機能していた形ですが、水上駅から先客車牽引を任された電気機関車は、”谷川岳越え”のために作られた清水トンネル区間を経て石打駅まで進むと、そこで客車牽引を蒸気機関車にバトンタッチします。

その先は下り上越線の終点となる宮内駅まで蒸気機関車が客車を牽引していた形ですが、この蒸気機関車は上り線で客車を石打駅まで牽引してきた蒸気機関車であり、石打駅での転車台を用いた方向転換ののち、今度は下り上越線として宮内駅まで客車を牽引することになっていました。

ちなみに現在の石打駅は上越新幹線開業とほぼ時を同じくしてその歴史的な役割を終え、無人駅となっているようですが、その一方で、現在でもイベント列車にSLが利用されている水上駅では、転車台は現役で利用されています。

SL転車台広場へ

水上駅から

JR水上駅の駅舎を出て、駅前の繁華街から新潟方面に向かって歩いていくと、少し歩いたところから水上駅のホームが見えてきます。

線路はそのまま、”日本一のモグラ駅”ことJR土合駅方面へと伸びていますが、

上越線の線路に並走しつつ歩道を進んでいくと、蒸気機関車のマンホールがあったり、

赤とんぼが飛んでいる、のどかな夏の高山風景が楽しめたりするのですが、

やがて、谷川岳の山々を背景として、かつて現役の機関車としてこの水上の地を車庫にしていた、D51が視界に入って来ます。

SL転車台広場とD51

改めて、水上駅傍に停められているD51、通称”デゴイチ”です。

現在は、準鉄道記念物に指定されているようです(準鉄道記念物について、参考:外国人鉄道技術者・エドモンド・モレルの墓)。

鉄道記念日は、横浜・新橋両停車場間にて、日本で初めて鉄道が営業運転された(明治5年(1872年)10月14日)ことを記念して設けられました(参考:国土交通省公式サイト “「鉄道の日」について“)。

D51の少し奥には、かつて機関庫だったと思われるスペースに残された転車台や、

蒸気機関車の仕組みについて、

整備作業について等々、かつての水上駅の面目躍如といった空間が作られています。

なお、現在は、信越本線横川駅と上越線・水上駅間等でイベント列車としてD51形が復活し、週末限定で運用されています(参考:JR東日本公式サイト “乗って楽しい列車 SLレトロぐんま水上“)。

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